第30話 私の希望を、先に
翌年四月の企画書には、私の名前が、制作の窓口として載っていた。
リーヴェルの事務室で、水野主任と、次の案件の準備を確かめていた。私は会社の社員になったのではなく、業務を受けるフリーの立場のままだった。
そのうえで、地元の小さな店と作る婚礼を、続けて担当することになった。
店が用意できる物も、時期も、客が残したい希望も変わる。前にうまくいった案を見せ、その通りに選んでもらうことを、仕事の完成にはしなかった。
「今回の方は、最初に、何を聞きましたか」
主任が尋ねた。
「帰ってから、何が残っていたらうれしいかを。写真か、食べる物か、ほかの物か、決めずに伺いました」
「それで?」
「家族が、同じ日に集まれたことだと。それを、まだ、どういう形にするか、一緒に考えているところです」
私は答えた。
主任は頷き、次の確認日を開いた。
今日も、具体的な案を早く出したい気持ちを、少し待っていた。
小野さんとは、店で見本の話をした。
私は入口で荷物を置く場所を尋ね、台の上の花をよけずに立った。千春さんが手元を終えてから、こちらへ資料を広げた。
「来月は、こちらの色を使えるか、まだ確認します。写真と同じ物が、いつでもありますとは、言わないでくださいね」
「はい。候補として、お見せします」
私は答えた。
彼女はよろしく、と言い、制作する時間についても希望を出した。私はその予定を、会社と確認して返す欄へ入れた。
店を出る前に、小野さんが、今度、旅行ですか、と尋ねた。
私が事前に、連絡を返せない日を伝えていたからだった。
「はい。二泊、行きます」
「いいですね。花の写真を、たくさん撮ってきそう」
「撮るかもしれません。でも、仕事の資料にする物を探しに行くのは、やめてみます」
私が言うと、彼女は笑った。
「見たい物を、見てきてください」
私はそうします、と答えた。
旅行へ行きたいと言ったのは、私からだった。
遼さんと、休みの日に食事をしていた時、山の近くの宿へ、二泊したいと話した。
最初は、一日だけでも、と言いかけた。彼の仕事の予定を全部聞き、それでも空きがあるようなら、自分の案を出そうと思った。
でも、その順番を変えた。
「私は二泊して、途中の日に、何も急がず過ごしたいです」
口にすると、遼さんは自分の予定を開いた。
「私は最初、一泊を考えていました。次の仕事の前に、戻って確認する日を、置こうと思って」
「はい。どの時期なら、その確認を先に取れそうですか」
私は尋ねた。
彼が私の希望を聞けば、全て変えてくれると期待することも、自分の案をすぐ小さくすることも、したくなかった。
二人で、別の日を比べた。
彼は自分の受け持つ仕事を、私は自分が返事を待っている項目を確かめた。
「ここなら、前の週に確認を終えられます」
遼さんが言った。
「私は次の打合せをその前へ入れられるか、会社に確認します。無理なら、別の候補も出します」
私は答えた。
すぐに、予約はしなかった。
返す日を決め、それぞれに確かめたあと、同じ予定へ二泊と書いた。
宿を決める時、遼さんが、こちらで予約しておきましょうか、と言った。
私は部屋を一緒に見たいと答えた。
彼は画面をこちらへ向け、では、どの辺りから、と尋ねた。
私は窓から、木が見える部屋がよいと言った。
彼は荷物を置いてから、少し休める椅子があると助かると返した。
私たちは両方を見ながら選んだ。
いくらまでにするかも、先に話した。
「行った日に、何をしたいですか」
彼が聞いた。
私は宿へ着く前に、川の道を少し歩きたい、と答えた。
「遼さんは?」
「私は荷物を置いてからがいいです」
その違いが、少しおかしかった。
どちらも、同じ川を歩きたいとは思っていた。
私はでは、先に荷物を置きましょうと答えた。
交際を始めてからも、予定の合わない日はあった。
