雲海の針路
一キロメートルの空鯨(飛行船艦長の視点)
上空一万二千メートル。雲海の上は、下界の血生臭い狂乱が嘘のように、どこまでも冷たく、静謐な青の世界が広がっていた。
全長一千メートル、高さ百メートル。
人類の歴史上、これほど巨大な建造物が空を飛んだことはなかった。超大型硬式飛行船――コードネーム『アトランティスⅦ(セブン)』。怪獣の死体から抽出された、ヘリウムの数十倍の浮力を生み出す新素材『反重力多孔質生体組織』を気嚢に敷き詰め、同じく怪獣の生体燃料核から精製された超高効率バイオ燃料によって、六基の巨大な二重反転プロペラを駆動させている。
「――巡航速度二五〇キロを維持。気嚢圧、燃料消費率ともに、辛うじて採算ライン(グリーン・ゲージ)内です」
艦橋のコンソールに向かう若き空軍上がりの航法士が、淡々と報告を読み上げた。
「結構。そのまま気流に乗せろ。無理にエンジンを回せば、三菱重工への燃料代だけで今月の我々のボーナスが吹き飛ぶ」
艦長席に腰掛けた四十歳の男、阿澄空軍大佐は、白髪混じりの髭をさすりながら、手元のタブレット端末に視線を落とした。液晶画面の中で笑顔を見せているのは、四歳になる彼の初孫、愛の写真だ。
「じぃじ、おみやげ買ってきてね!」という幼い音声メッセージを再生し、さっきまでの冷徹な軍人の顔から一転して、デレデレと目尻を下げて鼻の下を伸ばす。元空軍の天才戦闘機パイロットとして数々の怪獣駆逐戦を潜り抜け、年齢を理由に前線を退いた阿澄にとって、この幼女の孫を馬鹿かわいがりすることだけが、この狂った世界で正気を保つための唯一の錨だった。
阿澄が我に返り、咳払いをして端末を仕舞う。
この『アトランティスⅦ』のような、世界の命綱である超大型飛行船を新規に建造できる国は、今や地球上に一握りしか存在しなかった。怪獣資源の利権を握り、高い工業技術を維持し続けている日本、イギリス、フランス、イタリア、そして中国。この沿岸先進国の五ヶ国だけだ。
一方で、その巨船を大金を払ってリースし、実際の「運用」を行っているのは、アメリカ、中東、韓国、シンガポール、台湾といった国や地域だった。
特に超大国であったはずのアメリカ合衆国は、度重なる防衛線の突破と沿岸都市の壊滅によって、もはや新しい飛行船を自前で建造するだけの余力を失っていた。もっとも、アメリカのスタンスは冷徹だった。
「我が国は、広大な国土の中にすべての資源と技術が自国だけで完結している。飛行船が作れずとも困りはしない。日本やヨーロッパの連中よ、我が国のレアメタルや資源が欲しいなら、そっちから飛行船を出して取りに来い」
ホワイトハウスのその傲慢な方針のせいで、世界の「物流」の力関係は完全に逆転していた。運用能力だけを持つ他の国々も、基本的には同様の利己的な閉鎖主義を貫いている。
何より、この『アトランティスⅦ』は、一キロメートルという山岳のような巨体でありながら、その貨物積載重量はわずか「千トン」に過ぎなかった。
飛行船という構造上、空気抵抗が異常に大きいため、最高速度を出しても時速三百キロが限界。燃費を考慮した巡航速度は、わずか二百五十キロに過ぎない。東京からサンフランシスコまで、優に一昼夜以上かかる、気が遠くなるような空の旅だ。
かつて数万トンの物資を数週間で大量輸送していた、あの古き良きコンテナ船による大規模な「物流貿易」は、海を奪われた瞬間に地球上から完全に消滅したのだ。
「人員や小規模の高価格電子部品は従来通りの高速ジェット航空機。だが、ジェット機には積めない『嵩張る、かつ極めて高価格な物資』だけが、この飛行船の腹に収まる」
阿澄は艦橋の足元に広がる巨大な貨物ホールドのモニターを見下ろした。
今回、日本からアメリカへ運んでいるのは、先ほど防衛省の神崎陸将補たちが決定した、対怪獣用の『空中遊弋型ドローン』の心臓部となる、最新鋭のミリ波生体センサーユニット。そして復路でアメリカから持ち帰るのは、内陸部から運ばれてきた、日本の新型ミサイル製造に不可欠な希少金属だ。
