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第5話 魔法

 その後も小さなハプニングはあった。

 ガチャガチャ(カプセルトイ)の前でリリアが「なんですか、これは……?」と氷像のように固まり、説明すると真剣な顔で百円玉を投入。

 一回目で犬のキーホルダー。二回目で同じ犬の色違い。三回目で……さすがに止めた。


「この犬、ヒロユキ様に似ています」


 リリアが大切そうに持っているキーホルダーに描かれた犬は、あまり可愛くない犬だった。


「……そうか?」


 プリクラ機の前で女子高生に「お姉さん、一緒に撮りませんか!」と突撃され、リリアは礼を尽くす顔で頷いてしまい、俺も巻き込まれてプリクラを撮るハメに。しかし、まだプリクラってあったんだな。

 出来上がったシールを抱きしめながら女子高生は「神」と拝み倒して去っていった。


 お昼はフードコートでうどん。

 出汁の香りに「守護神の親戚……?」と首を傾げる。

 天ぷらを半分こしながら、ふと気づく。

 箸、いけるかな?

 恐る恐る渡すと、彼女は器用に指を添えて、ちょっと練習したらすぐコツをつかんだ。


「これで、世界の麺が攻略できます」

「大陸統一の第一歩がうどんは渋いな」


 笑い合って、ふと窓の外に目をやる。

 高い空に、鳥が二羽、並んで飛んでいく。

 リリアはそこに視線を留め、ゆっくり言った。


「ヒロユキ様」

「うん」

「今日、あなたが“人の過去”を少し読んだとき……怖く、ありませんでしたか?」


 俺は少し考えて、首を振る。


「怖さより、役に立ったって気持ちが先に来た。たぶん、ずっとは見ない。必要な分だけにする」

「……ありがとうございます」

「ん?」

「"力"”に、飲み込まれないでいてくれて」


 彼女は真剣な目で、俺を見た。


「時空は、強い。優しいけど、強い。だから、あなたが、あなたのままでいてくれるのが、嬉しいです」


 そんなふうに言われると、少し照れる。


「その言葉、胸に刻み込んでおくよ」


 リリアは目を細めて微笑み、そっとお茶に口をつけた。


 そのあと、彼女は自国のことを、ぽつぽつと話してくれた。

 エルフェリア王国。森の都。精霊との契約。魔法学院。

 魔王、という言葉は、意外にあっさりと出た。


「私たちの世界では、“魔王”は一人ではありません。時代ごとに現れる、世界の歪みの呼び名です。人の欲、精霊の怒り、土地の怨嗟、いろいろなものが混ざって、生まれる」

「肩書きじゃなくて、現象に近いんだな」

「はい。新しく“歪み”が生まれれば、"歪み"は“器”を使い魔王となる。それを、何度も繰り返してきた。"魔王"はヒトだったときも、魔物だったときも、土地だったときもあります」


 そう言って、リリアはそっと窓の外を見た。


「だから、神庭マゴニアは、禁忌にされた。神庭マゴニアは"器"の完成形。器は、善くも悪くも使えるから」

「……だからこそ、“居場所”にするんだな」

「はい。私たちは、そのために出会いました。……と、私は思いたいです」


 俺は「うん」とだけ返し、テーブルの木目を指でなぞった。


 ◇


 移動の合間、少しずつリリアの世界の話を聞く。


「エルフェリア王国は、深い森に守られた国。精霊との契約で、森の結界を編んでいます。エルフは寿命が長く、知識を蓄えることを尊びます」

「どのくらい生きるんだ?」

「個体差はありますが、長ければ千年ほど」

「めちゃくちゃ長生きだな」

「人間の方が『瞬きのように濃い』時間を生きると、昔、教師が言っていました」


 寿命の話は深く掘るとしんどくなるから、とりあえず「いい言葉だ」で留める。彼女は頷き、話を続けた。


「私たちエルフの魔法は、精霊の力を借りて世界に働きかけます。火・水・風・土、そして時と空。時と空は、古の大精霊の領域。だから、扱える者は、伝承の中にしかいない——はず、でした」

