ピュロスの勝利
遂に追い詰めることに成功したが陸に空に既に部隊は居ない
神をも穿つ、鉄の城
大和、長門、そしてアメリカ海軍が誇るアイオワ級――。
日米の誇りをかけた、合計二十隻余りの戦艦群が、エンジンを限界まで唸らせて白波を蹴立てていた。
現代の艦隊戦における常識は「単縦陣」での一列縦隊だ。しかし、いま目の前にいる絶望を前に、常識など何の意味も持たなかった。日米連合艦隊が選択したのは、まるで16世紀のガレー船による衝角突撃を彷彿とさせる、前代未聞の「三列横隊」だった。
戦艦群のわずか前方。
文字通りの「梅雨払い」を務める駆逐艦と巡洋艦の群れが、横一列に広がりながら主砲を乱射していた。咆哮を上げる火線が、水際へと迫る巨大生物の足元に、凄まじい水柱の壁を作り出していく。
海軍がそのプライドのすべてを賭けた、巨砲の列による『最初で最後の突撃』が、いま始まった。
「全艦、面舵、あるいは取舵! 弾幕を維持しつつ、左右に散れッ!」
水際の一歩手前。突撃の先頭に立っていた巡洋艦隊は、怪物の目前で文字通り左右へと裂けるように回頭を始めた。激しい弾幕を張りながら、戦艦群の後方へと全速力で抜けていく。
彼ら駆逐艦たちの真の役割は、怪物が放つあの最悪の「熱線」に対する、命を賭した『囮』に他ならなかった。
すべては、二十隻の戦艦群を、あの怪物の至近距離まで生きて接近させるため。
「作戦成功! 全戦艦、至近距離より撃てぇッ!!」
距離はゼロに等しい。全戦艦の巨砲が一斉に火を噴いた。
天地を震わせる爆音とともに、無数の大口径砲弾が怪物の巨体に突き刺さる。爆炎が怪物を包み込み、さすがの怪物もこれまでかと思われた。
だが、地獄の底から響くような咆哮が、爆炎を吹き飛ばした。
怪物は前後に、左右に、肉体を激しく揺らしながら、最後の力を振り絞るようにしてその顎を開いた。
――熱線放射。
過去のそれと比べれば、光は弱く、放射時間もはるかに短い。
だが、至近距離で放たれたそれは、艦隊に壊滅的な爪痕を残した。
先頭の左側を疾走していた駆逐艦『雪風』、そして軽巡洋艦『クリーブランド』が、一瞬にして光の中に消え、轟沈。
さらにその後方から突入を試みていた『長門』以下、日米の戦艦六隻が、大爆発を起こして大破、あるいはそのまま海中へと没していった。
悪夢は終わらない。奔流となった熱線は、運悪くその正面に位置していたアイオワ級戦艦三隻を直撃する。
「司令部が……アイオワ、ミズーリ、ウィスコンシン、全艦消滅!」
「艦隊司令部消失! 司令官、戦死ッ!!」
悲鳴のような報告が飛び交う。指揮系統は完全に瓦解した。しかし、生き残った艦船は、爆炎の中で狙いも定まらないまま、ただひたすらに出鱈目な砲撃を撃ち続けた。引き下がる道など、どこにもないのだ。
いよいよ怪物が水面に入った。
腰まで海に浸かった怪物の全身から、凄まじい熱が放出される。海水が一瞬で沸騰し、周囲一帯に視界を遮るほどの白い水蒸気が立ち昇る。
だが、無理な放射の代償は怪物にも現れていた。熱を放ちすぎた口はどろどろに溶け落ち、胸部は幾千のハンマーで殴られたかのように大きく凹み、不気味に赤く輝いている。
「――面舵一杯! このまま突っ込むぞ!!」
その白い霧を引き裂き、怪物の右斜め横から突入する巨体があった。戦艦『ヤマト』である。
艦橋の窓から、ただひたすらに前を睨み据える藤堂艦長の顔には、獰猛なまでの笑みが浮かんでいた。
五臓六腑を焼くような緊張感の中、藤堂の胸中にある思いは一つだけだった。
(この戦いで……ヤマトの名誉は、我ら海軍の誇りは、必ず守られる!)
