三十七話 『羽音』
奇怪な金切り音が戦場に鳴り響く。その音を聞き首を傾げたオーガの1人は、次の瞬間には視界が暗転していた。
「あれ…?なんも見えねー…」
それが、そのオーガの最後の言葉となった。 本人が気付かぬままにその首は捩じ切られ、ぼとりと落ちる。その戦場には、気付けば首を落としたオーガ達が悪趣味なモニュメントのように一列に連なっていた。
戦乱の最中、そのあまりの早技に気づくものは少なかった。
オーガの中でも殊更感覚が鋭敏なバウマンは、いち早くその異変に気がついた。
「なんだ…?何かがいやがる…」
バウマンは腰に差した脇差をすらりと抜くと、何かを待つようにじっと動きを止め、構える。
ぶうん。
戦場の騒乱のはるか奥底に、わずかに異音が混じっている。熟達者にしかわからぬ、極上のノイズ。
バウマンは咄嗟に目を閉じた。その刹那、耳元に何かの羽音が聞こえた。
バウマンは本能から、脇差を虚空に振り翳した。するとギイン、と金属同士がぶつかる音がして、脇差が何かを捉える。 先程まで誰もいなかったその場所には、1人の人間の姿があった。
「これを止めるんですかぁ?…面倒臭いですねぇ。」
そこには、異様な姿をした少女がいた。背からは虫の翅が生え、その細い身体は宙に浮いている。
指先は刃物のように鋭く尖り、まるで針のように変形している。 その鋭く長い指が、バウマンの喉元まで差し向けられていた。
ギリギリと鍔迫り合い、渾身の力で脇差を振り切る。 少女は押し込まれると自ら後ろに身を引き、またふっとその姿を消した。
「…なんつー速さだよ。」
まるで瞬間移動だな、とひとりごちる。 圧倒的な速度での攻撃。それも、わずかな羽音を除いてほとんどその気配はない。
バウマンは宙に漂う魔力の残滓を肌で感じ取り、その僅かな音だけを契機に少女の攻撃を察知していた。
(こりゃ並じゃ太刀打ちできねえな。だがあれだけの速度、最初から使ってこなかったってことは…)
「制限時間付きかぁ?なあおい、どこにいるか知らねえが…」
バウマンは虚空に向かってそう話しかける。 長年の勘はサクラのスキルの全容をある程度理解していた。
条件付きの超強化。
サクラのいた場所に残る魔力の気配は濃い。並の魔物ではすでに動きが止まっているだろう。
だが、種が割れれば話が早い。 速度こそ規格外だが、攻撃される寸前に生じるわずかな羽音。
それさえ聞き漏らさなければ、タイミングはある程度察知できる。
ぶうん。
(来た…!)
魔力感知に全神経を注ぐ。
「来るならこいやァ!!!!」
バウマンが吠える。 だが、どれほど待ってもその攻撃が来ることはない。
「…?」
疑問が生じる。逃げたか? すると、バウマンの近くに不意にボウリング大の何かが投げ込まれた。
どさっと地面に落ち、バウンドしてバウマンの足元に転がってきたそれは――配下の、オーガの首であった。
それに続いて、周囲のオーガ達に異変が起こり始める。
「ぎゃっ」
「ぐわっ」
短い断末魔と共に、弓を構えたオーガ達の首が次々と刎ねられる。 そのほとんどは自身の命が潰えた事に気付かぬまま生首となってゆく。
そうして、それを呆然と眺めるバウマンを嘲笑うように、その生首は次々と周囲に放り込まれていく。
「あぁ…?おい…?」
また一つ、ごろごろと転がってきた何かがバウマンの足元に当たる。
それは、長年苦楽を共にした、友人と言ってもいいオーガの首であった。
「くっ…そ、がああああアア!!!!」
あまりの仕打ちに、バウマンは動揺し、一時我を忘れた。 そしてそれを、その地獄を作り出した張本人は見逃さなかった。
「喧しいですぅ。」
どこからともなく聞こえたその言葉と共に、ぐるり、とバウマンの視界が逆さまになる。
バウマンは憤怒の形相のまま首を切り落とされ、静かに命を落とした。
その咆哮は途中で途切れ、戦乱の喧騒に飲まれていった。
「ふぅ…一仕事終わったですぅ。」
荒れ狂う戦場の中で、少女はそう独りごちた。 そのままステータスから残りの魔力量を確認する。
(魔力は残り半分程度…やっぱりこのスキル、燃費最悪ですぅ。)
スキル『換装:毒槍蜂』。
レアスキルを持たないプラムが鍛錬の末編み出した、「変幻自在」の上位スキルである。
体を無理やり変形させ作り出した二対の翅と鋭利な爪は、膨大な魔力消費と引き換えに超高速での戦闘を可能にした。
「後はやれるだけ暴れて帰るですぅ。」
そういうと、サクラはその場から再び姿を消した。 数刻後、その周辺には夥しいほどのオーガ兵の死体が積み上げられることになる。
