第4話 力の使い方
朝、目が覚めた瞬間に「ああ、昨夜のは夢じゃないんだな」と確信した。理由は簡単。ダイニングのイスに金髪のエルフが座っていたからだ。
「おはようございます、ヒロユキ様」
「お、おう。おはよう……リリア」
昨夜、呼び方を相談した結果、彼女は「リリア」でいくことにした。王女のフルネーム長いからな。
俺が洗面へ向かうと、リリアもとことこと付いてきた。
「よく眠れた?」
「はい……この世界の布は、とても優しいです。ふわふわで、暖かくて」
「布団と枕という文明の力に感謝だな」
「守護神の次に、崇めます」
崇める対象がどんどん増えていく。
笑い合って、朝ごはんにする。今日はちゃんとしたやつにした。せっかくなので日本食を堪能して貰いたい。
焼き鮭は食べづらいだろうからほぐして、卵焼き、昨夜の味噌汁にワカメを足して、冷奴、炊きたての白米。見慣れた日本の朝食が、今日は少しだけ特別に見える。
「いただきます、はこうですか?」
「そう、それで合ってる」
手を合わせる仕草がやけに様になるのは王族補正だろうか。
ひと口ごとにリリアの肩の力が抜けていくのが分かる。卵焼きは甘めにして正解だったらしい。目がきゅっと笑って「……好きです」と小声で言った。心臓に悪い。
「今日は軽く街を案内するね。まずはショッピングモールとドラッグストア。あと百均は外せない」
「ヒャッキン……百の金貨?」
「百円でいろいろ買える宝の……洞窟?」
「洞窟!」
「うん……まぁそんな感じ」
朝食を片付けながら、段取りを頭の中で組む。車で行けば楽だけど、駐車場が面倒くさい。電車も体験したら面白いだろうから、電車にするか。いや荷物を考えたら車の方が良いか。でも俺の考えていることがイケるなら、電車で行けるか。
身分証もお金もないリリアを外に連れ出すのは緊張するけど、いつまでも家に閉じこもるわけにもいかない。まずは服を整えたいし、歩きやすい靴も必要だ。
「服も買わないとだし。あと、耳」
俺は人差し指で自分の耳をちょいちょいと示した。
「……隠した方がよいでしょうか?」
「安全のためにね。珍しすぎると、良からぬ人に絡まれることもあるから」
「承知しました」
そういうわけで、まずは俺のタンスから出せる限りの装備を提供。シンプルな白Tとジップアップのパーカ、そしてつば広のニット帽。残念ながら下はダサいジャージしかなかった。しかも俺のサイズなのでブカブカだ。
鏡の前で角度を調整しているリリアは、耳を全部隠すのにちょっと苦戦している。帽子の中で長い耳がもぞもぞ動くのがなんか可愛いな。
「どうでしょう?」
「完璧。『スーパーモデルでも勝負にならない美人な外国の人』になった」
「『スーパーモデル』の意味がわかりませんが、ありがとうございます?」
靴はさすがにサイズが合わないので、サンダルで我慢してもらうか。最優先で靴と靴下を買わなきゃ。
「では、参りましょう!」
「その前に――ちょっと、練習させて」
「練習?」
「うん。【時空支配】をもうちょっと使えるようになりたい。いろいろ試してみようと思うから、もし危なそうだったら教えて」
そう言って、俺は目の前の空間に、意識をすっと伸ばす。
見えない“格子”がいくつも重なっている。部屋と部屋のすき間、時間と時間の継ぎ目に。意識すれば線の間隔を変えられるので、格子の大きさも自由自在に変更可能だった。
昨日寝ながら考えていた。俺の力が時間と空間に改変を与える力なら、いろんなことができるはずだと。
間近にあった一つの格子に、そっと触れる。
(ゆっくり。昨夜みたいに力技じゃなくて、優しくなでるように)
指先に、薄い震え。
その震えを丸めるように、円を描いた。
――ぱち。
音はしなかったけど、確かに「蓋」が外れる手応えがあった。