血を吐くようなトレード。これほどのハイテク高額物資の往復でなければ、飛行船の莫大な運用コストの採算は絶対に合わなかった。
「艦長、前方に雲の切れ間。――光学観測班、任務を開始します」
副官の言葉に、阿澄の目が戦闘機乗りだった頃の鋭さを取り戻した。
この超大型飛行船の任務は、単なる物資の輸送だけではない。むしろ日本政府がもっとも重視しているのは、民間航路を隠れ蓑にした『怪獣の洋上生態観察』であった。(航空機に積むには巨大な観測機器を衛星軌道より遥かに低い高度から対象を観察できるために精密観測は偵察衛星より有効であった)
艦底に設置された、一偵察衛星の望遠鏡に匹敵する超高性能な大型光学・熱線・電磁波観測機器が、自動的に駆動を始める。その複雑な機器を操作するのは、民間の操縦士ではなく、阿澄の部下である経験豊富な空軍のプロフェッショナルたちだ。
ゴゴゴゴゴ……という、気流に逆らう気嚢のきしみ音。
雲海が不自然に裂け、眼下に「現在の太平洋」の真の姿が露わになった。
阿澄は艦橋のガラス窓に近づき、上空一万メートルからその光景を冷たく見下ろした。
かつて人類が「青い地球」と呼んだその海は、そこにはなかった。視界を埋め尽くす太平洋の水面は、怪獣たちの排泄物や生体エネルギーによって変性し、まるで劇薬のプールのように、昼間でも怪しく澱んだ緑色の燐光を放ちながら波打っている。
「――熱源感知。深度二〇〇に、巨大な生体反応あり。この熱量……カテゴリー3、いや、カテゴリー4の成獣です」
観測士官の声が、緊迫感を含んで艦橋に響いた。
モニターに映し出されたのは、緑色の発光層のさらに奥、深海を音もなく泳ぐ、全長百メートルを優に超える「ボスクラス」の質量だった。陸に上がってくる小さなカテゴリー1などとは比較にならない、世界の環境調整を司る真の主たち。彼らはその巨体ゆえに、滅多に陸には上がろうとせず、この汚された海そのものを自らの絶対的な縄張りとして君臨していた。
キィィィィィィィン――。
高性能マイクが、深海から大気を突き抜けて上がってくる、微弱な高周波を捉えた。怪獣が体内のレーザー核を脈動させている音だ。
「……高度を維持。プロペラのピッチを戻せ。奴らの刺激になるような真真上の航行は避ける」
阿澄は冷徹に命じた。
高度一万二千メートルのこの空は、怪獣の視界やジャミングが届かない安全圏だ。だが、もし高度を下げて、奴らの直接視界に入ってしまえば、あの海底の怪物が放つメガワット級の、いや、ギガワット級かもしれない収束レーザーの射程に捉えられる。そうなれば、全長一キロのこの『アトランティスⅦ』とて、一撃で巨大な火だるまとなって雲海に散るだろう。
海を失い、空の細い糸のような航路にしがみついて、辛うじて世界を繋ぎ止めている人類の足掻き。
阿澄は、不気味に光る緑の海を見つめながら、胸のポケットにある孫の写真をそっと指先でなぞった。
(愛。じぃじは必ず、お前が待つ安全な陸へ帰るからな。この汚れた空を渡って、必ずだ――)
失われた大陸への葬列(オーストラリア上空)
『アトランティスⅦ』の針路は、緑色に光る太平洋を斜めに切り裂き、南半球へと向かっていた。アメリカ大陸へ向かうための最適航路からは少し外れるが、阿澄艦長はあえて、かつて「豊かな南の大陸」と呼ばれた場所を経由する針路を選んでいた。
高度一万二千メートル。雲海の切れ間から姿を現したのは、地図上には今もその名が残る、オーストラリア大陸の無残な姿だった。
艦橋の遮光ガラス越しに見下ろすその景色に、かつて戦闘機パイロットとして世界中の空を飛び回った阿澄の顔が、険しく引き締まる。
かつて美しい海岸線と豊かな緑を誇っていたシドニーやメルボルンといった沿岸の主要都市は、影も形もなかった。カテゴリー1の突進によってあらゆる高層ビルが土台から叩き壊され、それを追うように上陸してきたカテゴリー2の収束レーザーによって、市街地そのものが巨大なガラス状のクレーターへと変貌していた。
海沿いは完全に怪獣たちのテリトリーと化し、陸に上がった小型個体(カテゴリー1)の糞尿や分泌液によって、大地は不気味な黒褐色に侵食されている。
