三十二話 『夜を待つ 後編』
「プラムさん、すげえっすよ!オーガ達が散り散りに逃げてく!」
エルフの一人が、興奮した様子でそう叫ぶ。
だがプラムは、それに喜ぶでもなく現状を分析していた。
(オーガ族の反応が思ったより悪い…やはりスキルがバレているのが大きい。)
プラムは一度、村を襲ったオーガ族相手にスキルを使用している。逃げ延びたオーガが敵にあらましを話せば、幻覚だと気付かれてもおかしくはない。
「このまま、アンタたちは弓を打ち続けて!ルーカスの毒だ、食らったらオーガでも暫くは動けない!」
弓の先に塗布したのはルーカスがスキルで作り出した強力な麻痺毒だ。
その効力の長さに着目し、足止めに最適な毒として予め用意してもらっていた。
「ウチは山上のフォローに行ってくる!」
山上では、数人のエルフが落石や手製の爆弾をオーガ達の列に投げ込んでいた。
「お、俺もついてくっす!」
若いエルフの一人が、護衛のためプラムの跡を追う。
そうして戦場を駆け回るプラムの影を、遙か遠方より視認する者たちがいた。セズールと、その配下のバウマンである。
「バウマン、見えてるかぁ、あいつ。幻覚じゃなく、魔力そのものを見ろ。あの赤紫の髪のエルフだ。」
「ええ、見えてますお頭。ありゃあどうやらエルフじゃない。耳の形からして、ニンゲンですかねぇ。」
「…この辺の近くに、上層に続く階段があったはずだ。冒険者どもが情にでも絆されたか?」
セズールの予測は当たらずとも遠からずであった。
謎の助力者達の正体に見当をつけると、セズールはバウマンに指令を下した。
「ニンゲンってんなら相当脆いはずだ。柔こくていい肉だが、今はしかたがねぇ。バウマン、撃て。」
「承知いたしました。」
そういうと、バウマンは巨大な弓に矢を番える。ギリリ、と弦が唸り、その矢先が獲物を捉えた。
その瞬間、バウマンの照準に入ったプラムは、全身に悪寒が走るのを感じた。
(__何だ、狙われて___?)
だが、その体が反応するより先に、バウマンの弓が放たれる。巨大な弓から放たれたその矢は、凄まじい速度で戦場を横断し___
プラムの喉元に迫ったその瞬間、背後から声が響いた。
「避けて!!!」
その声と共に、プラムの背中がどっ、と押される。
それを認識するより早く、ボッ、と背後から凄まじい衝撃音が鳴る。
咄嗟に振り返ると、そこには凄惨な光景が広がっていた。
「あ…」
思わずプラムは呆然とする。背後には、先ほどの若いエルフの姿があった。その半身は削り取られたかのように跡形もなく、そのまま地面に倒れ伏している。
「プラ…さ…逃…げて…」
息も絶え絶えに、そのエルフが言葉を吐く。誰が、どう見ても助からない。プラムは一つの言葉も発さずに、その場から駆け出した。
動かなければ。
突然の衝撃に混乱する頭で、ただその思考だけが彼女の足を突き動かした。
(…すぐに、二撃目がくる…!)
プラムは周囲をぐるりと見渡す。先ほどの矢の方角から死角を計算すると、ちょうど近くに大きな岩があるのを見つけた。
一直線にそこへ駆け出す。しかし、死地に冴え渡り始めた頭脳が、ある一つの可能性を導き出した。
(あそこが絶好の隠れ家だと、敵は当然読んでいる…!いつだ、いつ次が来る…!?)