「最大船速ゥッ!!」
ズ、ズズズンッ!! と、骨を揺らす衝撃。
『ヤマト』の艦首が怪物の脇腹へと深く突き刺さる。その凄まじい質量と推進力のまま、『ヤマト』は怪物を引きずり、砂浜へと激しく乗り上げた。
怪物を陸地側へと押し戻すことには成功した。だが、まだ足りない。怪物の生命力は、これでもまだ途絶えていなかった。
舳先に突き刺さった怪物を至近距離で見上げながら、藤堂は冷徹に状況を計算していた。
「主砲の仰角が足りん。これ以上、怪物を離しての砲撃は不可能か……!」
『ヤマト』が近すぎる。これでは、後方にいる他の艦たちが援護の砲撃を撃ちたくても、同士討ちを恐れて撃つに撃てない。
ならば、後進をかけて一度離脱するか?
いや、砂浜にこれほど斜めに深く乗り上げてしまっては、いかに『ヤマト』の機関をもってしても、離水は叶わないだろう。
(ならば――手は一つしかあるまい)
藤堂の目が鋭く光った。
「一番砲塔の弾薬庫を、自爆させる」
「艦長!?」
「一番砲塔が爆発すれば、その衝撃で怪物は陸地側へと吹っ飛ぶ。そうなれば、後方の艦隊が主砲で奴を押し戻しつつ、一斉砲撃で粉砕できるはずだ。艦の前半部が消し飛べば、他の艦もヤマトに遠慮なく撃ち込める!」
これ以上の生還ルートはない。藤堂は即座に通信機を掴んだ。
「爆破準備! 同時に、艦前半部の乗員は直ちに後方へ移動せよ!」
その時だった。
正面の怪物が、不気味にその胸の赤光を激しく輝かせ始めた。あの、熱線放射の準備動作だ。
「艦長、奴の胸部に熱エネルギー充填! 避難が間に合いません!」
「くっ……!」
藤堂の奥歯がギリ、と鳴る。避難を待っていては、自爆する前に『ヤマト』ごと熱線で蒸発させられる。苦渋の、血を吐くような決断が藤堂の口からこぼれた。
通信機のスイッチを入れ、一番砲塔の地下深く――弾薬庫で爆破準備の指揮を執っている男の名を叫ぶ。
「一番砲塔指揮官、南郷――!!」
静まり返る通信機の向こうから、「はっ、南郷です」と、すべてを察したような落ち着いた声が返ってきた。
藤堂は拳を血がにじむほど強く握りしめ、魂を絞り出すように命じた。
「……今すぐ爆破せよ。すまん……っ!」
「……今すぐ爆破せよ。すまん……っ!」
通信機を叩きつけるように置いた藤堂艦長は、すぐさま全艦放送のレバーを掴み、喉がちぎれんばかりの声で叫んだ。
「全艦、対ショック姿勢!! 来るぞッ!!」
艦長自身は、衝撃に備えて身を屈めることさえしなかった。ただ艦橋の窓に両手を突き、眼前に迫る怪物の、爛々と輝く胸部を呪詛を込めて睨みつけたままでいた。
爆破と、熱線放射は、完全に同時だった。
ドゴォォォォォォンッ!!!!
世界が真っ白に染まった。
『ヤマト』の一番砲塔弾薬庫が放った大爆発と、怪物の至近距離からの熱線が正面衝突し、すさまじいエネルギーの奔流が巻き起こる。その荒れ狂う嵐は、『ヤマト』の上甲板から上の構造物を、刃物で切り落としたかのように一瞬で、無残に叩き壊していった。
だが、命を賭したその爆炎は、確かに奇跡を起こした。
一番砲塔の自爆による凄まじい前方への推進衝撃と、怪物が放った熱線の凄まじい発射反動。この二つの狂暴なエネルギーが複合作用を起こし、怪物の巨体を完璧に捉えたのだ。
ズズズズズ……ドォォンッ!
あの巨大な怪物の足が砂を割り、海岸線から実に五十メートルも後方へと押し戻された。
その瞬間、帝国海軍、そして作戦に参加したすべての艦艇は、自らに課せられた最難関の任務を完全に遂行した。
「ヤマトの名誉は……我ら帝国海軍の汚名は、いま雪がれた……!」
「――ヤマトが道を拓いたぞ! 続けっ! 撃てぇぇぇッ!!」
すぐさま、生き残った戦艦群の主砲が一斉に火を噴いた。
怪物の前に立ち塞がる『ヤマト』の障壁はもうない。遮るもののない至近距離から、日米の巨砲が狂ったように連射される。
ドガガガガンッ! ボォンッ!!
