二十九話 『ドラフ=シャヴァンヌ』
獣人族の王都・リラバーン。その最奥にそびえる王城の謁見の間。
巨大な玉座には、一人の魔族が気怠げに腰を預けていた。
黄金色の毛並みに覆われた雌獅子の頭部。鋭く吊り上がった琥珀色の双眸は、ただ座しているだけで獲物を射抜くような迫力を放っている。
獣人族頭領、ドラフ=シャヴァンヌ。
広間に居並ぶ屈強な獣人達は、一様に口を閉ざし、ただ玉座の主の一挙手一投足を見守っていた。
静寂を破るように、一人の兵士が膝をつく。
「ドラフ様!南方より参ったエルフ族の使者が、謁見を願っております!」
ドラフは頬杖をついたまま、面倒臭そうに片眉を上げた。
「南方のエルフ族……?オーガ共の手下じゃないか。」
「はっ! 何でも……オーガ族の傘下を抜け、新たな勢力として独立をしたいとのことで。その擁立のお伺いに来た、と……!」
その報告に、広間の空気がわずかにざわめく。
ドラフは数秒だけ沈黙すると、やがて獲物を見つけた肉食獣のように口角を吊り上げた。
「……おいおい。随分と身の程を知らない連中が来たもんだねぇ。」
立ち上がることなく、玉座の肘掛けを指先で軽く叩く。
「通しな。……話の中身次第じゃ、その場で子供達のエサになってもらう。」
兵士は深く頭を下げると、慌ただしく謁見の間を後にした。
・・・
重い扉が左右へと開かれ、カミラは謁見の間へ足を踏み入れた。
石畳を進むごとに、両脇に居並ぶ獣人達の視線が肌を這う。値踏みするような、あるいは舌なめずりでもしかねない眼差しの群れ。それらを意に介さぬ体を装いながら、カミラは玉座へと歩を進めた。
近づくほどに、空気が重い。
(馬鹿でかい魔力の流れを感じる…これが、三代勢力の一角…!)
玉座に座るドラフは、身じろぎ一つしていない。それでいて、広間そのものが彼女の掌の内にあるかのような圧があった。
「あんたらかい、オーガ族を裏切りたいってバカどもは」
気怠げな、しかし通る声だった。たったそれだけで、居並ぶ獣人達の気配が引き締まる。
カミラは片膝をつき、恭しく頭を垂れた。
「この度は、謁見の機会をいただき感謝申し上げます。我々は遙か南方、オーガ族の領土より馳せ参じました。私は村の長であるリュドガーの第三の眷属、カミラと申します。」
「煩わしいのはごめんだよ。…で、要件は何だ。」
カミラは顔を上げ、努めて淀みないように喋り始めた。
「獣人族とオーガ族の戦争は、長らく続いております。」
「……何が言いたい。」
「均衡を崩す駒を、我々が用意できます。」
「……。」
ドラフの目が訝しげに細まる。尋常ならざる圧を感じながら、カミラは言葉を続けた。
「今の戦は、北方から攻める貴殿らに対し、オーガ族は兵力を集中させられる。故に、大きく均衡が崩れぬのでしょう。」
ドラフは何も言わず、続きを促す。
「ですが、我々が南方より反旗を翻せば話は別です。」
「オーガ族は二正面での戦を強いられます。兵を分散せざるを得ず、貴殿らはこれまでにない好機を得るでしょう。」
「…ふん、お前ら如きが反旗を翻して、何になるってんだい。」
「おっしゃる通りでございます。ですが、我々には情報がある。」
俺は後方に控えるエルフに目配せをした。
すると、エルフが懐から複数枚の羊皮紙を取り出す。
「これはオーガ族の領土の詳細と、戦力の情報をまとめたものの一部です。」
トラフは献上されたそれを受け取ると、押し黙ったまま目を落とした。
暫くそれを眺めると、ふっと視線を離し、改めてカミラの方を向いた。
「…何が欲しい。」
(__来た!)
予想通りだ、とカミラは内心ガッツポーズした。
獣人族にとって、オーガ族の情報は喉から手が出るほど欲しいものだ。
エルフ族は特に、ものごとの機微に鋭い種族だ。永い時を自然と過ごす彼らは優れた観察眼を養い、強大な自然に対抗する術を身につける。
彼らが集結させたオーガ族の領土についての情報は、特に地形や植生、天候などの部分で非常に正確かつ丁寧に作成されている。
それらの情報の価値を、国を動かす立場のドラフは重々理解していた。
カミラはごくり、と生唾を飲み込むと、口を開いた。
「既にオーガ族は我々の動きを感知し、村には軍が迫っております。…兵の支援を、お願いしたく存じます。」
謁見の間に静寂が落ちる。
広間に居並ぶ獣人達の視線が、一斉にカミラへと突き刺さった。たかがエルフの集落に兵を貸し与えるなど、という声なき声が聞こえてくるようだった。
しかし、当のドラフは驚きも怒りも見せなかった。
しばらく無言でカミラを見据えたあと、不意に口を開く。
「お前ら、白狼に乗って来たのかい」
「……ええ。おっしゃる通りでございます」
(なんで分かった?)
