021−アクロレイン 2 <アクロレイン>
アクロレインの沸点は1気圧で53℃だから、減圧蒸留は不適切だ。ドラフト内でクライゼンヘッドを使った蒸留装置をつかって、常圧蒸留をしなければならない。アクロレインはアクリルアミドと構造式は似ていても、物性、特に沸点は大きく異なる。クーゲルロールで減圧蒸留しようとすれば、一瞬のうちに減圧条件化で気化してしまう。
そして、アクロレインは高い有害性を持つ。特にハプテン、つまり細胞性のアレルギーを誘発する高い能力を持つ物質である。
細胞性免疫は、主にウイルスに感染した細胞を見つけ出し、その細胞ごとウイルスを活性酸素で焼き殺す『破壊消火』的な免疫だ。
生体内の細胞は『抗原提示タンパク』の上に自分の細胞内で作っているタンパクの断片=ペプチドを提示している。白血球は生体内を巡回し、この提示されているペプチドが自分の身体を作っている部品の断片かどうかを判定する。それが、自分の身体を作っているタンパクの断片なら、白血球は反応しない。しかし、その断片が自分を作っているタンパクの断片でない、つまり曽於の細胞がウイルスなどに汚染され、そのウイルスの複製に関与していると判断したら、警戒警報を発令し、他の攻撃型の白血球を呼び集め、活性酸素でその細胞ごとウイルスを焼き殺そうとする。この時、活性酸素の流れ弾は周囲のウイルスに汚染されていない細胞を攻撃し、広範囲に組織が傷つく。これが炎症になる。
アクロレインはペプチドのN末端をシッフ塩基化する。
反応式で示すと
CH2=CH-CHO (アクロレイン) + H2N-ペプチド
→ CH2=CH-CH=N-ペプチド(シッフ塩基化したペプチド) +H2O
である。
抗原提示タンパクという俎板の上にある、自分の身体を作るペプチドをアクロレインは修飾(シッフ塩基化)し、それを白血球に『異物』と認識させてしまう。それにより、ウイルスにより汚染されていなくても、白血球はその細胞が異物を生産していると認識し、炎症をはじめとするアレルギー反応を引き起こしてしまう。(この説明は少し古いし、わかりやすさのために『ウソも方便』しています。興味を持ったら、読者さんが自分で最新の免疫学を勉強してみてください。)
安野はアレルギー体質である、茶房性免疫に起因するアレルギー(IV型アレルギー)を起こしやすい。IV型アレルギーは細胞性アレルギーとか遅延型アレルギーと呼ばれ、I型アレルギーと区別されている。I型アレルギーは『抗ヒスタミン』薬である程度押さえ込むことが出来る。しかし、IV型アレルギーは、ステロイド以外の有効なお薬が開発されていない。活性酸素を消去すれば炎症を抑制できる。しかし、それはウイルスに対する抵抗力を奪うことになる。後天性免疫不全(AIDSの症状)を起こしてしまう。危険である。
安野は会社員時代にこのIV型アレルギー抑制薬の研究をしていた。そのおかげで古いながらもアレルギーの発生機序をよく知っていた。そして、アクロレインの危険性を理解していた。
まずい。顔の右側が晴れてきたような気がする。左目の涙腺側に軽い痛みがある。至急病院へ行って、抗炎症薬を処方してもらわなければ、大変なことになる。
「池田! 間違いなくアクロレインだな!」
「ふぁーい」
池田の返事は間の抜けたモノであった。自分がしでかしたトラブルの重大性を理解していない。
「この部屋は総員退避だ。換気扇を回して、1時間ははいらないように。池田は直ぐにボスに状況の説明に走れ。オレは保健センターへ行く。片山は付き合ってくれ。家江は実験室からの退避を指導してくれ。」
「え〜っ!? ボスに報告するのはイヤだなあ。叱られちゃう。」
池田が寝ぼけたことを言っている。
「バッカモーン! 誰かを殺したくなければ、すぐに走れ! 重大事故だ!」
安野は大声で叱りつけると、片山と大学の保健センターへ急いだ。




