7・
大正七(1923)年九月
「かなり酷い被害になっているな」
「いくら叫んでいても、実感しなきゃ対策なんか進まないからな。俺たちだって、東日本大震災を知っているから理解していただけだ」
前々から深山や東山が予言していた関東大震災が発生したことに、多くの政治、軍事関係者は驚愕する事になった。
この頃には、明治帝をはじめとする5人と関わった初期メンバーの多くが亡くなり、彼らが予言した大地震に懐疑的な者たちが多く、よくある小説の様な減災対策や事前準備が疎かになっていた。
唯一、10年来慣例となっている軍の演習は続いており、迅速な災害支援や救助が出来たのは救いであったが、下町における火災をはじめとする災害は防ぎきることは出来ず、8万人近い犠牲が生じている。
「ま、起きちゃったモンは覆せないっしょ。それよりも、早く扇動屋の対策はしてもらわないとなぁ」
転移前に何かあったのか、奥山のマスメディアへの反感はかなり強く、自由や権利を重視している深山、東山とは温度差があった。
「まあ、米騒動の時もそうだったけど、奥山の言う通りかも知れない」
東山は、苦笑しながらそう賛意を示す。
大正三(1919)年に起きた米騒動。史実よりも被害は少なく、収束も早かったものの、新聞による捏造報道による打ち壊しが発生し、史実同様に鈴木商店が標的とされていた。
「併合してないから、在留人数は少ないはずなんだが、やっぱり起きたのか」
深山も、ため息をつきながらそう言う。
この世界では日韓併合は行われず、半島からの来日人数はかなり抑制されてはいたが、ゼロではない。
史実より経済成長が進み、一見豊かにはなっているが、当然ながらより利益を求める者、人手不足に困る者は存在する。
さらに史実との違いもあって、大韓帝国が存続しているので半島には著しい身分格差が残り、日本の官憲が取り締まる事が無かったので奴隷も未だ存在する。
深山や東山は『日韓併合さえしなければ、半島から日本への流民を抑制できる』と楽観視していたが、甘かった。
両班と興亜論者はさらに地下で深く結びつき、半島内で傍若無人に振る舞い、さらなる利益を求める者が日本へと奴隷を密輸していたのである。
さらに、興亜論対策として脱亜入欧を拡めた結果、大陸、半島への興味を失うに留まらず、排外的な考えを持つ者を増やしてしまっていた。
そうした世相を巧く泳ぐメディアは、『関東大震災の混乱に乗じた韓人暴動』というネタを書き立てた。
その報道に過剰反応した人々によって、関東とはイントネーションの異なる方言を聞いただけで、各地で騒動が起きたりもした。
「マスゴミなんてそんなモンしょ。だから規制が必要って言ったじゃん。戦争扇動に戦後の親ソ洗脳、親中歪曲。挙げたらキリの無い連中じゃん」
奥山は強硬に規制を主張するが、深山や東山はそこまでする必要は無いと感じていた。
「なあ、放送法の免許さ、報道免許って奴にして、記者や編集長を個別に処罰対象にすれば良くないか?」
ラジオ放送の開始と共に整備された放送法を持ち出し、小宮山もそこに加わる。
「そんな事したら、余計に統制がヤバくなるだろ」
東山がそう否定する。
「統制に利用されないようにするのは、俺らが考える事じゃない。メディア自身の行動次第だよ。傍若無人を『報道の自由』なんてシラ切る様な奴は必要ない。責任と保護を両輪でやれば良いんだ」
小宮山の提案は、奥山の様な一方的な断罪ではなく、メディアに報道責任を負わせる分、正当な報道はしっかり保護する事を主眼とするものだった。
「報道を管理、保護するって、大丈夫か?」
深山も疑問を呈する。
「それってさ、ジャーナリズム学も加えたら良いんじゃない?確か、日本にはジャーナリズム学が無いから誰でも報道機関に入れて、そう言う人が何も知らないままに無茶苦茶やって来たって話があったと思う」
鞍山も議論に加わり、そう提案した。
「俺たちだけで話し合っても仕方がない。伊藤さんや権兵衛さんに話を持っていこう」
こうして、話は元老や政治家へと渡る。
