引き裂かれる世界と冷徹な天秤
冷徹な天秤
極東の相模湾沿岸で始まった「徘徊型ドローン」の開発や、12式地対艦誘導弾の大規模な増産体制への移行。それは、怪獣という名の絶対的な富と絶望によって、世界地図が残酷なまでに再編されていく大激動の一幕に過ぎなかった。
地球は今、かつてない「大不平等」の時代を迎えている。
もっとも歪んだジレンマに直面し、呻き声を上げているのは、海を持たない内陸国だった。
彼らは海岸線から数百、千キロメートル離れた内陸部に位置するため、怪獣の上陸による直接的な破壊や、レーザーによる都市の蒸発といった悲劇とは無縁だ。しかし、それは同時に、新時代の超新素材であり、国家の技術革新を何十年も進める推進剤でもある「怪獣資源」を、自力で獲得する手段が皆無であることを意味していた。
沿岸国が怪獣の強靭な甲殻から次世代の新世代の物質を生み出し、その血肉から超高効率のバイオ燃料を精製してクローズドな超経済圏を確立していく中で、内陸国は完全に取り残されつつあった。
「このままでは、沿岸国との国力差は開く一方だ。怪獣の被害がない代わりに、我が国は技術の家畜になるというのか」
内陸国の指導者たちは連日、国連の無意味な議場で不満を爆発させていた。生き残るため、彼らは自国が保有する旧来の希少金属や伝統的な化石燃料、あるいは農作物といった「旧時代の富」を、沿岸国が独占する怪獣資源と、血の滲むような一方的で劣悪なレートで交換せざるを得なくなっていた。
さらに悲惨なのは、交換すべき富すら持たない、アジアやアフリカの貧困な内陸国だった。
彼らには、世界が喉から手が出るほど欲しがる新素材を買う資金も技術もない。そこで彼らが打ち出した最悪の貿易材料――それこそが、自国の若者たちの「命」であった。
怪獣との戦いで戦力を極限まで擦り切らせ、慢性的な兵員不足に陥っている沿岸国や、軍事力を持たない小国に対し、彼らは自国の正規軍を「対怪獣傭兵」として大量に輸出するという手段に打って出た。
「カテゴリー1の足止めなら、我が国の歩兵大隊が肉の壁になります。その代わり、仕留めた怪獣の神経核を数パーセント、我が国に分けていただきたい」
人の命が、怪獣の肉片や体液と等価で取引される、狂った命のトレード。かつての国際人道法など、怪獣のメガワット級レーザーの前に一瞬で消し飛んだ防壁のごとく、何の意味もなさなくなっていた。
だが、海を持っている大国がすべて幸福かと言えば、決してそうではなかった。
自由主義陣営の盟主であるはずの超大国アメリカ合衆国は、今やその広大すぎる海岸線という名の「呪い」によって、内部から自壊しつつあった。
「また西海岸にカテゴリー2が浸透した! サンタモニカの沿岸工業地帯が半分溶けたぞ! 太平洋艦隊は何をやっている!」
ワシントンの国防総省の作戦室では、連日、怒号と悲鳴が飛び交っていた。アメリカの東西に広がる海岸線は、世界最強を誇る米軍の総力を以てしても、物理的にカバーしきれないほど長すぎた。海を本来の縄張りとする怪獣たちは、こちらの防衛網の隙間を嘲笑うかのように侵入してくる。カテゴリー1の小規模な上陸のみならず、時には数十メートル級のカテゴリー2にまで沿岸都市への侵入を許し、その都度、一国家の国家予算に匹敵するほどの天文学的なインフラ被害を出していた。
だが、軍を何よりも疲弊させていたのは、怪獣そのものよりも、ホワイトハウスを包み込む「政治の狂乱」だった。
被災した地域の地元議員たちは、自らの票田と支持基盤を守るため、巨大な防衛予算の分配を巡って猛烈なロビー活動を展開していた。
「我がカリフォルニア州の防衛線を最優先せよ」「いや、東海岸のニューヨーク港にカテゴリー3の熱源が接近している、大西洋側に予算を回せ」
議員たちのエゴとロビー活動に引きずられるように、合衆国政府の方針は二転三転し、軍の防衛計画は一貫性を失って混乱を極めた。現場の部隊は、ホワイトハウスからの気まぐれで矛盾に満ちた命令に振り回され続け、まともな迎撃体制を維持することすらままならない。
それは兵器開発の現場も同様だった。
利権を貪ろうとする巨大軍需産業(重工メーカー)が、それぞれお抱えの政治家を通じてペンタゴンに圧力をかけるせいで、対怪獣兵器の開発計画は完全に迷走していた。
「陸軍主導のレーザー迎撃戦車計画」「海軍主導の対怪獣超大型魚雷開発」「空軍の超高高度爆撃ドローン構想」――。
無数の開発計画、無数の改良計画が乱立しては、巨額の予算を食いつぶし、実戦配備に至らぬまま政治の闇に消えていく。巨大でありすぎるがゆえに、アメリカはその足元から機能不全に陥り、世界をリードする力を失いつつあった。
そして、世界地図を見渡せば、すでにいくつかの国名が実質的に消滅し、ただの「地名」へと変わり果てている凄惨な現実があった。
もっとも凄惨な運命を辿ったのは、国土のすべてが広大な海に囲まれていながら、防衛のための人口があまりにも少なすぎたオーストラリア、そして寒冷な北方の広大な海から絶え間ない襲撃を受け続けたカナダ、さらには四方を海に開かれた無数の小さな島国国家だった。
オーストラリアは、沿岸の主要都市であるシドニーやメルボルンが、次々と押し寄せるカテゴリー1の波と、それを追うように現れたカテゴリー2の成獣のレーザーによって完全に焦土と化した。内陸の広大な砂漠地帯には怪獣は入ってこないが、そこには都市を維持するインフラも水分もない。国家としての統治能力は数年前に完全に崩壊し、かつてオーストラリアと呼ばれた大陸は、今や各地の軍閥や資源回収業者が乱立する、檻なき未開の荒野と化していた。
カナダも同様だった。凍てつく北極海から南下してくる怪獣の群れに対し、長い海岸線を守るだけの兵力が決定的に不足していた。主要な港湾都市は悉く蹂躙され、生き残った政府高官と数百万の難民は、アメリカ国境を越えて内陸部へと命からがら逃げ延びるしかなかった。いまやカナダという国家は、書類上の存在に過ぎない。
世界は、怪獣という全人類共通の絶望的な敵を前にしても、決して一つに結束することはできなかった。
それどころか、地理的な条件と国力によって、奪う者と奪われる者、生き残るために命を売る者と、その命を買い漁る者へと、冷徹に、そして決定的に引き裂かれ始めていた。
中央指揮所のマルチスクリーンに映し出される、緑色に怪しく燐光を放つ地球の姿。それは、人類という種の限界と、これから訪れるさらに深い闇を予感させるに十分な、冷たい光を放ち続けていた。