プラムの思考が更に加速する。先ほどの矢の威力。その飛距離と飛んできた方角。そして何よりプラムの魔物としての本能が、直感となってプラムの体にそのタイミングを教えた。
「___ッ!!!」
大岩まであと数歩。敵からすれば最も動きが読みやすいタイミング。プラムはそこで、咄嗟に上体を屈めた。
___その直後、プラムの左側面を、巨大な何かが掠めた。
「ぎ、あっ……!」
あまりに強い衝撃に、プラムはそのまま体ごと前に倒れ込んだ。その勢いで大岩に転がり込むと、プラムは自身の身に何が起こったのか、そこでやっと理解した。
左腕が、丸々無くなっている。プラムを左方から襲った矢は、その左腕と背中の一部を削り取っていた。
「あ"ぁ…ああっ…!!」
あまりの痛みに、プラムがその場で体を捻じる。
元がキノコのくせに痛みを感じるなんて、と常々思っていたが、その痛覚は確かにプラムに生命の危険を教えていた。
必死に息を整える。襲い掛かる激痛に体を慣らすため、体を仰向けにし、瞼を閉じる。
(…なんで。)
痛みと混乱の中で、プラムは気づけば先ほどのエルフの顔を思い浮かべていた。
(なんで、ウチのことを、何も知らないアイツが…)
あのエルフとは、ろくに言葉を交わしてなどいない。
それにも関わらず、その半身を擲ってまで、プラムを生かそうとした。
___分からない。
するとふと、見覚えのない光景がプラムの脳裏に閃いた。
薄暗い洞窟に、二匹の魔物がいる。
名も知らぬ一方が、もう一方を庇って崩れ落ちてゆく。ただ、その身を捧げて。庇われた者の顔は、霞んで見えない。
何故、こんなものが視えるのか。プラムには分からない。
だが、その光景は痛みよりも鮮明に、プラムの奥底を強く揺さぶった。
(今、のは…)
意識を現実に引き戻したのは、ガサガサと茂みを掻き分けで誰かが近付いてくる気配だった。
「プラムさん!あぁ、何てことだ…!!」
その正体は近くにいたエルフの1人だった。
プラムの姿を視認すると、その痛ましい怪我に思わず顔を顰める。
「動けますか!撤退しましょう!これだけやれば十分だ!」
「…駄目だ…」
「なっ…!こんな体で、無茶を言うな!死んでしまいますよ!」
「…私のために、死んだ奴がいるんだ…」
そう言うと、プラムは眼を開いた。
「変幻自在」のスキルを用いて、体を無理やり変形させる。
衣服を模る肌がウネウネと形を変え、消化液を排出している傷口を塞いでゆく。
残った右腕でなんとか立ち上がると、プラムは自身に言い聞かせるように口を開いた。
「作戦は続行だ…!夜まで、敵をここに食い止める!」
最早、助けに来たエルフもその様子を見つめる他なかった。
プラム自身にも、自身の気持ちの出処は分からない。ただ沸々と沸き立つ強い衝動が、その体を無理矢理突き動かしていた。
プラムは残った魔力を全て集中させると、自身の分身をその場で複数作成し、それに更に魔力を込め始める。
「アイツらは、魔力の量でウチを見破った…!そんな手練がもう出てくるとは思わなかったが…分かっていれば、対応できる…!」
「そっ、そんなことをしたら、すぐに魔力切れで意識を失って…」
「うる、せー…魔力だけなら、眷属の中でも一番だ…お前らは、撤退の準備を始めろ。」
それだけ言うと、プラムは眼を閉じてうずくまり、魔力操作に意識を集中させる。そして、岩場から一斉に分身を散開させた。
直後、戦場に再び轟音が響き、そのうち一体の幻覚が霧散する。
「…分かりました。」
エルフの若者はそう言うと、プラムに対し最低限の手当てを済ませる。処置が終わると、悩みながらも、再び元の持ち場へと戻る事を決意した。
プラムはその気配を察知すると、息も絶え絶えの中、ニコリと微笑んだ。
「…ウチと一緒に死ぬことはない。お前らは、どうか生きてくれ…」
「…えぇ、勿論です。」
そこからは、まさしく死地という言葉が相応しかった。
未だ憎らしいほど青い空の下、プラムの意識は何度も底に沈みそうになった。
だがその度、塞ぎかけた傷口へ自ら指をねじ込んだ。ぶつり、と何かを裂く感触。
「ああ"っ…!」
遅れて走る激痛が、霞んだ視界を一瞬だけ白く灼き、その熱で無理やり体を起こす。
「痛い、けど…痛い、なら、まだ生きてる…!」
朦朧とする意識の中で、プラムは全神経を研ぎ澄ませ、分身を操り続けた。
山中に鳴り響く太鼓の音が、仲間を鼓舞するかのように激しさを増していく。
どれほどの時間が経っただろうか。
数時間にも、濃縮した一分にも感じられる時の中で、ひたすらに目の前の敵を屠り、欺き、躱す。
その内、一つ、また一つと幻覚がその姿を霧散させてゆく。
オーガ達が徐々に混乱から回復する中、プラム達は死に物狂いの抵抗を続けるのだった。
・・・
ドン、ドンと、遠くから大きな音が聞こえる。
その音にふと、意識が覚める。
「………?…ここ、は……」
ぼんやりとした視界の中、プラムは意識を覚醒させた。視界が揺れている。どうやら、何か生き物の背中に乗っているらしい。
「…おお、プラム様が…プラム様が眼を覚ましたぞ…!」
あたりを見れば、白狼の背に乗るエルフ達の姿があった。思考は徐々にクリアになり、意識がはっきりとし始める。
「ここは…!?戦いはどうなっ‥ゲホッ…」
言葉を発しようとすると、体全身に痛みが走る。そういえば左腕を持っていかれたのだった、とプラムは徐々に記憶を蘇らせた。
「どうか安静に…!……プラム様が意識を失った後も、魔力を込められた分身は動き続けておりました。そこで我々は機を伺い、撤退を行なったのです。」
プラムは、その報告を聞き僅かに安堵した。
だが、すぐにその言葉に違和感を感じる。
周囲にいるエルフの数が、余りに少ないのだ。三十名余りで陣を率いたプラムの周りには、最早三名のエルフしかいない。
(他のエルフ達とは、散り散りになってしまったのか?)
