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キャンパスでは「ご安全に!」  作者: リオン/片桐リシン
020-金属ナトリウム 全4話
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020-金属ナトリウム 1 <金属ナトリウム>


 平成になってから、有機金属試薬の反応用の少々お高いの『超脱水』有機溶媒が市販されるようになった。そのおかげで、金属ナトリウムを使った有機溶媒の脱水をそれぞれの研究室で行うことは稀になった。安全になったけど、それゆえに金属ナトリウムの正しい取り扱いを学生時代に経験していない者が増えた。これは残念なことかもしれない。

 現在の有機化学実験では反応資材(試薬)をサブミリモルスケールから、大きくても数ミリモルスケールでしか使わない。だから、未知の新しい反応が暴走しても、火事やボヤを起こすことはまず無い。研究のための原料合成は既知反応をマニュアル通りに行う。だから、その危険性に関する知見は十分に蓄積されている。それでも大学の研究で原料や試薬を数モルスケールで調製することは極めて稀だ。しかし、有機溶媒の調製は数十モルスケール、つまり普段の実験の1万倍のスケールで『有機溶媒』という薬品を使用する。そして、多くの有機溶媒は『可燃物』であり、時に『有害物』である。だから事故ると大きな被害を生じる。有機溶媒の調製作業は間違うことが許されない。だから、緊張感を伴う。単なる準備の一つであるけど、ある意味有機合成化学の醍醐味である。そして、会社に就職して、生産現場に配属されれば、数十モルどころか、数キロモルの有機溶媒を使うことになる。就職後の失敗は致命的である。だからこそ、学生時代に小さく失敗しておくことには意味がある。


 安野は学生時代に9回の消火活動(消火器の使用)を経験した、その経験を見込まれて、就職後1年で『自衛消防隊:消火班』の班長に抜擢された。大きな地声も消火班長として指示を通しやすいと評価された。でも、月1回のガチガチの操法訓練は…ダルい。操法を憶えるのは、面倒くさい。消火栓からホースを伸ばすのも、畳むはさらに面倒くさい。ついでに管槍の扱いもルールが厳しい。実際に消火栓の放水は年に1〜2回だけど、ぼんやりしているとホース内に送り込まれた水圧に振り回され、時にはじき跳ばされる。水魔法の攻撃を体験できる。


 学生時代に経験した9回の消火活動のうち、安野自身が発災者であったのは、1回だけである。残りの8回は他の学生が起こしたボヤを炭酸消火器で消しただけである。そして、その9回のうち8回の着火源は溶媒乾燥に使った金属ナトリウムであった。


 金属ナトリウム(Na)は水に触れると発火する。最初に金属ナトリウムと水の反応を見たのは、中学校の時だった。理科の先生が米粒(炊飯後の飯粒ではない)の大きさの金属ナトリウムを水を張った金属製のたらいに中に放り込むと、水素ガスを発生させながらネズミ花火のように水面を走り回り、足後に「パン」と水素爆発を起こした。

 金属リチウム(Li)も水と反応するが、ナトリウムに比べると穏やかだ。水面に浮いたリチウムはジ〜ワジ〜ワと水素を発生しても、水上で燃え上がることは無い。

 逆に金属カリウム(K)の反応はとても激しい。耳クソ大の金属カリウムでも水に放り込んだ瞬間、「パン」と炎と水柱を揚げて爆発する。会社員のころ、試薬庫の隅に放置されていた金属カリウムを処理したことがある。すでに瓶の中の金属カリウムは湿気と反応し白い固体と化していた。ほとんど湿気で潰れていると思われたが、残存していると危険であるから、屋外の深さ3メートルほどの所に水面のある中和層に、その固体を1 cm角に切ってから1つずつ放り込んだ。そのうちの一つにはまだ金属カリウムが活きていたようで、赤っぽい炎を上げて爆発した。正直、怖かった。

 アルカリ金属単体の水との反応性は周期表の下の方、つまり高周期側になるほどに激しい。実際に反応させたことは無いが、セシウム(Cs)だとどれほど激烈になるんだろう。


 市販の金属ナトリウムのインゴットはケロシン(灯油)に浸されて、空気や湿気から遮断されている。それでも、その表面は酸化や湿気との反応により薄く白く酸化された状態になっている。これを溶媒乾燥に使う時には、紙の上で乾いたキムタオル(使い捨ての実験用紙タオル)でその灯油を拭き取り、包丁で表面を削ってから使用する。包丁で表面を薄く削ると、うす青色の金属光沢を持つ金属ナトリウム表面が露出する。しかし、この表面の金属光沢は、空気中の水分により、瞬時に白く濁って行く。反応性が高いなあ。それとも日本は湿度が高いのかなあ。

 表面を削った金属ナトリウムを、4つのちいさな穴のあいているシリンダーに入れて、上から油圧ピストンで押すと、穴から金属ナトリウムのワイヤーがニョロニョロと出てくる。盛岡冷麺の作り方に似ている。これをスリ付きの大きな摩り付きのエーレンマイヤ−フラスコ(三角フラスコ)で受けて、これの中にエーテルなど、超脱水状態を維持させたい溶媒を入れる。


 シリンダーとピストンにくっついている金属ナトリウムの残渣は大きめのビーカーの中に入れたメタノールで洗う。シュワシュワと水素を発生させながら金属ナトリウムが溶けて行く。アルコールは水よりも水素イオン濃度が低い(pKaが大きい)ので、水素の発生は穏やかだ。アルコールは可燃性ではあるが、安全に金属ナトリウムを分解するにはアルコールが好ましい。

 厄介なのは、酸化表面除去のために切り落とした金属ナトリウムだ。これも少量ずつメタノールに入れて分解する。しかし、大量の金属ナトリウムをアルコールと反応させていくと、アルコキシド(R-ONa)の濃度が高くなり、水素イオン濃度が極端に下がり、ナトリウムと反応しなくなる。そんなアルコールを再生するためにちょっとだけ水を入れる、すると水素イオン濃度が高くなり、金属ナトリウム分解を継続できるようになる。しかし、ここで金属ナトリウムの破片が残っていると…発火したり、最悪の場合爆発する。


 金属ナトリウムは水と激しく反応するが故に有機溶媒中に残存する水を完全に除去することが出来る。超脱水溶媒の調製に使われる理由である。


注意:金属ナトリウムの扱い方は研究室によりいろいろな『流儀』があります。目的や使用量にあわせて最適な手段を選択するように。

警告:実際に金属ナトリウムを使うときは、エキスパートの立ち会い、指導下で作業すること。安全メガネなどの保護具、すぐ脱げる白衣を着用すること。消火器を準備しておくこと。慣れてもひとりで作業しないこと(というか実験はひとりの時におこなってはいけません)。


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