会うつもりの夕方に、遼さんの仕事が長引いたことがある。私は仕方ないと返しかけ、待っているのは寂しいと、先に伝えた。
彼はすぐには、新しい予定を出せなかった。
その代わり、何時に分かりそうかを返した。
私はその時刻まで、家で自分の食事を取ることにした。
私の方も、作業が終わらず、約束を変えてほしいと伝えた夜があった。
遼さんは残念です、と答えた。
私はその返事を、責められたことにせずに、受け取る必要があった。
自分の選んだ仕事なら、相手は何も困らないはずだと思いたくなる癖は、まだ残っていた。
私たちは一度ずつ、言い直した。
そういう日があっても、次に会う時、前にうまく話せた時間まで、なかったことにしなくてよかった。
出発の前日、私は会社で、担当分の確認を終えた。
返事がまだ来ない項目もあった。待つ間に自分ができるところは済ませ、残りは戻ってから確認する日を決めた。
不在の間に、誰へ連絡するかを会社で共有し、協力店にも必要な範囲を伝えた。
夜中に一度は見ますという文を、最後に足すのはやめた。
「戻ったら、この続きを、お願いします」
主任が言った。
私ははい、と答えた。
「行ってきます」
「楽しんできてください」
彼女は自分の作業へ戻った。
帰宅して、私は旅行の荷物をまとめた。
念のための資料を入れようとし、やめた。連絡に必要な物と、読みたい本を一冊選んだ。
婚約を解消したあと、しばらく、自分のために予定を選ぶことが、何かへの仕返しに見える気がしていた。
今は、その相手がどこで何を見ているかを、先に考えずに、鞄へ服を入れていた。
私的な精算は、合意した内容と期日に沿って、定めた窓口で確認を続けていた。
式の顧客としての連絡は、会社が受けていた。
私が、自分の暮らしへ返事を引き寄せ続ける理由はなかった。
私は必要な記録を保管し、旅の鞄とは、別のところへ置いた。
当日の朝、駅へ着くと、遼さんが小さな鞄を持って待っていた。
私は手を上げ、隣へ並んだ。
「おはようございます」
「おはようございます。紗季さん」
私たちはそれぞれの切符を確かめた。
ホームへ上がり、列車が来るまでの間、私は持ってきたパンの袋を開いた。
遼さんは着く前に食べるつもりですかと尋ねた。
「はい。食べたいので、買ってきました。遼さんも、いりますか」
「一つ、いただきます」
私は袋を向け、彼が選ぶのを待った。
自分の分も取り、残りは、後で食べるためにしまった。
列車へ乗ると、私は窓側へ座った。
遼さんは隣で荷物を置き、時刻を確かめてから携帯をしまった。
窓の外で、見慣れた建物が動き始めた。
私は肩の力を抜き、背もたれへ体を預けた。
「着いてから、川の道、歩きたいです」
もう一度私から言った。
遼さんは顔を向け、覚えています、と笑った。
「荷物を置いて、それから、一緒に」
「はい。それで、行きたいです」
私は答えた。
そのあとの道を、全部決めておく必要はなかった。遼さんも見たい物があれば言うだろう。私も、立ち止まりたければ伝える。
遼さんは歩いたあとは、宿の椅子で少し休みたいと言った。私は頷いた。途中で疲れたら、先に戻ってもいい。その時の返事も、一緒に聞けると思った。
列車が橋を渡り、小さな川が見えた。
私は窓の向こうを指し、遼さんが隣から見た。まだ、目当ての川ではなかった。
それでも今日、初めて二人で見た景色だった。
私は食べかけのパンを持ち直し、次の景色を待った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
紗季が誰かの幸せを支える仕事を続けながら、自分の希望を伝えるまでの物語は、ここで完結です。
心に残った場面や人物があれば、感想で教えていただけると嬉しいです。作品を気に入っていただけた方は、評価も今後の励みになります。
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