「――艦長、超高感度広帯域無線、受信しています。……相変わらず、ノイズまみれの地獄です」
通信士官が、ヘッドセットを片手で押さえながら、顔をしかめて報告した。怪獣の生体電磁波によるジャミングは、上空一万メートルを超えれば物理的に収まる。しかし、下界から昇ってくる電波そのものが、すでに狂気に満ちていた。
阿澄が手元のスピーカーのスイッチを入れると、ザーザーという激しいホワイトノイズの奥から、複数の、掠れた人間の声が混線しながら流れ出してきた。
『……こちらシドニー郊外、第十四民間防衛シェルター! カテゴリー1の幼体三匹が第一隔壁を突破した! 弾薬が足りない、誰か、誰か応答してくれ……!』
『政府軍の生き残りはいないのか!? 子供たちがもう三日も何も食べていないんだ! 内陸の給水塔が化け物に壊された! 水をくれ、頼むから水を……!』
『……こちらは……残存……政府……。全難民に……告ぐ……、内陸の、ブルーマウンテンズ以西の……避難所に移動……せよ……』
絶望、悲鳴、そして機能していない政府の壊れたテープレコーダーのような自動音声。
それが、国家統治能力が完全に瓦解したオーストラリア大陸の、現在の「日常」だった。
沿岸部をすべて破壊し尽くされたこの国は、怪獣資源という新時代の富を獲得する手段を失った。さらに、内陸の広大な砂漠地帯には怪獣は入ってこないが、そこには数千万の人口を維持するインフラも、まともな水源もない。
かつて数万トンの小麦や鉄鉱石を輸出していた大国は、海を奪われた瞬間に「世界でもっとも巨大な檻」へと変わり果てていた。現在、オーストラリアでは航空機による内陸部同士の輸送こそ辛うじて生き残ってはいるが、他国と交易するための「売れる物資」が何一つないため、海外からの定期便はとっくの昔に途絶えている。世界は、この飢えゆく大陸を冷酷に見捨てていた。
「……観測班。物資投下の準備。――目標、座標南緯三三度、東経一五〇度付近。残存政府の物資集積拠点だ」
阿澄は、孫の愛の写真が入った胸ポケットに触れながら、静かに、しかし明瞭な声で命じた。
「艦長、いいのですか?」
副官がいたずらっぽく笑いながら阿澄を見た。
「我が艦の積載量は千トンしかありません。アメリカへ運ぶミリ波センサーの予備部品や、我々の予備物資を削れば、会社(運航企業)から始末書を書かされますよ。それに、アメリカの連中には『道草を食うな』と急かされています」
「始末書なら、私がいくらでも書いてやる」
阿澄はふっと笑い、戦闘機乗りだった頃の不敵な目を副官に向けた。
「これは『アトランティスⅦ』の乗組員全員のポケットマネーから捻出した、ただの『個人的な善意』だ。積載重量にしてわずか二トン。削ったのは我々の贅沢品(酒や予備の合成肉)さ。……いいか、この空を飛んでいると、人間がただの『効率と資源の計算式』に見えてくる。だがな、俺には日本でじぃじの帰りを待っている四歳の孫がいる。もし、この国で今も泣いている子供たちがいるなら、それを見過ごして帰る男に、俺の愛を抱く資格はない」
艦橋の空気が、一瞬で温かいものに変わった。空軍上がりの若い士官たちも、阿澄の言葉に誇らしげに微笑み、一斉にコンソールを叩き始める。
「了解! 物資投下ハッチ、解錠! 投下物資、耐衝撃ケースに梱包された高純度医薬品、および内陸避難所用のポータブル・ソーラーパネル、計四ケース。……カウントダウン開始!」
一キロメートルの巨体を誇る『アトランティスⅦ』の巨躯が、オーストラリアの焦土の上空で、二百五十キロの巡航速度のままゆっくりとハッチを開いた。
「――投下ッ!!」
艦底のハッチから、重いコンテナが次々と空へ放り出された。
上空一万二千メートルの猛烈な冷気の中を落下していくコンテナ。高度が下がるにつれ、自動気圧センサーが作動し、四条の巨大な高強度パラシュートが次々と開いた。怪獣甲殻の繊維で作られたその傘は、下界の乱気流を完璧に受け止め、ゆっくりと、しかし確実に、絶望に沈む大地の中心へと降りていく。