「ここにいる」

「はい。ここに、います」


 そう言って笑うから反則なんだよな。


 俺たちはその足で、後楽園の外縁まで歩いた。今日は中までは入らず、橋の上から遠くの緑を眺める。柳が風に揺れて、川面にさざ波が広がる。


「静かで、整っていて……美しい庭ですね」

「日本庭園。『整える』って概念が強いかも。自然を自然のままじゃなく、少しだけ人の手で“良い形”にする」

 言いながら、自分でハッとする。整える。俺の中に芽生えつつある、名もなき“種”のキーワード。


 そのとき、橋のたもとで、小さな男の子が泣き声を上げた。手から離れた風船が、ふわふわと空へ——。

 反射的に、俺は空に細い線を作る。風船と空の間の、見えない格子。指先でそれを、ほんの少しだけ引っかく。


 風が、逆向きに吹いたみたいに、風船がふわりと戻ってくる。俺は手を伸ばし、ぎりぎりで紐を掴んだ。


「はい」

「ありがとー!」


 男の子はぱっと笑って、母親の元へ戻っていった。母親は何度も頭を下げる。俺は苦笑して手を振る。リリアは俺の横で、静かに拍手した。


「やさしい“整え”でした」

「……偶然だよ」

「ふふ」


 リリアは川面を見下ろしながら、帽子のつばの陰で微笑む。その横顔が、柳の葉の影みたいに涼やかだった。


 ◇


 後楽園の帰り道、食後のデザートということでクレープを買うことにした。薄い生地に包まれたクリームとフルーツを見た瞬間、「巻かれている……!」と真顔で呟くのはやめてもらいたい。可愛いけど。最終的には「これは森の精霊も喜びます」と謎の評価をくだされた。


 人混みを行き来する間に、何人かに写真を頼まれ、何度かナンパもあったけど、総じて平和だった。


 帰りは必要な日用品を買いにお店をはしごした。

 まずはドラッグストア。

 棚の長さに「ここは薬師が領主ですか?」と真剣に尋ねられる。シャンプー売り場で香りを嗅ぎ比べては目を輝かせ、「“桜の香り”って、本当に桜の香りですか?」と訊くので、季節によっては違うよと答える。そもそも桜の匂いってどんな匂いだ?


「これが“歯磨き粉”……歯を磨く粉なのに、液体?」

「総称だな。ペーストって言う。ミントは最初びっくりするかも」

「挑戦します」


 衛生用品やヘアゴム、ブラシ、刺激が少なそうな化粧水を買い込み、収納庫ポケットにそっと仕舞う。“しまう”動作がもう反射になりつつある自分が怖い。便利は麻薬だ。


 そして、百均。

 入店三秒で、リリアの目が星になった。


「ここが……宝の洞窟……」

「そう。何でもある。何でも100円(+税)」

「(+税)?」


 説明は後でいい。

 カゴが軽いのをいいことに、折りたたみ傘、布ポーチ、ポータブルミラー、洗濯ネット、布巾、小さめの収納ケース……気づけばカゴが二つになっていた。

 レジで会計を済ませ、店舗外へ。人影が見えないタイミングで収納庫ポケットに収納だ。もう、帰宅までの荷物はゼロだ。うはは。凄いなこれ。


 ◇


 帰宅すると既に世界は夕暮れに染まっていた。収納庫ポケットから購入品を出し、タグを切る。靴箱には新しいスニーカー。クローゼットにリリアの服の隙間を作る。生活が混ざっていく感じが、ちょっとくすぐったい。


「お茶淹れるね」

「ありがとうございます」


 湯気の上がる湯呑みを手渡すと、リリアはふぅ、と落ち着いた息を吐く。俺はテーブルにメモ用紙を広げた。そこに、ざっくりと今日の学びと今後の課題を書き出す。癖だ。


「えーと、当面の優先事項は三つ。身分証の問題、言語・文化の基礎、そして——」

「そして?」

「俺の力のテスト。安全な範囲で、ね」


 リリアが頷くのを見て、俺は今まで聞けなかったことを勇気を出して聞くことにした。


「リリアは自分の世界に戻れるの?」

「……時が来れば」


 この世界への門が開いたとき、神託と共にリリアに託されたモノが二つあった。

 一つはモノリスと呼ばれる小さな板。リリアが肌身離さず身につけている、不思議な文様を宿した薄い金属板だ。それにより神庭マゴニアに至る道が拓けるというもの、らしい 。