白狼の背に揺られながら、プラムはふと後方を見やった。背後の山岳からは、未だドン、ドンと太鼓の音が鳴り響いている。プラムが鳴らすように指示をした、戦太鼓の音。
その音は、距離が離れるにつれ、少しずつ遠くなってゆく。
「…なぁ、誰だ…?…」
プラムは、ふとそう呟いた。
「私の…分身には…実体が無い。誰だ……?」
遠ざかる山の方角を指さし、プラムは声を震わせる。
「あの太鼓は、誰が鳴らしてる…?」
プラムの問いに、エルフ達は咄嗟に目を逸らした。
場に沈黙が流れると、戦場の騒乱と、太鼓の音が一層明瞭に聞こえる。
「………起きたばかりだというのに、プラム殿は聡明で敵いませぬ。」
その問いに、横にいた初老のエルフが絞り出すようにして答えた。その眉は困ったように垂れ下がっている。
「我々は、サクラ殿から命を仰せつかっておりました。プラム様は無茶をするだろうから、何が何でも連れ戻せ、と。」
そのエルフは、遠くなっていく山々を振り返ると、言葉を続けた。
「我が同胞達は、未だ戦いを続けておりまする。」
太鼓の音は、殊更に小さくなった。距離だけの所為ではない。その音数は先ほどから一つ、また一つと消えていっているのだ。
「…そんな…私は…私が…もっと上手く…」
「それ以上は、言ってはなりませぬぞ。」
プラムが搾り出そうとした言葉を、初老のエルフが制止する。
「我々は、心よりあなたに感謝しております。カミラ様でも、リュドガー様でもない。お若いながら、決死の覚悟を持って戦に臨まれたあなたに、です。」
そう語ると、初老のエルフの体から、魔力の光が発し始める。
その横を走る、若いエルフ二人からもだ。
それは、先日リュドガーが眷属になった時に見えた光と同じものであった。
「プラム様と共に戦い、死ねたこと。あ奴らも誇りに思っておりまする。どうか、後悔でなく、賛辞を持って手向けとしていただきたい。」
プラムは、その言葉の全てを理解することはできなかった。脳内は織り混ざった感情に混線し続けている。
頭の中に聞こえたステータスウィンドウの通知音も無視して、ただ、今も尚後方から鳴り続ける太鼓の音に、全ての意識が注がれる。
「……死ぬな…!」
プラムの言葉に呼応するかのように、戦場からはドン、と太鼓の音が鳴り響く。
その音に、何故か、視界の端が滲む。
「死ぬな…死ぬなっ…!」
ボロボロと、目元から何かの液がこぼれ落ちる。
傷口から、消化液が染み出したのであろうか。
その不思議な事象も、感情も、プラムには初めての経験であった。
「頼む…どうか、お願いだから…皆、生きて、帰って……」
懇願するように何度もそう呟くプラムの様子に、奥を走るエルフが、堪え切れず空を仰ぐ。
するとそのまま、その眼が大きく見開いた。
「プラム様。空を、空をご覧ください。」
ゆっくりと、プラムが空を見上げる。
見れば、空は僅かながら青く染まり__そこには煌々と、ヴォイドが輝き始めていた。
「我らの、勝利にッ…ございます…!」
口を震わしながら、若いエルフはそう叫ぶ。
その言葉を聞いた瞬間、プラムは全身から力が抜けるのを感じた。
張り詰めていた何かが、ぷつりと切れる。
プラムは力なく白狼の背へと倒れ込む。温かな毛並みに身を預けながら、ゆっくりと瞼が閉じていく。
ドン。
ドン。
一つ。
また一つ。
音が消えていく。
それでも、プラムの意識が途切れる最後の最後まで。
確かにその太鼓の音は、戦場に鳴り続けていた。