何百発という大口径砲弾が、怪物の凹んだ胸部、溶け落ちた顎へと容赦なく突き刺さる。
ついに力尽きたか、あれほど圧倒的だった怪物の身体が、内側から崩壊を始めるようにメリメリと音を立てて崩れ始めた。
「仲間の仇だ……!」
「どのような犠牲を払おうとも、ここで絶対に討ち果たす!!」
砲術員たちは涙を流し、血を吐きながら装填を繰り返した。
生き残った戦艦群の執念は、それだけにとどまらなかった。彼らは怪物の最後の悪あがきによる入水を防ぐため、自らエンジンを最大出力にして浅瀬へと突っ込んだのだ。
ザザザァァッ! ズズンッ!!
次々と砂浜へ乗り上げていく巨大な戦艦たち。彼らは自らを動かぬ「鉄の壁」と化し、怪物の退路を完全に塞ぎ、包囲網を完成させた。鉄の城たちが、怪物を文字通り陸地へと圧し潰していく。
砲撃が止んだ。
巻き上がった濃い水蒸気と黒煙が、潮風に吹かれてゆっくりと晴れていく。
そこには、もうあの怪物の姿はなかった。
あるのは、無数の砲撃によって徹底的に穿り返され、形を変えた砂浜と、そこに点々と転がる、炭化して黒っぽくなった怪物の残骸だけだった。静寂が、戦場を包み込む。
生き残った最先任の指揮官が、震える手で臨時の通信機を掴み、後方の予備司令部へと回線を開いた。
「……こちら、砲撃艦隊」
息を呑む予備司令部のオペレーターたちへ向けて、指揮官は万感を込めて告げた。
「艦隊は任務を果たした。怪物の完全沈黙を確認。状況は最終段階と判断する。――これより工兵隊を派遣してくれ。繰り返す、工兵隊をよこしてくれ。……以上」
誇り高き鉄の城たちの、長きにわたる戦いが、いまここに幕を閉じた。
『ヤマト』の残骸を取り囲むように、幾重もの黒煙が天へと立ち昇っていた。
上甲板から上の構造物をすべて熱線と自爆の衝撃で削ぎ落とされたその姿は、かつて世界最大と謳われた戦艦の面影を留めておらず、ただ砂浜に突き刺さった巨大な鉄の墓標のようであった。
やがて、静まり返った波打ち際に、通信を受け取った救援部隊と工兵隊の舟艇が次々と到着する。彼らが目にしたのは、徹底的に破壊し尽くされた『ヤマト』の、ねじ切れたハッチから這い出てくる、泥と油にまみれた数少なき生存者たちの姿だった。
生き残ったのは、藤堂艦長でも、一番砲塔の南郷でもなかった。
艦の最深部、幾重もの強固な装甲に守られた「機関室」にいた、ごく少数の乗組員たちだけだった。
彼らは、まばゆい太陽の光に目を細めながら、かつて自分たちの頭上にあったはずの、誇り高き巨大な艦橋も、世界に並ぶもののない三連装主砲も、すべてが消失している現実を突きつけられた。生還は不可能と知りつつ爆破を急いだ南郷たちの、そして最期まで艦橋を離れなかった藤堂館長の遺品すら、そこには残されていなかった。
工兵隊の肩を借り、変わり果てた砂浜に足を踏みろした若き機関兵は、振り返ってその鉄の残骸を見上げ、ただ声を上げて泣いた。
帝国海軍の汚名は雪がれた。ヤマトの名誉は守られた。だが、その代償はあまりにも、あまりにも大きすぎた。
日米が誇った二十隻余りの戦艦群のうち、五体満足で浮いている艦は一隻として存在しなかった。自ら砂浜に乗り上げ「鉄の壁」となった姉妹艦たちも、二度と海へ戻ることはないだろう。海軍がそのプライドをかけて挑んだ『最初で最後の突撃』は、確かに人類を破滅から救った。
しかし、それは同時に、巨砲の時代の完全なる終焉を意味していた。
穿り返された海岸線に転がる怪物の黒い残骸を、世界中の人々は勝利の証として称えるだろう。けれど、失われた数万の命と、海に沈んだ鋼鉄の城たちの数を思えば、この戦いはあまりにも凄惨な、ピュロスの勝利であった。