 そしてもう一つが帰還石。使用すれば時空を超え自分の世界に戻れるというモノ。ただ、使用できるタイミングは帰還石のみが知っているようで、その石が光らない限り使用できないそうだ。

 つまりは、いつ帰れるかは全くの不明で未定。


「でも、神が託してくださったモノです。必ず帰還はできる、はずです」


 とは言っても……いつ帰れるか分からないのはキツいよな。ならやることは一つしかないだろう。


「【時空支配】を練習をしよう」


 俺たちはベランダに出た。暮れていく空は薄い藍色で、遠くで鳥が列を作って飛ぶ。下の道路を走る車の音が、柔らかくなる時間。


「まずは、ここからあそこへ、『線』を一本だけ引くイメージで」


 リリアが指すのはベランダの手すりと、室内のテーブルの間。距離にして二メートルちょい。

 リリアは古代の伝承や文献をよく読んでいたらしい。その知識から、時空支配の使い方を類推して教えてくれる。

 俺は深呼吸して、昨夜の感覚を呼び起こす。空気の中に、格子状の境界。手すりのここ、テーブルのここ。二つの点が、なんとなく浮かんで見える。


「……繋げ」


 声に出した瞬間、パチンと小さな音がして、空間に細い亀裂が走る。視界の中に、ポストカードくらいの四角い“窓”が開いた。窓の向こうには、テーブルの表面がある。


「おお」

「すごい……」


 リリアが静かに微笑む。俺は恐る恐る、窓の中に指を入れてみる。感触は――ある。テーブルの木目のさらりとした手触り。ぞくぞくっと背中を撫でられるような感覚が走る。自分の体の一部が、そこに“同時に”ある不思議。


「閉じるよ」


 俺は窓の縁に触れ、すっと引き寄せる。小さな亀裂は消え、空間はまた一枚の布みたいに滑らかになる。


「できましたね!!」

「ああ……」


 ワープ、瞬間移動……様々な呼び方はあるが、要は空間転移。

 次に目指すモノ。これができれば、もしかしたら彼女を元の世界へ戻してあげることができるかもしれない。

 もう一度試してみようとすると、リリアの柔らかい手が俺の手に添えられる。

 

「今日はこれで終わりにしましょう。無理は禁物です」

「……了解」


 何でも慣れないうちに魔法を過度にしようすると、自身の魔力が暴走してしまうリスクがあるようだ。リリアの世界でも、幼い子がそれで事故を起こしてしまうことがよくあるらしい。だから、魔法の使い始めは慎重にやっていくそうだ。

 俺の掌はじんわり汗ばんでいる。さっきまでの小さな成功が、信じられないくらい嬉しい。リリアはそんな俺の顔を見て、つられて笑っていた。


「……ヒロユキ様、ありがとうございます」


 リリアの小さな言葉は、恥ずかしいから聞こえないふりをした。


 ◇


 夜ごはんはどうするかな。

 炊飯器の中を確認しつつ、味噌汁を温める。湯気が立って、出汁の匂いがリビングまで流れていく。リリアは湯呑みを出して、テーブルの上を拭いて、椅子の向きをそっと整えた。その手つきがやけに丁寧で、見ている方の背筋が伸びる。


「夜ごはん、適当なのでいい?」

「はい。あなたが作るものは、どれも優しくて美味しくて幸せになります」

「ほめられると調子に乗るぞ」

「乗ってください。私が嬉しいので」

「……はい」


 笑いながら、俺は卵を割ってフライパンに落とした。黄身がぷるりと震えて、油の小さな音が弾む。そういえば、とリリアが袖を少し上げた。


「ヒロユキ様。今日、少しだけ、私もお手伝いをさせてください」

「お手伝い?」

「大したことはできませんが」


 振り返ると、彼女は両手を胸の前で軽く組んで、小さく息を吸った。指先の間に薄い光が集まる。派手さはない。けれど、空気の向きが少しだけ整えられるような変化が確かにあった。