空間が、畳一枚ぶんくらい凹んで、向こう側に小さな“部屋”ができた感覚。
「……できた、かも」
「え? え?」
「アイテムボックス的なやつ、多分」
「ええっ!?」
試しにテーブルに置いてあったティッシュケースをそっと押しこむ。
ガラスに沈むみたいに、ティッシュケースが“部屋”の中へ滑り込み、気配が消えた。
今度は意識だけで“部屋”に手を伸ばすと、ティッシュケースがするりと手の中に戻ってくる。
「……っ! マジか! 」
「……世界の懐、ですね。
時空の力は、目覚めたてだと“身の回り”から慣れていくと古文章にありました。今のは、その第一歩だと思います。凄いです、ヒロユキ様」
言われて、少し照れる。自転車に乗れた子どもが親に褒められたとき、こういう顔してたかもしれない。
「リリアの世界にあるの? こういう……アイテムボックス?」
「はい。神の遺物として見つかることがあります。でも、とても稀少です。魔法では再現できませんから……あなた以外には」
最後は呆れ半分のジト目だった。だが、仕方ない。
「これ、名前決めたいな。名前をつけると、操作が固まる気がする」
「それが良いと思います。名は力の形ですから」
「じゃあ――アイテムボックスだと凡庸だし……『仕舞い棚』は言いづらいし……『収納庫』にしようかな」
「可愛い名前です」
「可愛い、のか?」
「可愛い、です」
一応、『収納庫』で運用することにした。
鍵、財布、モバイルバッテリー、マスク、それからミニタオル。日常セットを出し入れしてみるが、問題なく使えそうだ。場所を変えて試しても同じ動作ができたから、思い通りの効果があると思って良いだろう。
入れる容量はそんなに多くなさそうだが、俺の中の力――これを一般的に魔力というみたいだ――をこめれば、まだまだ広がりそうだった。
「もうひとつ試していい?」
「次は何をされるんですか?」
「時空支配ってことは空間だけでなく時間も扱えるってことだよね?
それなら、対象の過去を読み取って現在の対象の能力とかを識ることはできないかなって」
要はよくある【鑑定】や【解析】みたいなものだ。
俺は部屋の観葉植物に視線を向ける。
深呼吸して、葉の“いま”へ繋がる細い糸に、そっと触れた。
――視界の端に、薄い字幕が滲む。
《ポトス/挿し木から四か月。水やりは昨日。根の先端に新芽。光量はやや不足。好き:朝日。嫌い:直風》
「おお……! “感情”みたいなニュアンスまで拾えるのか」
どういう現象が起こっているのかを説明すると、リリアは真面目な顔に戻る。
「ヒロユキ様。その力は、軽々人には使わないでくださいね?」
「了解。必要なときだけ、最小限に使うようにする。約束する」
誰だって自分の秘密を覗き見られたら嫌だもんな。使ってる側もその力に依存してしまうかもしれないし。気をつけよう。
「……鑑定というより、解析って感じだな」
「それでは、【時相視】”と名乗っては?」
「それ、かっこいいな。採用」
どうやら俺には厨二病の血が流れていたようだ。
◇
玄関を出ると、朝の空気はひんやりして、川の方から柔らかい風が上がってくる。リリアはマンションの外廊下から見える電線の群れを見上げて、興味深そうに首を傾げた。
「空に蜘蛛の巣みたいな糸が……」
「電線だよ。あれで電気を運ぶんだ。最近は地下に埋める街も多いけど」
「空路か地中か……物流に似ていますね」
比較対象がいちいち王族っぽい。
駅前の通りは、通学の学生と通勤の人でにぎやかだ。自転車のベル、パン屋から漂う甘い匂い、遠くを走る電車の音。
リリアは首ごと景色を動かす勢いで、あっちこっちに視線を投げている。
「人が……たくさん。皆さん、急いでいらっしゃる」
