第5話 親子団欒
萌子は人差し指をクルッと回転させて、印を結び、軽やかにタクトを振るう。
立ち所に、絡まった木々の枝が、生き物のように動き出し、ルナの身体を包み込むと、地面に優しくリリースした。
ホッと一息、小さく伸びをし、ルナは加奈の前に立って、
「加奈。貴女の旅路は、私達が必ず護りますわ」
礼儀正しく一礼すると、
「ありがと、ルナ!」
加奈は人語を解するルナに、会話が出来る嬉しさで、小さな肉球を触って握手すると、全身で喜びを表現した。
「さ、戻りましょう」
萌子は自分の近くに来るよう、二人を促すと、加奈はルナを抱っこして、萌子の腰に、ギュッとしがみつく。
萌子は目を閉じ、魔法を再び詠唱すると、一瞬にして、自宅のリビングダイニングに。
「すごい、すごーい♪」
加奈の楽しそうな顔を見て、萌子は、
「さ、今日はもう寝ましょう」
次の満月までの三十日間、限りある時間を大切に過ごすため、萌子は出来る限りの思い出を残そうと、一人、胸の内で考えていた。
自分が生まれ育った世界は、加奈が思っているような、メルヘンな世界とは異なり、前時代的な戦争や、種族間の不文律が、目に見える交渉、水面下の駆け引きなどで、拮抗した危うい世界。
現在で言えば、国家間のゼロサムゲームのように、悠久の時代から、それは繰り広げられていた。
そんな世界へ旅立とうというのだ。
心穏やかな気持ちで、赴こうという心境ではなかった。
「ママ、先にベッドに行くねー」
加奈にとっては、USJにある、ハリーポッターのアトラクションへ遊びに行く、という程度のテンションであったが。
布団に入り、加奈を寝かし付けると、一人、天井を見て、
「……」
不安な気持ちに、押し潰されそうな自分を必死に奮い立たせ、目を閉じる。
だが、すぐには眠気は来ず、寝返りを何度も打った。そんな萌子に、
「大丈夫ですわ」
小さく、だが力強い言葉で、ルナが枕元に立つと、
「……私に護れるかしら」
加奈を力強く抱き、自分が守ると説得した萌子とは思えない、少し弱気な彼女に、
「ご自分のことは、己にしか解りません。他者に、その道筋を委ねる危うさ、貴女自身、よく解っているはずですわ」
優しさなど無用、その凜としたルナの言葉に、
「ふふ、相変わらず、ね」
フーッと、深呼吸をして、ルナに視線を向ける。
その目には、先程までの、優柔不断な態度は消え去り、母として、そして、一人の女性としての気概に満ちていた。
「セレーネ、私達の旅路に、幸多からんことを」
「多からんことを」
二人の心がシンクロし、互いの想いを共有すると、深く、穏やかな眠りへ。
それから三人の毎日は、とても当たり前で、ユックリした時間のなか、この世界を惜しむように、一つ一つの出来事に感謝し、普段通りでいられる時間を大切に過ごしていた。
そして、ついに満月の夜となった。
萌子の魔力の貯蔵量は、この夜にピークを迎えるよう、細心の注意を払い、万全の準備は出来ていた。
あとは、その全魔力を行使して、オネイロスゲートを開けるだけだった。
だが、その前に、
「加奈ちゃん。パパ、もう少しでお仕事終わるって♪」
「うん!」
テレビの前で、萌子と加奈がソファに座り、未発表のICTを利用した通話システム『バベル』と、ARデバイス『サイクロプス』を装着した状態で、マリクの帰宅を待っていた。
テレビのカメラレバーには、専用のアタッチメントが装着されており、二人のデバイスからは、赴任先のマリクの居室が映し出されていた。
ガタッと扉が開き、部屋の電気が点くと、季節外れの、サンタクロースの格好をしたマリクが、陽気なダンスを踊っていた。
「パパー!」
元来、人を楽しませるのが大好きなマリクは、通話する度に様々な衣装で、二人を驚かせようと、アニメのコスプレから、怪獣の着ぐるみまで、ジャンルに拘らない、面白い格好で二人を楽しませることが、マリクの日課であった。
「おお、加奈、元気してたかー♪」
AR越しに、加奈の頭をポンポンと叩く。
その手触りは、リアルタイムで加奈に伝わる。
サイクロプスの目玉機能である、視聴覚間相互作用による、クロスモーダル現象を利用した技術によって、擬似的に、本人の体温や皮膚感覚を、ダイレクトに共有することが出来るシステム。
マリクが責任者となり、会社の一大プロジェクトとして開発された、先進技術の一つが、このサイクロプスだ。
「パパ、くすぐったーい♪」
マリクは、加奈を思いっきりハグして、脇腹をコチョコチョと擽る。
加奈は顔を真っ赤にして笑い転げ、
「マリク」
「よお、萌子、今日もキュートだな」
そう言って、萌子の唇に軽くキスすると、
「ママばっかり、ずるーい!ボクもー」
唇を突き出して、アヒルのように催促する加奈に、
「ラブだぜ!」
加奈の額にキスし、親指を立て、キメポーズ。
一頻りじゃれ合い、ソファに座って、
「マリク、ちゃんと食べてるの?」
その質問に、
「ああ。こっちの食材は、変わったのが多くてなー、ドンドン新しい料理、作ってるぜ♪」
主夫としても、その才能を遺憾なく発揮している彼に、萌子は安心して、
「こっちも大丈夫だから。マリクも、あまり無理しないでね」
その言葉に、
「ああ、萌子もな」
短い言葉だったが、全てを見通すような、真摯な眼差し。
萌子の覚悟を、誰よりも、大きなハートで受け止めていた。
「うん。ありがと、あなた」
加奈に見えないよう、ソッと涙を拭い、家族団欒の時間は、あっという間に過ぎていった。




