第3話 居場所
気づけば既に遅い時間だ。
湯気の立つカップをテーブルに置き、リリアーネは小さく息を吐く。さっきまでの硬い表情が、ほんの少し和らいで見えた。
「……そろそろ休んだ方がいいな。疲れてるだろ」
「はい……でも」
言いかけて、彼女は首を横に振る。
その仕草が妙に真剣で、俺は姿勢を正した。
「浩之様に、お話ししておくべきことがあります」
「今?」
「はい。これは……私がここに来た理由です」
カーテンの隙間から、道沿いの街灯が遠くに見える。彼女はそこをじっと見つめながら話し始めた。
「私の国、エルフェリア王国では、数百年に一度、“星の狭間”が開きます。そこは、別の世界へ繋がる門の在り処。普段は封印されていますが……今回は違いました」
淡々と語る声の奥に、わずかな興奮と好奇心が混ざっている。
「神託が降りたのです。『遠き蒼き世界の"鍵"と、神庭は調和する』と。同時に門が開き、この世界への道が敷かれました。
適正のあった私が調査員として選ばれ、調べに来たのですが……門の座標を乱され、あの獣が追ってきたのです。ごめんなさい」
「謝るやつじゃないだろ。追いかけっこに巻き込まれただけだ」
「でも、あなたが助けてくれた」
まっすぐ言われると、弱い。
俺は照れ隠しに、お茶を口に流し込んだ。ヤバいくらいに熱かった。俺は猫舌だった。
「ま、神庭っていうのは?」
「古き伝承によれば、空に浮かぶ大地です。持ち主の魔力に呼応して存在を変える、古い古い“器”。……私の世界では、今は触れてはならないもの。でも、きっと『居場所』になる」
「居場所?」
「戦で家をなくした者、迷った者、帰れない者。私の国だけじゃない。世界は、少しずつ居場所を失ってる」
彼女の世界では魔王と人間達の争いだけでなく、種族間の争いで住む場を失っている人達が多くいるそうだ。魔王に種族とはファンタジーな用語のオンパレードだな。というか魔王とか普通にいるんですね。
リリアーネは、俺の目を見る。逃げ場のないまっすぐさで。
「遠き蒼き世界の"鍵"——それは、きっと貴方です」
「え?」
「このモノリスが教えてくれるんです。"鍵"は貴方だと」
彼女の手の中にある、ネックレスにつけられた小さな金属板が、ほのかに光を帯びた。
「私は、『居場所』を作りたい。空に。貴方と共に」
「リリアーネ」
「……勝手な願い、ですよね。ごめんなさい」
勝手、かもしれない。けど、その勝手は、俺は嫌いじゃない。
俺だって、少し前に「自由に働きたい」「面倒な上司はいらない」なんて勝手を言って、教員を辞めそうになった男だ。居場所、の単語は、胸に刺さる。
「いいよ——」
俺は自分でも驚くくらい、すっと言っていた。
「——やろう。何からすれば良いか分からないけど、"鍵"が俺っていうならきっと何かできることはあるんだろう」
「……この世界に神庭に至る"道"はあると、モノリスが言っています」
「なら、探そう。まずは……そうだな、調査がてら街を案内するよ。でも、まずは寝室の案内からだな」
「……ありがとうございます」
リリアーネが、安心したように笑った。その笑顔は、さっきまでの異世界の王女という肩書きからは想像できないほど、年相応で、無防備だった。
「よし、今日はもう遅い。風呂も入ったし、寝よう。寝室のベッドを使って。俺は適当にするから」
「私は床で大丈夫です」
「ゲストを床に寝かせる文化はうちにはない」
「……じゃあ、同じベッドで半分ずつ」
「その文化は、俺がいろいろと大変だ」
にらみ合いは三秒で終わって、リリアーネはしぶしぶ頷いた。
予備の布団はないから、俺はソファで寝ることを宣言して、タオルケットを持ってきた。
互いにいろいろと準備を整え、電気を落とす。
寝室に行こうとするリリアーネがふと立ち止まった。
「ヒロユキ様」
「ん」
「あなたの世界の『守護神』と『ガスガイシャ』と『スイドウキョク』に、お礼を」
「おお、うちのライフラインが崇められている」
「——あと、ヒロユキ様にも」
暗がりの中で、彼女の瞳は本当に月みたいに光って見えた。
心臓が一段、強く打つ。
さっき、見えない“線”を開いたときと、同じ場所が熱くなる。
俺は頷いて、恥ずかしさを隠すようにタオルケットを頭からかぶった。
窓の外で、秋の夜が遠く続いている。
そして、胸の奥では、確かに何かが芽を出し始めていた。
——【時空支配】。
そして、名もまだない“器”の力。
いつか、名前をつけよう。
名前をつけて、最初のドアを開ける。
空の上の居場所へ、最初の一歩を。