「朝は戦場だからね。あれは自動販売機。お金を入れると飲み物が出てくる」
「お金……硬貨?」
「そう。やってみる?」
財布から百円玉を取り出す。ちゃんとあって良かった。「やってみる?」とか言いながらお金がなかったら、ちょっと情けない。
無事自販機でオレンジジュースとミルクティーを買うことができたので、ベンチで小休止することにした。時間はたくさんあるから、のんびりやっていけばいい。
リリアはペットボトルのキャップをおそるおそる開け、上手に一口飲んだ。
「……優しい甘さ。朝の光に似ています」
駅でICカードも作ることにした。とりあえず無記名の交通系のにした。
改札前でカードをかざして見せてやると、彼女は目を丸くした。
「……触れただけで、扉が開きました」
「便利道具。文明の力ってやつだな」
「文明……すごいです」
ホームに上がる。電車の風がリリアの髪を揺らす。服装はアレだが、まるで映画のようなワンシーンに、隣にいた女子高生が「美形、やば……」と囁くのが聞こえる。俺も同感だ。
電車内。座席にちょこんと座って、窓の外を食い入るように見ている。
「速い……ドラゴン級の速度が出ています」
「単位がファンタジーだな」
しばらくして、つっと彼女の視線が俺に戻る。
「……ヒロユキ様」
「ん?」
「今朝、あなたが小さな“懐”を開いたとき、胸が、少し熱くなりました」
彼女は自分の胸元、薄い金属板――昨夜見せてくれた紋様の板――にそっと触れた。
「神庭が、呼吸するように脈打ちました。多分、収納庫と、神庭は、どこか似ています。器の“最小形”なのかもしれません」
「……一緒に見つけよう、神庭を」
「はい」
素直にうなずく声が、耳に心地よかった。
◇
岡山に到着して、まず駅前広場に向かった。
路面電車のベル、バスのアナウンス、人のざわめき。リリアは完全に観光客モードで、立ち止まっては看板や広告を眺める。巨大な液晶ビジョンに広告が流れるたび「あっ」と小さく声を上げて、動画の動きに目をまん丸にした。
「これ……絵が動いている?」
「動画。えーと、動く絵。記録した現実を流すやつ」
「記録……記憶を水晶に封じる道具に似ています。けれど、音も色も、そのまま」
「そう。で、これで犬や猫の動画が無限に見られる」
「いぬ……ねこ……?」
その後、リリアが猫カフェの看板を認識したとき、目がさらに二段階くらい輝いたのは言うまでもない。今日は時間がないから、とりあえず予約だけ入れておく約束をした。猫は逃げない。いや逃げるけど。
駅前広場の桃太郎像の前を通ると、リリアは足を止めた。腰に手を当てた桃太郎の凛々しい横顔、犬・猿・雉の仲間たち。
「この方は、英雄でしょうか」
「地元の英雄だね。鬼ヶ島を退治したって伝説の」
「鬼……人と鬼の争い。どこの世界でも、似た物語があるのですね」
リリアは像の土台に刻まれた説明を丁寧に読む。ひらがなと漢字の混ざりを、少しずつ読み上げていく。昨夜の門の適応か、言語理解はかなり早いようだ。
「『お・か・や・ま』……おかやま……。覚えました」
「ようこそ岡山へ」
お決まりのセリフを言ったところで、駅から繋がっているショッピングモールを目指すことにした。
まずは靴屋に入る。足の採寸をしてもらい、歩きやすいスニーカーを購入。店員さんは、帽子から覗く金髪と整った顔立ちに気圧され気味だったが、プロはプロで、てきぱきと対応してくれた。
服屋にも寄って、サイズが合うワンピースやジーンズ、カーディガンをいくつか。
試着室のカーテンが開いて、リリアが一歩出てくるたび、周囲の空気が「おっ」と息を飲むのが分かる。視線が集まる。分かる、分かるよ。視線も集まるわ。エルフ補正+美形補正、最強だろ。
「似合いますか?」
「破壊的に似合う。世界三大似合うが更新された」
