022−電源コード 1 <プリンターの故障>
「先生、プリンターが動きません!」
助教授室に飛び込んで来た。4年生の川瀬が涙目だ。
《またトラブルか…》
安野はゆっくりと事務椅子から立ち上がり、学生居室へと移動する。
正月あけの研究室の学生居室は、卒論を書く(?キーボードを打つ)学生たちで朝からわちゃわちゃしている。細長い部屋の2壁面にセールスマンデスクが背中合わせで2列並んでいる。2列のセールスマンデスクの間は通路になっているが、そこに背もたれ付きの学生事務椅子が乱雑に並んでいる。狭いセールスマンデスクの上に何台ものノートパソコンを並べて、学生たちがひたすら卒論を作成している。
学生たちはみんな目が血走り、殺気立っている。彼らの多くは徹夜のようだ。そして、少し臭い。今年は女の子がいないのが幸いだ。自分の体臭が気になるのか、オードトワレを付ける学生もいる。オードトワレと言うとエレガントだが、その日本語直訳は『トイレの水』だ。そのにおいも混ざり、学生居室は『においのごった煮』状態である。においに敏感な安野は、この時期の学生居室に長居しない。カオスなにおいで鼻が麻痺する。鼻が麻痺すると、実験室の危険を察知できない。一回、家に帰って風呂に入れ!シャワーを浴びてこい!
学生居室にはプリンターが2台ある。この時期、プリンターは2台ともフル稼働だ。学生が列を成している。
《アレレ?オカシイナ。 2台は別の列の棚の上においてはったはずなのに、今はなんで2台を並べて机の上においているんだろう。》
「もういいかげんに代われよ。」
「待てよ! まだオレが印刷してるだろう?」
「おまえ何枚印刷する気なんだよ!」
怒号が乱れ飛んでいる。
《来年の校費で、プリンター、もう1台買わなきゃなぁ。でも、置き場がないなあ。》
安野はカオスな室内を睥睨し、ため息をつきながら呟いた。
「で、どの子が壊れたって?」
「この子です。」
川瀬の指差したプリンターの本来の置き場は対面側のセールスマンデスクの棚の上だったはずだが?
「ところで、何でこのプリンターが2台並んでいるんだ?」
「こっちが下書用、こっちが清書用です。」
「なんで分けている?」
「印刷の効率化のためです。下書用の方は、トナーが薄くなって来ているので…」
《何じゃそりゃ?》「なら、トナー交換しろよ。」
「トナーは注文中です。」
「納品予定は?」
「来週です。」
「予備はなかったのか?」
「清書用の方が、予備のトナーです。両方ほぼ同時に薄くなったので…」
段取りの悪さと計画性の欠如に安野は軽いめまいを覚えた。
「…それで?」
「はい。昨日夕方に皆で話し合ってプリンターを並べたんですが、今朝になったら、移動した方のプリンターが動かないんです。」
「どれどれ?」
安野はプリンターの電源スイッチを動かしてみた。うんともすんともいわない。パイロットランプもつかない。
次に、プリンターのフューズを確認してみた。切れていない、
電源コードを見た。動かない方のプリンターは反対側のセールスマンデスクの下の壁コンセントからエクステンションコードを使って電源を取っていた。
「テスターをもってこい。」
安野はエクステンションコードの刺さっている壁コンセントの電圧を計った。テスターの針は110 Vを示す。正常だ。
「プリンターの移動の時に、落としたり、ぶつけてないか?」
「落としていません。ぶつけてもいません。」
川瀬がぷるぷると首を横に振る。ふと見渡すと、安野の作業を見守っていた周りの学生もぷるぷると首を横に振っている。そのシンクロがおかしくて、安野の頬は緩んだ。
「寿命かなぁ。」
怖いことを言ってみる。学生たちが『ガーン』と衝撃を受けた顔をする。表情のシンクロ率が高い。
安野が川瀬と頭をひねっていると、ひとりの学生が椅子に腰掛けたまま、ゴロゴロと椅子を滑らせ、プリンターの前にやってきた。
「すいません。印刷させてください。」
彼は活きている方のプリンターの前に自分のノートパソコンを置くと、USBを差し込み、印刷をはじめた。
「あっ!」
安野は思わず叫んだ。




