三十八話 『解放』
「うわあ…来ちゃったですぅ…」
開戦した翌日の朝。
地平の向こうに見えるオーガ族の軍の群れ。
その先頭に立つ、はちきれんばかりに立ち上る魔力を放つオーガを視界にとらえながら、プラムは思わずそう口走った。
「ふむ…正念場、ですなぁ、姉御。」
その横で同様に戦場を眺めていたアンヘルがそう言葉を返す。
「アンヘル、出る準備をしておいてくださいですぅ。それと…リュドガー。」
「はい。ここに。」
呼びかけられ、リュドガーはサクラのもとに近づいた。その背後には数百のエルフとドワーフの群れが、向かってくるオーガたちの群れを睨みつけている。
「思念伝達をカミラ様に。敵将が姿を現し、これより交戦に入る、と。」
「…承知した。カミラ殿から、最悪の場合も想定しておくように、と聞いております。」
「もちろんですう。」
そう答えると、プラムは体を伸ばし、それから大きな欠伸をした。
「ふわぁ…アンヘル、わたし昨日ので魔力空っぽなので、プラムと二度寝してくるですう。」
そう言われ、アンヘルは苦笑する。
「姉御?可愛い弟分を見殺しですかい?」
そう返せば、サクラは悪戯っぽく微笑んだ。
「冗談ですう。指揮はとってやるから、派手に死んでくるですぅ。」
「へえ、かしこまりました。」
軽い調子でそう言葉を返すと、アンヘルは腰を上げた。地平の奥に見えていたオーガ軍の姿は、気づけば近くまで迫っていた。
・・・
エルフたちの作り上げた粗末な防壁を視界にとらえると、セズールは身に宿す魔力を解放させた。
その圧はすさまじく、実体を伴った衝撃波を起こし、周囲には土煙が舞い上がった。配下のオーガの何人かが悲鳴を上げる。それすら意に介さず、セズールは遠くに見える防壁に向けて声を張り上げた。
「我こそはオーガ族第三の雄、セズールである!」
ビリビリと、地平中にその声が響き渡る。
「貴様らが行っているのは戦士の顔に泥を塗る行為だ!万死に値する!」
そう声を張り上げると、周囲のオーガたちは呼応するように声を張り上げた。
その様子を、サクラは冷ややかな視線で見つめていた。
「やれることやってるだけですぅ。ふん。」
その様子をみたリュドガーが思わず、といった様子で噴き出す。
「くく…サクラ殿はどのような状況でも変わらぬな。なんとも肝の据わったお方だ。」
セズールはこれ以上言葉はいらない、といった様子で、臨戦態勢をとった。
いまだ数百メートル以上の距離があるにもかかわらず、纏うオーラはひしひしと感じとれるほどだ。そのオーガの群れに向かって剣をとる、数百のエルフたち。その集団の先頭には、茶髪の少年ーーアンヘルの姿があった。
あまりに小さいその背中。だがエルフも、そしてセズールも、その体に秘められた力を感じ取っていた。
「ひい、こりゃあ大変だぁ。あんな化け物、あっしで敵いますかねえ。」
弱気な言葉を吐きながら、その顔は不敵な笑みを浮かべている。
それを見たセズールも、背に担いだ大剣を抜くと、オーガ達に合図をした。
「全軍、突撃。」
その声は先ほどの名乗り上げよりはるかに小さかったが、オーガたちにはそれで十分だった。
大将自らの檄によって士気を存分に高めたオーガたちは、雄たけびを上げながら戦場をかけ始めた。それは大きなうねりとなって、開戦の合図となった。
その様子を睥睨しながら、アンヘルは大きく息を吸った。
「エルフさんたち、あっしが盾になりやす。」
それだけ言い放ち、アンヘルは全身に魔力を込める。
アンヘルはカミラの眷属として生れ落ちてからの2年間、最も戦闘の経験を積む機会が多かった。
もともと細かい獲物の取り回しが苦手なアンヘルは、素手での肉体強化を用いた戦闘が主体であった。また奇妙なことに、アンヘルの中にはカミラを経由して、コボルトとしての『アンヘル』の記憶の一部が受け継がれていた。
それらの経験と記憶はアンヘル自身の性格と結びつき、最も合理的な形での進化をアンヘルにもたらした。
サクラと同様に、魔力を開放することでその姿を変えていくアンヘル。
