020-金属ナトリウム 2 <ジオキサンの乾燥-1>
「先生!」
「なにかな?山本君。」
「論文に記載されている超脱水ジオキサンが試薬屋で売っていません。どうしましょう?」
「超脱水ジオキサンは売っていないだろうねぇ。そんなもん使う人は滅多にいないよ。自分で調製するしか無いねぇ。」
「調製って…どうやるんですか?」
「超脱水テトラヒドロフランの調製と同じように、金属ナトリウムと少量のベンゾフェノンでケチルを作って加熱還流して水分を除き、それを蒸溜して調製するんだよ。」
「えー、面倒くさいなあ。」
「まあ、昔の人はみな超脱水溶媒は自分で調製していたのだよ。今は超脱水溶媒が市販されていて、良い時代になったよな。」
安野は研究室での超脱水触媒の調製の時にナトリウムで起きたボヤを思い出していた。
「この反応、市販の超脱水THFで代用できませんか?」
「どれどれ、論文を魅せてごらんよ。…これか、ああ、これは代用できないね。グリニャール試薬(R−MgI)からシュレンク平衡でヨウ化マグネシウム塩(MgI2)をジオキサン錯体化して沈殿させて、ジアルキルマグネシウム(R2Mg)を調製する方法だね。THF中ではヨウ化マグネシウムは沈殿しないから除去できないよ。」
「グリニャール試薬ではダメなんですか?」
「そうだね、グリニャール試薬のマグネシウム部分はルイス酸性が強いから、除去しなければこの反応には使えないね。」
「じゃあ、別法でジアルキルマグネシウムを調製できませんか?」
「このジオキサン法がそもそも安全に配慮した改良法だよ。昔は金属マグネシウムとジアルキル水銀(R2Hg)から塩を含まないジアルキルマグネシウムを調製していたんだ。ジアルキル水銀は、猛毒だよ。急性の中毒になると神経がやられて、…死ぬよ。」
「ヒェ〜。脅かさないで下さい。」
「脅しじゃないよ。事実だよ。アメリカのD大学のW先生はゴム手袋の上にたらした1滴のジメチル水銀が原因で亡くなられている….。僕が学生のころ、同じ研究室の助教授先生が冷や汗を流しながら、ジメチル水銀と金属マグネシウムからジアルキルマグネシウムを作ってたよ。ピリピリしていたなあ。」
「市販のジオキサンをグリニャール試薬にそのまま入れたら…」
「ジオキサンに溶け込んでいる水分でグリニャール試薬はすぐにつぶれて、活性がなくなるなあ。」
「う〜」
「アキラメロン。それと、市販のジオキサンはそこそこ水分を含んでいるから、金属ナトリウムと炊く前に、良くプレ・ドライしておくこと。さもないと爆発するよ。」
「また脅かして…。プレ・ドライはどうやりますのん?」
「まず、無水塩化カルシウムを入れた瓶に密閉して1〜2週間置いて置き、その後、モレキュラーシーブ3Aを入れた瓶に入れ直して2週間置いておくと良いかな?」
「じゃあ、この実験を行うまで準備に1か月くらいかかるということですか?」
「そうだね。実験の計画は早め早めの準備が大事だよ。」
「う〜。」
「アキラメロン。」
♫ ♫ ♫ ♫ ♫
その1週間後、山本君は短時間しかプレ・ドライしていないジオキサンを金属ナトリウムで脱水しようとしていた。
目の前のスターラー上のオイルバスに据え付けられた2つ口の1Lのフラスコの中には金属ナトリウムの欠片とフットボール型の磁気回転子を入れてある。そして、フラスコにはジムロート冷却管がつなげられている。そのジムロートの頂上には三方コックが据え付けられ、窒素で置換されている。
はじめての操作なので、少々コワイ。しかし、指示された十分なプレ・ドライを行っていないので、安野先生には直接の指導や相談をお願いし辛い。
ジオキサンは特殊なエーテル系の有機溶媒で、飽和6員環の2カ所が酸素で置き換えられた構造をしている。水との親和性が高いため、金属ナトリウムで最終的に脱水する前に、十分に予備乾燥しておく必用がある。正直面倒くさい。でも、もし水が残っていたら、加熱還流前に金属ナトリウムと水分が反応して、水素(H2)の泡が出るはずである。その泡が出終わってから加熱還流し蒸溜すれば、《まあ大丈夫だろう》と山本は考えた。