内心疑問を浮かべながらもカミラが答える。
「あの子らは長距離向きだが、流石に走らせすぎだね、疲れた汗の匂いがする。…おい、コイツらの白狼に良い寝床を貸してやんな。」
後ろに控えていた大臣と思しき獣人がハッ、と返事をする。ドラフはニヤリと笑うと、カミラの方を指さした。
「お前らは馬小屋を貸してやるよ。ああそれと__モラニ、いるかい。」
「はっ。」
名前を呼ばれ、ドラフの後ろに控えていた虎の獣人が一歩前へ出た。
「うちの直下眷属、モラニだ。ついでに部下もつけてやる。向かわせてやるから、ありがたく使え。」
「……っ!はっ!」
予想以上の結果だ、とカミラは心を躍らせた。ドラフ直下の眷属。この地下世界でもほとんど頂点に君臨すると言っていいほどの人材を借り受けることができた。
モラニは鋭い目つきでカミラの方をじっと見つめると、無言のまま会釈した。
その体躯は筋肉質ながらしなやかで、ドラフに負けず劣らずの強大なオーラと風格を兼ね備えている。
圧倒的な武にたじろぎながらも、カミラはなんとか体裁を保ちながら、モラニに会釈を返した。
すると、ドラフが再び口を開く。
「フン。まあ、オーガの連中にションベン引っ掛けれりゃ言うことなしだ。精々足掻きな!」
(……通った…!)
背中を伝う冷や汗を悟られぬよう、カミラは深く頭を下げた。
・・・
「良かったのですか。あのような矮小のもの達に寛大な御心を…」
カミラ達が去った後。ドラフの後ろに控える蝙蝠頭の獣人が、ドラフにそう声をかけた。
「私の器のデカさを舐めてんのかい。…頃合いを見て手綱を握りゃ済む話だ。それに、さっきのアイツだ。」
「ああ、あの眷属とかいうエルフですかな。」
蝙蝠頭がそう言うと、ドラフはニヤリと口の端を歪ませた。
「ふん、あんな魔力のエルフがいるもんかい。まるで、無機物みたいで気味が悪い。___だが、あの眼はいいね。」
「眼、ですか。」
「アイツが何もんで、どっから湧いて出たかはしらねぇが、あの眼は到底オーガの反乱から脱しようなんて考えじゃなかった。もっと先の、はるかにでかいもんを見据えてやがる。」
そう言うと、ドラフは獰猛な笑みを浮かべた。
「__長いこと続いたこのクソみたいな争いに、何か変化が起きるかもしれねえ。」
・・・
深層の文明レベルは地球でいう中世のそれに近い。それぞれの勢力は各地に都市や拠点を持っている。
中でも争いが多い地域では、拠点は基本的に石造の砦が多い。
オーガ族もまた、傘下のドワーフ族に命じて各地に巨大な砦を建造していた。
そのうちの一つ、南方に聳える「ガルガ砦」に、その日ある一報が届いた。
「アニキ!取り立てに行ってたヤツらが帰って来たんですが…」
「取り立て…?ああ、エルフ族の連中か。そいつがどうした?」
「え、えぇ…それが、連中、反乱を起こしたそうで!指揮してたビラルを含め、ほとんど全員殺されちまったと!」
「___ビラルが‥殺された…?」
その言葉を聞き、兄貴と呼ばれている一際図体の大きいオーガがムクリと立ち上がる。その容貌はオーガ族の中でも特に異質な雰囲気を放っている。
本来2本あるはずの角は片方が折れ、体には歴戦の傷跡が刻まれている。元から鋭いその目元は、配下の凶報を聞いてからはより一層研ぎ澄まされていた。
「あいつはどうしようもねぇ馬鹿だったが…仲間思いの良いヤツだった…なぁ?お前ら」
そのオーガの問いかけに、周囲にいたオーガ達はこくこくと頷く。皆一様にそのオーガに畏怖している様子だった。
「…出るぞ。他の傘下の連中にも示しがつかねぇ。…この第三眷属を舐めた奴らを、血祭りに上げる。」
その日、ガルガ砦よりリュドガーの集落へ向け、一万ものオーガ族が進軍を開始した。
対するリュドガーの集落は、総人口を含めても僅か三百人足らず。
戦力差は、誰の目にも明らかだった。
さらに軍の先頭には、南方を統べる城主・セズール自らが立っている。その報は瞬く間に周辺の集落へと広がり、魔物達は口々にリュドガーの集落の滅亡を噂した。
本来なら、これほどの兵を動かす必要はない。
しかし、セズールは報告からエルフ族以外の何者かが裏で糸を引いていることを察していた。
魔族同士の戦では、兵の数だけで勝敗は決まらない。
たった一体の強大な魔族が、大軍を蹂躙することなど珍しくもないからだ。
怒りに燃えながらも、南方を任された将としての冷静さを失ってはいなかった。
セズールはあらゆる可能性を潰すべく、自ら軍を率いてリュドガーの集落へと進軍するのだった。




