三十九話 『図鑑に載っていない魔物』
セズールとアンヘルが一騎打ちを始めたころ。
獣人族の援軍を擁したカミラ一行は、白狼の背に乗り帰路を急いでいた。
そのカミラに、エルフの一人が慌てた様子で近寄る。
「カミラ様!村より連絡が…!」
そしてカミラはセズールが戦場に現れたと報告を受ける。
「さすがに慎重だったな、一日様子見に使うとは。まあ、こっからは時間との戦いだ。」
「ハッ!目的地に向かい、各中継地点のものと連絡を続けております!引き続き進路を案内いたします!」
伝令役のエルフとカミラの会話を、耳をそばだてて聞くものがいた。
ドラフの配下にして第二の眷属、モラニである。
虎頭の獣人はその様子を伺いながら、思索にふけっていた。
(やはり、彼らは安全な道を知っている。これもエルフ族の魔力感知の賜物か…)
獣人族とオーガ族の領土の境界。その間には、どちらの土地でもない、いわゆる空白地帯があった。両軍がその土地を進行しない理由は一つ。
正体を誰も知らない、ネームドレスと呼ばれる強力な魔物。
その縄張りがあるのだ。
その魔物は空白地帯の外に出ることはなく、何かを守るかのように徘徊を続けている。
「カミラ殿。」
先を急ぐカミラに声をかける。
「ああ、モラニさん。今回の件、恩に着るよ。」
話しかけられ、カミラはそう反応した。
その言葉に、モラニは軽い会釈で返す。
(…ドラフ様からの命は南方のエルフ族をオーガ族から守り抜くこと。だが、場合によっては-ー)
モラニはドラフの言葉を心中で反芻した。
『もしエルフ共が烏合の衆だったら、モラニ、分かってるな?私達に一番必要なのは南方への安全な移動ルート。それさえ分かれば、後は用なしだ。』
モラニはカミラから溢れ出るオーラ、そしてその魔力を改めて確認した。
強い。一介の魔物としては十分すぎるほどの魔力量。
だが、同時に自身の敵ではないことも、感覚で理解していた。
戦えば確実に、目の前の魔物を殺すことができる。それほどの実力差がある。それはカミラも理解しているだろう。
仮にエルフの集落にカミラ以上の実力者がいないのであれば、実質的な支配権をモラニが握り、獣人族の新たな領土とすることまで、ドラフ達は画策していた。
「此度の戦、敵将セズールは私が引き受けよう。幾度か刃を交えたが、その度逃げられてうんざりしていたところだ。」
「はは、そりゃあ頼もしい。」
モラニの言葉に、カミラも笑顔を返す。
軽い口調ではあったが、事実、モラニの実力はセズールに並ぶか、それ以上のものであった。
『裂牙』の二つ名で深層にその名を轟かす男の勇は、カミラでさえリュドガー伝いに把握していたほどである。
一人で何千の軍を相手取った、要塞を壊滅させた、など、一部噂に尾ひれがついたものもあるが、概ね正しい。
橙と黒の毛皮に覆われたその体軀は、獣の俊敏さと魔族としての強靭さを併せ持ち、 足取りには一切の無駄がない。獲物を狩る虎そのものの重心移動、呼吸のたびに波打つ筋肉、そのどれもが完成された機構のようだった。
それら全てが確かな実力をモラニから感じさせていた。カミラは悟られないように、ごくりとつばを飲み込んだ。
すると、様子をうかがっていたエルフが横から口を挟んだ。
「カミラ様!第三中継地点から連絡が!ここから、進路をやや西に修正いたします!」
先ほどから、エルフたちは細かく進路の変更を提案していた。
その様子を見たモラニが口を開く。
「例の魔物を避けるため、ですかな?しかしエルフたちの感覚には恐れ入ります。」
「おっしゃる通りで。いや、彼らがいなかったら、ここに来るまでに何度死んでいたことか。」
カミラは心底そう思っていた。各中継地点にいるエルフたちは密に思念伝達を行うことで、空白地帯の中に安全なルートを作成し、マテーラ村までのネットワークを構築していた。
「カミラ様!度々の報告失礼いたします…!進路を、僅かに東に修正すると!」
配下のエルフが再び報告を入れる。
その光景を眺めながら、ふと、モラニは疑問を感じた。
「ところでカミラ殿。敵将セズールとは、既に交戦状態にあると。村には、それに対抗できるような力を持つものがいるのですか?」
「…ああ、耐久力が売りのやつが一人…いや、一匹いますね。デカい狼なんですが。」
「ほう、それはぜひともお目にかかりたい。セズールと渡り合えるほどの実力者で…?」
「いやあ、流石にそれは厳しいでしょうね。」
カミラはどこか遠くを見るような表情でそう返した。
「まあざっくりとした見立てですが、スキルを駆使しても半日耐えればいい方でしょう。」
「…?いや、いまの速度で半日では、流石に村にまでたどり着けぬのでは…?」
疑問は、少しずつ困惑に変わる。
目の前の男は何を言っているのか。セズールが前線に出ているというのに、カミラからはさして焦りを感じられない。その事実がモラニには不自然に思えた。
「ええ、村までは、どれだけ飛ばしてもあと2日はかかります。」
「…?それではーー」
その後の言葉が続くよりまえに、異変が起こった。
先ほどから報告を続けていたエルフが、二人の間に割り入ってきたのだ。
その顔はどこか高揚しているように赤らんでいた。
「カミラ様!!」
ぞわりと、モラニの毛が逆立った。
戦場で幾度となく死線を潜り抜けてきたモラニの本能が、警鐘を鳴らしていた。
——このエルフの顔に、覚えがある。
開戦の直前、突撃を命じられた兵が浮かべる顔だ。生還を諦め、それでも前へ進むと決めた者だけが纏う、あの死に顔。
「間もなく目的地に到着いたします!目標ーー目の前!」
「…は?」
気づけば、辺りには不自然なほどの静けさが満ちていた。虫の声も、鳥の羽音もしない。ただ、空気だけが、粘りつくように重かった。
背後に控えていたモラニの精鋭百人――ドラフ直属の手練れたちも、その異様な静寂に気づいたのだろう。並んだ隊列の中に、目に見えて緊張が走った。
「モラニ様、これは……!」
副官格の獣人が声を上げる。
モラニの毛皮という毛皮が、粟立ったまま戻らない。 気配だ。今まで嗅ぎ分けてきたどんな強者とも違う、桁の違う圧が、すぐそこにいる。
「お、おい!これは一体――」
問いかけた声は、途中で凍りついた。 振り返ったカミラの顔に、先ほどまでの人懐こい笑みは欠片も残っていなかった。
「選択肢は、色々あったんだがな。」
静かな声だった。だが、その静けさが何よりも恐ろしい。
「これは援軍が間に合わなかった場合のーーいわばプランBだ。もっとも、アンタらがもう少しお人よしだったら話は違ったんだが。」
「な――」
「援軍ついでに、そのまま村を乗っ取るつもりだったんだろ?」
唖然とするモラニの前で、カミラはああいや、と言葉をつけ足した。
「ま、逆の立場なら俺だってそうするよ。」
カミラの瞳が、初めて本性を覗かせる。
「悪いけどさ。ーーアンタ、ここで一緒に死んでもらうぜ。」
その双眸は、狂気的な熱を帯びていた。
そして、その背後に――何かがいた。 姿形も朧げな、黒い影が。輪郭さえ曖昧な、けれど確かにそこに"在る"という、圧倒的な質量。木々をなぎ倒し、地面を軋ませるほどの気配が、カミラの後ろに、姿を現した。