それは、世界に見捨てられたオーストラリア残存政府と住民たちにとって、数ヶ月ぶりに空から降ってきた「人類の連帯」の証だった。無線からは一瞬、自動音声ではない、人間の生々しい嗚咽混じりの感謝の言葉が聞こえた気がしたが、それもすぐに激しい電波障害の雑音の中に消えていった。
「任務完了。……ハッチ閉鎖。気嚢圧、正常。これより本線を北東へ転換、本命の目的地、アメリカ合衆国・サンフランシスコ沖を目指す」
阿澄は艦長席に戻り、遮光ガラスの向こうを睨み据えた。
オーストラリアの悲劇は、明日の人類全体の姿かもしれない。海を失い、細い空の糸だけで繋がっている世界。その糸の先にある超大国アメリカもまた、ロビー活動による政治の混乱と、長すぎる海岸線という「呪い」に内側から喰い荒らされている。
「さあ、仕事に戻るぞ、野郎ども」
阿澄の号令と共に、六基の巨大な二重反転プロペラが再び力強く回転を始め、人類最大の空鯨は、緑の燐光を放つ太平洋のさらに奥、混迷を極めるアメリカ大陸へと向かって、静かにその巨体を滑らせていった。
雲海の下に潜む絶対的な支配者たちの影を警戒しながら、人類最大の空鯨は、二百五十キロという鈍足で、静かに、しかし緊張感に満ちた針路をアメリカ大陸へと進めていった。
鉄の墓標と空の対話(サンフランシスコ到着)
オーストラリア上空での物資投下から数日後、時速二百五十キロという鈍足で太平洋を渡りきった『アトランティスⅦ』は、ついに目的の地、アメリカ合衆国西海岸のサンフランシスコへと到達した。
「――アトランティスⅦ、係留マストへ固定完了。物資搬出を開始します」
艦底の貨物ホールドが開き、日本から運んってきた最新鋭の『空中遊弋型ドローン』のミリ波センサーユニットが、アメリカ側のフォークリフトへと引き渡されていく。代わりに運び込まれるのは、内陸の鉱山から厳重な警備のもとで運ばれてきた、新型ミサイル用のレアメタルだ。
超大国であったはずのアメリカ合衆国は、度重なる防衛線の突破と沿岸都市の壊滅によって、もはやこれほどの巨船を自前で建造するだけの「工業的・経済的な余力」を失っていた。
それでも、アメリカのスタンスはどこまでも冷徹だった。自国の広大な海岸線を守るための防衛戦力(陸軍の師団や艦隊)は混乱し、実戦に耐えうる最新兵器の配備には事欠いている。しかし、内陸の富と資源だけは頑なに抱え込み、「欲しいなら取りに来い」という傲慢な引きこもり体制を維持していた。その歪んだ大国の有り様が、飛行船の係留マストを取り囲む「欠陥試作兵器の墓場」に如実に現れていた。
阿澄艦長をもっとも暗澹たる気持ちにさせたのは、その沿岸部に広がる光景だった。
「――なんだ、あの不細工な鉄の山は」
阿澄の呟きに、副官が皮肉混じりのため息をついた。
「ペンタゴンが各重工メーカーのロビー活動に押し切られて乱発した、対怪獣試作兵器の『墓場』ですよ、艦長」
サンフランシスコの空の港――巨大な飛行船用係留マストの周囲には、天文学的な国家予算をドブに捨てて作られた、実戦では使い物にならない欠陥兵器が所狭しと並んでいた。
地元選出の議員たちが票田を守るために軍に圧力をかけ、それに応じた重工企業が「我が社の技術の粋を集めた」と称して作り上げた、現場を無視した代物ばかりだ。
目につくのは、某重工大手が「一撃でカテゴリー2を消滅させる」と豪語して開発した、全長百メートルを超える超大型固定式三連装レーザー砲だ。確かに威力だけはメガワット級を超えていたが、あまりにも巨大すぎて一度設置したら向きを変えることすらできず、怪獣に回り込まれて一歩も動けないまま、初陣で周囲の冷却プラントごと置き去りにされたという。
その横には、別の企業がロビー活動で予算をもぎ取った「多脚型対怪獣重装甲歩行戦車」の無残なスクラップがあった。怪獣の突進を受け止めるために装甲を盛りすぎた結果、カリフォルニアの泥濘に自重で自沈し、機動力を失ってカテゴリー1に文字通り「缶詰」のように中身を抉られた。
現場の軍隊の声を無視し、政治の気まぐれと企業の利権だけで作られた兵器の山。アメリカは、怪獣そのものよりも、自らの体内に抱える政治の病によって内側から腐り落ちつつあった。