一騎で数百のオーガを屠ったのち、魔力切れギリギリまで敵を圧倒したサクラは、キングのフォローを貰いながら集落の防壁前まで帰還するのだった。
その働きぶりは凄まじく、目に見えない暗殺者に襲われたオーガたちの士気は著しく下がっていった。
そうして押され始めていた戦線はサクラとキングの投入により勢いを取り戻した。
セズールが初日を様子見に充てたという事もあり、もはや統率もないオーガたちは、じわじわと戦線を後退させていった。
そうして陽が落ちるころ、オーガたちは悪態をつきながらも攻勢を止め、一時撤退していくのだった。
・・・
「バウマンがやられたか。」
夜。配下から報告を受けたセズールは、恐ろしいほどの無表情でそう呟いた。
手に持ったパイプを口から離し、大きく息を吐く。
「つまんねえ役目を押し付けちまったな。…それで、敵の戦力は?」
忠臣の一人を失ったにも関わらず、セズールは驚くほど冷静だった。もはやエルフの集落を蹂躙することがセズールの目的ではなくなっていた。
自身の領土に現れた、正体不明の新興勢力の芽を摘まねばならない。
油断すれば、自身の命すら獲られかねない。 これはそういう戦だと、配下の報告を聞きながらセズールは確信していた。
「はっ!敵の大きな戦力は、人間の若い男と恐ろしいほどの速さで動く、蜂の翅を持つ人型です。」
「バウマンをやったってのがその蜂野郎だな。」
「はい。戦乱の最中突如現れました。途中からはその姿を確認できませんでしたが…」
「隠し玉だな。バウマンを余裕で倒せるような奴がいるなら、山中でけしかけてきても可笑しくなかった筈だ。わざわざ隠してたなら、簡単には切りたくなかったカードだろ。」
セズールは敵の戦力を的確に予想していた。
(考えられんのは何かしらの代償を払っての一時強化。時間制限があるのか、魔力を使用したものか…いずれにせよ、そう何度も出せる玉じゃあねえ。)
「まだ身を隠してる奴がいるかもしれねえが、チンタラしてたら敵の親玉が到着しちまう。その前に片を付けちまおう。――明日、俺が出る。」
そうしてセズールは明日の陣形等を練り上げると、配下に伝令を任せ、自身は寝床についた。
・・・
翌朝、セズールが自身の陣地で目にしたものは、およそ予想だにしていない光景だった。
「うが…セズ…ル…さま…」
「しっ…死にたくねぇ…死に、た……」
野営地にいたオーガたちが、泡を吹き倒れている。 呆然とした表情で、オーガは無事な配下を探した。 と、駆け寄ってくるものがいた。昨日の伝令役のオーガだ。
「セズール様…!」
「おい…何だこれは?どうなってやがる…?」
「はっ…それが、今朝方から、突如として泡を吹いて倒れるものがおり…」
そう聞いて、ふと、セズールは一つの可能性に思い当たった。 エルフたちの民家に仕掛けられていた、天井から降り注いだ謎の粉。
だが、アレを喰らったのは精々数人のオーガだった筈だ。
(遅効性の毒だったとして、なぜこれほどまでの人数が…?)
歴戦の戦いを繰り広げるセズールであっても、これほど敵の策に踊らされたのは久方ぶりだった。
迷宮深層に毒を戦法の軸として扱う魔族がいなかったことも、カミラ陣営にとって僥倖であった。一般的なノウハウや戦術だけでは対処できない奇策が、セズール達を襲っていた。
無力に倒れる部下を見つめ、憤りそうになる感情を抑えながら、必死に思考を巡らす。
目の前の野営地には、昨晩起こした焚き火の跡と、それを囲うようにしたのだろう、オーガたちの休息の跡がある。
「まさか…飯、か…?」
そうして、セズールは正解に辿り着いた。 経口による毒の感染。遅効性の毒はオーガたちが囲んだ食事を媒介にその宿主を増やし、1日遅れでオーガたちの命を蝕んでいた。
次々と倒れてゆく配下たち。毒によって命を落としたオーガは、実に軍全体の2割ほどにも及んでいた。昨日の撤退も含め、オーガたちは元々一万だった戦力を七千と少しのところまで減らすに至ったのだった。
そのあまりに酷い光景に、ぷつん、とセズールは脳内で何かが切れる音が聞こえた。
「戦争で命を落とすのは仕方ねえが…なあ、こりゃあなんだ…?俺には…俺には、ただひたすらに馬鹿にされているようにしか思えねぇ…」
その体から発される圧に、伝令に来たオーガは思わず足がすくんだ。この殺気に当てられるだけで、自分は失神してしまうだろうと感じるほどの、圧倒的なオーラがそこにはあった。
「もう十分だ。…後は、俺がやる。」
そうして、セズールは、争いが始まってからどこかで引いていた将としての一線を断ち切り、ただ一人の戦士として、明確な殺意を持って戦へと向かうのであった。




