019-実験室の扉 2 <壁の有効活用:配電盤>
その日の午後、安野は橋本君とコーヒーを飲んでいた。
「先生、先生のレイアウト案では電源は全て天井から垂らすんですよね。」
橋本君の質問に対して、安野はニヤッとして答えた。
「そうだよ。準備室の電源も壁面に天井から垂らして机面よりも高い位置にコンセントを設置するつもりだ。」
橋本君は首を傾げて尋ねた。
「床に近いところにコンセントは要らないんですか?」
「いらない。『見えない場所』や『隠れてしまう場所』にコンセントをおくと、ホコリがたまってトラッキングの原因になる。電源は高エネルギーの危険要因になり得る。それに電源コードを床に這わせると、イスのキャスターで引いてしまい、断線したりショートしたりする。足を引っ掛けることもある。電源はすべて上から垂らすか、机面よりも高い壁面に配置して、『危険の見える化』を徹底するつもりだよ。」
「なるほど?」
橋本君は少し首をかしげながら考えた。
「でも先生、天井板に電源の穴をあけるのは、少しミットモナイのでは?」
「実験室には天井も要らないよ。頭の上に金属ラックを這わせて、そこに電源コードを通して、上から垂らすことにしたい。少し武骨だけど、頭の上の空間が広々としていると気分が良いと思うよ。」
「エアコンはどうするんですか?」
「エアコンの室内機はどっちみちコンクリ面からぶら下げるんだろ? 天井が無くても支障はないよ。でも居室、準備室は天井がいるかもなあ?」
「詳しいことは電気設備の人と相談してから決めましょうか?」
「そうだね。モチはモチヤというしね。」
♫ ♫ ♫ ♫ ♫
「トいうことで、電源は天井レベルでラックを這わせて、その上から垂らしたいんですが…」
「わかりました。でも、天井なしだと、冷暖房効率が下がるなあ。」
「そこは何とか断熱材を…」
「アスベストが使えなくなってねえ。」
安野は電気設備の鈴木さんと打ち合わせていた。
「いやぁ。柿澤から安野先生は無茶な要求をされる方だと聞いていたから、ビクビクしていたんですよ。思ったより常識的な提案でしたね。」
「そんな…僕は柿澤さんに無茶な要求など、していませんよ。」
でも、鈴木さんの後ろに控える橋本君が苦笑いをしながら平手をぷるぷると目の前で横に振っている。 …失敬な。
実験室の手書きのレイアウト図を見ながら、安野は鈴木さんと打ち合わせを続けた。
「それで、配電盤ですが、この柱のところで良いでしょうか?」
「いいえ、この非常扉の上に設置してください。」
「へっ? 扉の横ではなく、上ですか?」
「上です。扉の上なら床面積を削らなくて済みます。冷蔵庫を1台余分に置けます。」
「でも、配電盤をそんなに高いところに置くと、ブレーカーの復帰が大変ですよ。」
「脚立を用意します。」
「本音を言えば、地震で配電盤が落下してくると、扉が使えなくなりますよ。」
「配電盤は落ちても主幹電線でぶら下がるだけでしょう? それにこの扉は外開きだから、配電盤がぶら下がって来ても。扉の開閉に支障はありません。 それに…」
安野がさらに何かを言おうとしている。
「それに?」
「扉の上なら、配電盤の前に機器や什器を誰も置けません。」
「…」
配電盤は研究者にとって使用機器ではない。邪魔者だ。だから園前に軽い動かしやすい機器や什器を置いている研究室が多い。電気系統の点検も業務にしている鈴木さんの悩みの種だ。
安野の提案に対して、鈴木さんがすくいを求めるように橋本君の方を向く。でも橋本君は首をすくめる。それを見て安野も首をすくめる。鈴木さんも首をすくめて、これが本当の三すくみだ(違う!)。
♫ ♫ ♫ ♫ ♫
翌日、橋本君がやたら嬉しそうに、ニコにコ顔で研究室にやって来た。
「先生、設備での先生の評判が芳しくありませんよ。」
「何で君はそんなにうれしそうなんだ? でも、さもありなん。あれだけ意見が衝突したからなあ。でも無理なお願いをしたつもりは無いんだけどなあ。」
「先生の提案が斬新すぎるんですよ。」
「そんなこと無いよ、天井電源はH社の基礎研究所と同じ仕様だよ。外開きのパニックレバー扉も、海外では一般的だよ。」
「それでもねえ。前例と違うということは、公務員の苦手とするところですからねえ。『業者に丸投げできない』『面倒くさい』と設備部の面々が頭を抱えていますよ。」
安野はニヤリとした。