「阿澄艦長。……いや、元空軍のエースパイロット、アズミ大佐とお呼びすべきかな」
貨物の搬出作業を監督していた阿澄の前に、一人の男が歩み寄ってきた。
泥と海水、そして硝煙の臭いを全身から漂わせたその男は、傷だらけの米海軍の制服を着ていた。太平洋艦隊の生き残り、マッケンジー大佐。アメリカ軍が政治の混迷でグダグダになる中で、今なお現場で怪獣と血みどろの戦いを続けている、数少ない「本物の軍人」の一人だった。その鋭い眼光には、周囲の試作兵器の墓場に対する激しい嫌悪と、未だ衰えぬ闘志が宿っている。
「用件は何だ、海軍。私は一介の民間輸送船の雇われ船長だぞ」
阿澄はタバコを咥えながら冷たく返した。
「あんたが空軍の生き残りだからさ。直接聞きたかった」
マッケンジーは、緑色に光るサンフランシスコ湾の海を指差した。
「俺たち海軍は、あの大国アメリカが機能不全に陥ろうとも、海を化け物どもに明け渡したまま死ぬ気は毛頭ない。陸に上がってくる小さな奴らを小出しに狩るだけの、あの腰抜けの『鉄の蟻』ドクトリンなど反吐が出る。……俺たちは、艦隊戦力を再編し、もう一度、艦隊であの青い海を奪い返すつもりだ。そのために、世界中の『戦う意志のある海軍』の生き残りを集めている。――そこで聞きたい。あんたら空軍の、空の職人たちの意志はどうなんだ? 海軍がもう一度海で決戦を挑むとき、空からの援護をしてくれる意志はあるのか」
マッケンジーの言葉は、狂気じみた、しかし純粋な海軍士官の熱血に満ちていた。
阿澄は咥えたタバコの煙をゆっくりと吹き出し、上空一万二千メートルの、どこまでも冷たく静かな雲海の上を見上げた。
「……マッケンジー大佐。空軍の意志(答え)は、最初から一つさ」
阿澄は不敵な笑みを浮かべ、胸のポケットの【孫の写真に触れた。】
「俺たちが高度一万メートルを飛ぶのはな、化け物が怖いからじゃない。奴らを上空から監視し、いつでもその脳天に一撃を叩き込むためだ。海軍が本気で地獄の底を這いずり回って泥を上げるって言うなら、空の職人どもがそれを黙って見ているはずがないだろう。……高度はいつでも下げてやる。海の掃除は、海軍だけの特権じゃない」
その言葉を聞いた瞬間、マッケンジーの厳つい顔に、子供のような、野性味溢れる獰猛な笑みが浮かんだ。
「ハッ……! 最高だな、空軍! その言葉が聞ければ十分だ!」
マッケンジーは大爆笑しながら、阿澄の肩を強く叩いた。
「よし、話は決まった。日本から運ばれてきたあの遊弋型ドローンの技術、あれは海軍の反攻作戦にも不可欠だ。だが、肝心の日本の防衛省や上級司令部は、未だに陸の上での防衛戦に固執して、海軍の再編成に腰が重いと聞いている。……俺が直接行って、日本の頑固な上層部を説得してやる」
マッケンジーは振り返り、後方に待機していた旧時代の一世代前の海軍の長距離プロペラ航空機へと歩き出した。現在、ジェット燃料は逼迫し、国際航路の往来はほとんど途絶えている。その中で、彼は命を賭して空路、日本へと向かうつもりなのだ。
「俺だけじゃない。大西洋艦隊の生き残りも、ヨーロッパのイギリス海軍やフランス海軍、そして中国海軍の残存戦力を説得するために、今この瞬間も世界中へ飛び立っている。もう一度、人類の軍隊としてのプライドを取り戻すためにな!」
マッケンジーは航空機のハッチに手をかけ、最後に一度だけ阿澄を振り返って不敵に笑った。
「アズミ艦長。次に会う時は、雲の上じゃない。あの化け物どもの血で染まった、本物の青い海の上だ!」
爆音を響かせ、一機の航空機がサンフランシスコの歪んだ廃墟を飛び立ち、極東の日本へと向かって針路を取った。
政治の腐敗、兵器の迷走、そして世界の格差。そんな泥沼の絶望の中でも、かつて海にプライドをかけた軍人たちの熱い灯火は、決して消えてはいなかった。彼らの執念が、今、世界中の海軍の生き残りを巻き込み、再び「海を取り戻す」ための巨大なうねりへと繋がり始めようとしていた。
阿澄は、飛び去っていく飛行機雲を何かに耐えるかの様に静かに見つめながら、再び『アトランティスⅦ』の艦橋へと戻る足を速めた。