関東大震災の発生により、5人の発言力は幾分か回復されており、その提案は政策へと反映される事になった。
深山や東山が抑制を求めたものの、報道扇動は治安維持法に加えられ、暴動や事件に際しては報道機関の責任が問われる事になる。
その結果、思想の左右を問わず半島の犯罪への関与が疑われる報道関係者が次々と逮捕される事件が頻発する様になり、芋蔓式に興亜論者にまでその影響が及ぶ事になるが、それは5人の預かり知らない話であった。
大正七(1923)年十月
「何だと?」
総合科学研究所の研究成果を海軍へと示す席上、海軍軍人が深山を睨む。
深山は電気電子工学技術者として、しっかりこの世界の歴史改変を進めていた。
鞍山の自動車がル・マン24時間レースでクラス優勝したのも、深山が開発した信頼性の高い点火装置あっての話である。
そして、深山はこのほど世界に先駆け、音響誘導装置の開発に成功していた。
「この装置が実用化されることで、魚雷は数を撃つ時代ではなくなります」
深山は再度、そう言葉にした。
「射線の多さこそが攻撃力を高めるんだ!バカか貴様は!」
海軍軍人が吠える。
「射線の過多は、誘導の邪魔になるだけです」
深山も負けじと応じた。
深山の開発した音響誘導装置を長魚雷に適用した場合、従来よりも遥かに少ない魚雷で敵を撃破可能となるという試算を示したのだが、海軍軍人はそれがお気に召さないらしかった。
「魚雷が自ら向きを変えて敵を定めて進むなど、噴飯物だ。寝言は寝て言え!」
「では、まだ実験装置の段階ですが、水槽にて実演してみましょう」
海軍軍人の怒りなどどこ吹く風と、深山は実演を提案し、参加者を水槽施設へと誘う。
「ふん!水雷戦を知らん素人が」
海軍軍人は水槽施設でもそう呟いていたが、深山は実験の説明を始める。
「何処へ撃っても当たるなどと言う魔法の様なものではありません。音を拾える範囲は限られるため、装置の起動は攻撃前に命中予測時間から導きだし・・・・・・」
音響誘導装置は遠距離から目標の音のみを捉え、追跡する様な機能がある訳ではなく、一定の範囲に到達した時、近くの音を拾い、音源へと向きを変える仕組みになっている。
説明が終わり、水槽には敵艦を模した模型が浮かべられ、 ミニチュア魚雷が発射される。
動く模型船に対し、やや外れた射線だった。
「模型すらマトモに扱えないのか。方位も速度も分かっているだろうに」
海軍軍人がそう貶す。
その間にもミニチュア魚雷はスルスルと進み、模型船の後方に差し掛かると針路を変え、模型船へと吸い寄せられるように進みだした。
「な!何だと」
海軍軍人は驚き
「いや、仕掛けがあるんだろう?」
「はい。音響センサーが反応し、針路を変えました」
深山はすかさずそう答える。
納得しない海軍軍人は自らミニチュア魚雷を撃つ事までやって、ようやく理解したらしく
「こんな事が出来るなら、無駄に多数の魚雷を流す必要がなくなる・・・・・・」
そう驚くのだった。
この報告会の後、軍令部は艦政本部へ示していた史実の特型駆逐艦の要求仕様を取り下げてしまう。
その後もしばらく、個別の関係によって藤本喜久雄が重雷装駆逐艦の仕様を纏めていたのだが、軽巡洋艦の不足に伴う水雷戦隊の旗艦確保という目の前の問題に直面した軍令部の意向に従って、重雷装を改め、艦橋を大型化した嚮導駆逐艦へとその姿を変貌させることとなった。
この事は日本駆逐艦史を大きく改変する事へと繋がっていく。
史実においては重雷装化が突き詰められた結果、後の初春型ではトップヘビーが問題となり、是正措置が取られることになるのだが、この世界においては誘導魚雷に魅了された海軍の戦術転換によって、特型駆逐艦は姿を現すことなく、吹雪型は軽巡に代わる水雷戦隊旗艦へと姿を変え、主力となる駆逐艦は基準排水量1500トンで設計され、三連装魚雷発射管2基という大人しい仕様の東雲型が建造されていくことになる。
それは、ロンドン海軍軍縮条約の歪な駆逐艦規定が消滅することへと繋がった。