だがその最大の違いは、サクラが無理やり体を変形させて強化を行っているのに対し、アンヘルは変化後の肉体こそが本来の姿であるという点だろう。種族進化は、アンヘルを人型の肉体から逸脱させていた。
めきめきと体は軋み、その体躯が何倍にも膨れ上がる。
全身からは体毛が生え、四肢は幹のように太く、長く伸びてゆく。
そうして数刻ののち、その場に顕現したのは、一匹の葦毛の大狼であった。その体躯はエルフたちの平屋一棟分に匹敵するかというほど巨大であった。
胞魔銀狼。
本来の肉体を取り戻し、人型の時より増幅されたステータスを持ってして、アンヘルはオーガたちを威嚇するように大きな遠吠えを上げた。
『エルフ族第二の眷属、アンヘルである!オーガ共、全員喰らい尽くしてやるわ!』
そう吠えると、迫りくるオーガたちの群れへと、アンヘルは突撃した。それに続くように、エルフとドワーフの混成軍も攻勢を始める。
オーガの大群に食らいつき、まるで大樹のような爪を振りかざせば、数匹のオーガがまとめて宙を舞う。
アンヘルの周囲には土煙が舞い、一瞬にして幾人ものオーガがその圧倒的な膂力の前に屈していくのであった。
「あのバカ、適当な名乗りを…まあ、カミラ様の名前を出さなかったのだけは褒めてやるですう…」
「私はいつからアンヘル殿を従えるようになったのだろうか…?」
困惑する後方のリュドガーとアンヘルを余所に、アンヘルは戦場で鬼神のように暴れ続けた。
前線でオーガたちと鍔迫り合いを繰り広げながらその様子を聞いていたキングは、アンヘルの名乗りを聞くとにやりと笑った。
「ハハ…アンヘル兄はやあっぱ面白れェ。それに、どうやら狙い通り、敵将が釣れたみてェだなァ。」
戦場を、アンヘルのもとに向かって一直線に移動する大きな気配。それを感じ取ったキングは、周囲のエルフたちに檄を飛ばした。
「ウチの兄貴分があの鬼より怖ェ敵将を相手取る!お前らは臆せず戦えェ!!」
「「はッ!!」」
・・・
アンヘルが前足を振り下ろすたび、オーガたちの死体が戦場に積みあがっていく。
勇んで向かってきていたオーガたちはその強大な力に気づけば足をすくめ、アンヘルを警戒するように距離を取り始めていた。
『どうした、オーガといえどその程度か…?』
威圧するような口調で、オーガたちをおちょくるアンヘル。
するとふと、立ち向かってきていたオーガたちが完全にその足を止めた。
そしてその背後から強烈なオーラを察知し、アンヘルはその方向へと居直った。
「俺の配下どもを…民家に玩具みてえにぶらさげたのは、お前か?」
あまりに静かな声。だがその声音は、確かな怒気を孕んでいた。
アンヘルは答えない。目の前のオーガが答えを欲しいわけではない事は分かっていた。
男が欲しいのは、その溜まった鬱憤を晴らすに足る、仇敵の血だけだった。
オーガ族南方領の総大将であるセズールは、大剣を構えると、言葉をつづけた。
「いや…お前じゃなくてもいい…どうせ全員、皆殺しだーー。」
刹那、セズールは大地を蹴った。大柄な肉体からはおよそ考えられぬほどの速度で、アンヘルのもとに迫る。
それを察知したアンヘルは全身に皿に魔力を込めると、スキルを発動させた。
スキル「銀狼化」。全身の毛並みを鋼鉄のように極限まで硬質化させると、回避が不可能と読んだアンヘルは、その一撃を体で受け止めることを選択した。
次の瞬間。振りかざしたセズールの大剣が、アンヘルの胴に直撃する。
高まりあった魔力同士の衝突が周囲に凄まじい衝撃波を起こしーーアンヘルの巨躯が、宙に吹き飛ばされた。
『グッ…ガァ!』
だが、それがそのまま決着の一撃になることはなかった。攻撃を受けたアンヘルはその一撃が耐えきれるものではないと悟ると。自ら体を宙に飛ばすことに決めた。
巨体とは思えぬ軽やかな身のこなしで、アンヘルは空中で態勢を整えると、セズールから距離をとって着地をした。
『くくく…こりゃあ強えや。まともに受けちゃいけねえなあ。』
「ふん、今のを受け流すか。…肩慣らしには丁度いい。」
セズールはそう言うと、肩を回し、アンヘルに向き直る。
マテーラ村の命運を握る一騎打ちが、幕を開けたのであった。




