024 夏の研究室 2 <グダグダ>
学生居室はパーティションで実験室とは仕切られており、実験室の熱い空気が入って来ない。だから、学生居室は、実験室に比べるとまだ涼しい。それでもクーラーで設定した28℃ではない。温度計は31℃を示している。人熱で湿度も高い。狭く細長い部屋の中に、10人以上の学生が実験室から避難している。室内の皆はなぜかポカンと口を開けている。『君らはワンコかっ!』と突っ込みたくなる。
エアコンの片方の吹き出し口が向いている部屋の奥の窓際は特等席だ。しかし、そこには安野先生が居座り、ダラダラと汗をかきながら一人の学生と熱い、いや『暑い』議論をしている。エアコンの冷気の無駄遣いだ。暑苦しい!
「麦茶!麦茶!」
実験室からやってきた院生が、学生居室の冷蔵庫を開けて、1.5Lのプラスチックのピッチャー(麦茶を作るやつ)を取り出す。しかし、ピッチャーの中にはほとんど麦茶が残っていない。出がらしの麦茶のパックがその中で湿っている。
「誰だぁ?最後に呑んだ奴は! 麦茶を飲んだら、次のを作っとけよ!」
院生君が怒りを部屋に撒き散らす。部屋の中に居る学生の視線がひとりに集中する。そいつは自分を指差し キョロキョロと周りを見渡し、
「えっ? オレ? オレなの?」
と呟く。
「まーつーもーとー!」
院生君は皆の視線の集中する松本君を睨む。院生君の低い声が部屋に響く。部屋が暑いと、皆、頭が熱くなっており、ちょっとした加熱で怒りの沸点に達しやすい。
松本君が言い訳をする
「せ、先輩。落ち着いて、ほら、まだ底に少し残っているでしょう。」
こんなときのそんな言い訳は逆効果だ。怒りをかき立てるだけだ。すなおに謝れば良いのに、と部屋の皆は思うが、院生君の怒りの矛先が自分に向いたらかなわない、と口には出さない。
「こんな10mLくらいを残っているとはいわん。」
院生君のさらに低い声が部屋に響く。一触即発の危機だ。
「はい! そこまで!」
安野の止める声が狭い部屋に響いた。
「お〜い。金を出すから、松本ぉ、生協で2Lのポカリを2〜3本買ってこい。 それからピッチャーをもう1個買ってこい。」
「へ〜い。」
院生君に睨まれた松本は、逃げるようにぴょんと立ち上がると安野から千円札を受け取り、買い物に出かけようとする。
「ちょっとまったぁ。松本、白衣は脱いでいけ。」
松本は裾のところが茶色く汚れている実験用の白衣を着ていた。
「え〜。このままでいいでしょ?」
「いや、この火曜日に生協の白石さんから安全の橋本さんに苦情が来たんだそうだ。『工学部の学生が汚い白衣で食道や店舗にしばしば来る。衛生的にも見た目も不快に思うお客さんが居るから、白衣着用で来店しないように指導してください』だそうだ。」
「いや? この白衣は…茶色いシミがついているけど、おととい洗濯したばかりですよ?」
「衛生的に問題なくても、見た目がきちゃないと、汚いと認識されるんだよ。 それに…それ以上に、おまぇ、下着のランニング・シャツに短パン、白衣で、すね毛が見えているし…春先によく見トレンチコート・マン(露出狂)みたいだぞ?」
「ハイ、どうぞ」と別の学生がサングラスとマスクを松本に渡す。
「はい、どうもって、…要らんわ!」
と松本がお約束のノリツッコミをする。周りの学生が即席のコントに笑っている。安野もひとしきり笑ってから、真顔で言った。
「短パン白衣の…『すね毛は社会(しゃかぁ〜い)のめ・い・わ・く!(迷惑)です。』」
「先生、それって、どこぞの風邪薬のコマーシャルのパクリですよっ!」
「それでも、すね毛は江戸時代の昔から社会的に認知されていないよ。 ほら、浮世絵なんかの人足もすね毛やむだ毛を処理しているよ?」
「それって、醜いから描いていないだけでは?」
「いや? あれは衛生的な意味があるんだ。ダニ感染症の予防策だよ。恙虫病などを媒介するダニにたかられないようにする目的だよ。決して見た目的な理由やないよ。」
安野のうんちくで話しがドンドン脱線していく…困ったもんだ。