「三大?」
「全俺の中で」
「ふふ。他二つが気になりますね」
会計を終え、ショッピングモール内を散策する。ちなみに下着類に関しては、店員さんに丸投げして適当に購入した。さすがに俺が選ぶには、レベルが足りなかった。
◇
午前の買い物を終えて、商店街の喫茶店で一息つく。窓際の席からは、アーケードを行き交う人々が見える。カフェラテが運ばれてくると、リリアはミルクの泡に指先でそっと触れ、ふわりと目を細めた。
「雲みたい」
「飲む雲だね」
「飲む雲……素敵です」
パンケーキが到着すると、リリアはフォークとナイフを構えたまま、しばらく固まった。メープルシロップのとろみ、バターの溶ける光沢に、完全に心を奪われている。
「食べていいよ」
「はい……っ」
一口食べた瞬間、肩が少し震え、次の瞬間には頬に小さな笑み。わかりやすい。
「甘い……柔らかい……幸せになります」
「文明の暴力だからな」
ティータイムの幸福に浸っていると、隣のテーブルからちらちら視線が飛んでくる。若いカップルの彼氏らしき人が、露骨にリリアを見ている。その向こうでは、女子高生数人がひそひそと「モデル?」「どこの国の人?」とささやいている。帽子で耳を隠していても、顔面偏差値が事件だ。
「なんだか見られているような……」
「まあ、そりゃね」
店を出ると、通りで早速事件が起きた。私服の大学生くらいの男が二人、にやにやしながら近づいてくる。
「ねえねえ、どこの国の人? Japanese OK?」
「よかったら一緒に写真どう?」
テンプレ来たな、と心の中でため息。リリアは困ったように俺を見る。目で「助け舟」を求めてくる王女、かわいい。
「すみません、急いでますので」
俺が穏やかに断ると、一人が一歩詰めてきた。距離が近い。
「ちょっとくらい良くない? な?」
そして、不用意にリリアの手首に触れようとする――その瞬間、俺の中で「線」がひとつチカッと光った。
時間の糸が、相手の「いま」の輪郭に沿って浮かび上がる。
時相視。
――フラッシュのように、短い断片が走る。
《昨夜、友だちと飲みすぎ。今日は勢いで声をかけてる。悪気は薄い。押しが強いのは自尊心の穴埋め。暴力性なし。怖がらせるつもりなし。止めどころは“恥”。》
それだけ分かれば十分だ。
足元。男のスニーカーとタイルの間に、薄い境界を通す。俺はその線を、指先をわずかに動かす感覚で「ずらした」。ほんの数センチ、接触面の“今”と“少し先”を、滑らせるように。
「うわっ!?」
男の足が、勝手に空を踏んだみたいに跳ね、バランスを崩して尻もちをついた。周囲が一瞬ざわつき——でも、誰も超常現象だとは思わない。ただのドジにしか見えない。
「大丈夫ですか?」
俺は手を差し出す。“恥”に触れる角度で、でも礼を尽くす。手を伸ばしかけた彼は、はっとして手を引っ込められた。
男は顔を赤くして「だ、大丈夫」とだけ言って友人と去っていった。
残った空気のざわめきが落ち着いたころ、リリアが小さく息をついた。
「すごい……なめらかな魔力操作」
「だいぶ力にも慣れてきたかも」
「ふふっ、守ってくださりありがとうございました」
リリアは、ほんの少しだけ胸を張って微笑んだ。
「でも、もし彼らが強引だったら――私も、できることはします」
「……護身?」
「はい。エルフは、森で生きる民。森は優しいけれど、ときに厳しい。王族も例外ではありません」
その言い方は静かだったけれど、芯が強かった。
普段はほんわか、でもやるときはやる――そう覚悟が決まっている、できる王女様の顔。
「頼もしいな……でも今日は俺に格好つけさせて」
「ふふ。はい、格好よかったです」
不意打ちで褒めないでほしい。危ない。心臓が二拍跳ねた。