 俺は火の番を続けながら横目で見守った。


 まな板の上のネギが、ころんと転がる。リリアが指で示した線に沿って、ネギが自分で立って、くるりと体を回した。小さな風が吹き、一瞬でネギはみじん切りとなる。


「ほえー凄いなぁ。魔法?」

「はい。小さな風魔法です。本当に急いでいるときにしか料理で魔法は使わないんですが、ヒロユキ様に魔法を感じてもらいたくて」

「いや、すごい感動。ありがとう」


 鍋の中では味噌汁が静かに息をしている。刻んだネギが面に散って、ふわりと香りが立ち上がった。フライパンの目玉焼きは白身が端で色づいて、黄身に艶が出てきた頃合いだ。


「次は火魔法をと思ったんですが、この黒い板さんでは使いづらいです」

「ははっ、IHは火を使わないからね」

「火を使わないのに、料理ができるんですか?」

「うん。電気の力ってやつだ」

「デンキ……」


 コンロなら魔法の見せ場があったのかもしれないけど、あいにく我が家のキッチンはIHだった。

 卵焼きをお皿に移し、冷蔵庫からコンビニで買ってきていた焼き魚を取り出しレンジに放り込む。


「一般的な魔法ってどんなことができるの?」

「そうですね。人によって得手不得手はありますが、例えば魔物を倒す火の矢を出したり、氷の刃を操ったり……本当にたくさんのことができます」


 そこまで言って、彼女は小さく肩を落とした。


「私は――エルフは精霊魔法を扱います。精霊の力を借りて、自然の理を改変する力。でも、この世界では精霊の気配を感じられないんです。だから、今、精霊魔法は使えません」

「……ここでは、精霊がいないってこと?」

「分かりません。声が届かないんです。声を投げても、返ってこない感じがします」


 彼女は料理で使い終わったシンクの中のお皿に目を落とし、少しだけ表情を曇らせた。それでも、すぐに微笑み直す。


「でも、私の中にある魔力を使った生活魔法や簡単な魔法なら大丈夫です。例えば、濡れた服や髪を一瞬で乾かしたり、こうやって——」


 リリアはシンクのお皿を手に取り、縁を指でなぞって、軽く魔力を通す。淡い光とともに、汚れが消えていった。


「汚れを取る浄化魔法とか、結構便利ですよ!」

「すご! これは便利すぎるな」


 俺が感心していると、リリアーネは両手を腰にあてドヤってしていた。なにこの可愛い生き物。なごむ。


「……精霊のこと、寂しくない?」

「少しだけ。けれど、あなたがいてくれるから、心細くはありません」


 またそうやってド直球に嬉しいことを言ってくれる。

 おじさん、照れちまうぜ。


 ◇


「明日……短い“転移”を試してみたい」


 夜ごはんの片付けを終え、まったりタイムに入ったとき、リリアにそっと言う。声のトーンが自然と落ちる。怖さと、期待だ。


「転移、ですか?」

「うん。できればリリアの世界へ――」


 リリアはそんな俺の顔色を読んだのか、静かに付け加えた。


「焦らなくて大丈夫です。急がない方が、遠くへ行けます」

「……うん」


 リリアは窓の外の街灯を眺めていた。帽子を脱いだ長い耳が、部屋の灯りで淡く光る。耳は、感情で微妙に角度が変わる。今は、安心している角度。そんな気がする。


「今日、たくさんの『初めて』を知りました。靴屋、服屋、電車、甘い雲、巻かれたお菓子……犬や猫は、まだ」

「猫は今度だな」

「はい」


 彼女は少し考えてから、ふっと笑った。


「私、あなたの世界が好きです。優しく“整えられて”いる。庭のように」

「庭、か……」

「だから大丈夫です。私は独りじゃなく……貴方がいてくれる」

「リリア」

「だから無理だけはしないでください」

「……分かった。でも、転移の練習はしたい。無茶は言わないし、やらない。約束する。でもこの力、試してみたいんだ」


 俺の真剣さが伝わったのか。


「はい。お手伝いします、ね」


 リリアは笑顔で頷いてくれた。

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