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キャンパスでは「ご安全に!」  作者: リオン/片桐リシン
025 点呼 全2話+3話
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閑話-15 安全勉強会-1 <道義的責任>



 教室で講義を受けている学生は『映画館の観客』と同じである。大地震などの発災時に教職員に避難誘導してもらう『権利』を有する。その避難誘導をスムーズに行うための措置に従う『法的な義務』はない。

 その措置に従わずに点呼簿に自分の氏名を記載せず、点呼を受けない、あるいは教室に取り残され被災するのは『権利の放棄』であり、愚行権の行使であるから、それによる被害は『自業自得』となる。しかし、ウソの記載で避難誘導を『故意に妨害』する行為は、法的に罰せられないとしても、道義的な罪である。法的には責められなくても、道義的に責められる。

 このような『責任』の有無は、いまだに明確な線引きの出来ないグレーゾーンだ。


 大学における学生の『義務』については、まだ未確立だ。

 例えば、火災を見つけた時:マニュアルには『火災発生を火災報知ボタンを押すことで知らせ、詳細を職員に報告すること』とされているが、これは発見者の道義的な義務である。怖くて逃げた学生を罰する法律は無い。その一方で、発見したボヤの初期消火などは管理代行者としての教職員の法的な義務である。この義務の範囲はその職場の『労働者』であるか否かで大きく異なる。


 海外では、他国からのポスドク(非常勤研究員)が火災を起こした時に、初期消火を行わず逃げ出し、大火事になってしまった事例が発生し、ネット上でもいろいろ議論された。彼の場合、非常勤の雇用契約内容に火災発生時の消火義務は記載されていなかった。そのために損害賠償などの法的な責任は負わされなかった。しかし、いかに優秀でも彼を研究員として雇い入れられる大学は無いだろう。彼のアカデミックキャリアはそこでおしまいになる。さらに、企業も彼を雇用しないだろう。彼の化学者としての未来は閉ざされてしまった。非常に重い道義的責任を負うことになった。 


 悩ましいのは、4年生になって研究室配属された学生や大学院生だ。

 リサーチアシスタントやティーチングアシスタントとして『お給料』をもらっている学生は、労働者だ。その法的責任はポスドクよりも軽いが、道義的責任を免れるわけではない。しかし、学費を払って研究室で研究活動を行っている学生は、労働者ではない。だから、法的に保護されない。化学系の実験室においては、労働安全衛生法に記載されている三つの安全管理、すなわち、作業環境測定、特殊健康診断、安全教育について、その実施は予算も含めてほとんど各研究室にまかされている。作業環境測定の実施状況はよろしくない。費用や設備にお金がかかる。特殊健康診断の受診状況も芳しくない。労働者ではない学生全てに受診させるには大学から与えられる校費では賄いきれない。教授の中には「代表で自分が受診すれば良いだろう」とのたまう大先生もいる。特殊健康診断はで問題にされる化学物質に対する感受性は一人一人異なる。健康診断は個別てで行わなければ意味が無い。教授先生が大丈夫であっても、同じ環境で健康障害を起こす学生もいる。また、安全教育も大学研究室用のマニュアルやテキストは十分に整備されていない。


 安全教育の一貫として、研究室横断で安全勉強会の実施を助6人の講師で企画した。しかし、『ヒヤリハット事例を研究室間で共有することを許さない』と、いくつかの研究室の責任者であある教授から『待った』がかかった。研究室の恥をさらすことは、たとえ同じ学科でも、いや、同じ学科だからこそ許されなかった。これでは教育の標準化は困難である。


 幸いに私の研究室では教授のGOサインが出たので、研究室内で安全勉強会を開催し、そのヒヤリハットに関する議論内容を『勝手に』各研究室の教員に『安全勉強会ニュース』としてメール配信していた。

 それでも、細微小災害や事故については研究室における実際の事例報告を避け、例えばアメリカ化学会のC&E NewsのChemical Safetyの類似事故を題材に勉強会では議論している。


 ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ 


 「本日のセミナーは『安全勉強会』だ。火災発生時の対応をケースメソッドで話し合おう。」

助教授先生の呼びかけで今日の研究室のセミナーが実験室内で始まった。実験室の安全を議論するのなら、現場主義が原則だ。セミナー室では議論が言葉だけになる。


 「先生、ケースメソッドってなんですか?聞いたことが無いんですが。」

 「ケーススタディの間違いじゃないんですか?」

学生たちが疑問を口にする。

 「ケーススタディはいろいろな事故を分析する手法だけど、あるインシデントを十分に勉強して、『どのような行動を取るべきだったか』を明らかにするものだな。ケースメソッドも事故を分析する手段だけど、その場その場で『自分は何を行うか?』を明らかにしていく手段だ。ある意味、ケーススタディは『神の視点』でインシデントを分析し教訓を得るのに対して、ケースメソッドは『現場の視点、人の視点』でロールプレイして、問題点を露にしていくわけだな。ケーススタディとメソッドはよく似ているけど、スタディはきれいごとになりやすい。一方、メソッドは自分の見落としや考え方の穴を見つけ出すことが出来る。」

 「ふ〜ん? 良くわからないなあ。」

 「まあ、実際にやってミソ?」


 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 先生が想定を話す。一人の学生さんがホワイトボードにはり付いて書記をしている。

 「火災の想定だ。大学院棟603室、この部屋だな。そこでボヤが発生した。さあどうする? 冬彦!」

指名された学生が、「えっ?オレ?」とばかりに自分を指差し立ち上がる。


 「ボヤのうちに火を消します。」

 「どうやって?」

 「えーと、消火器で。」

 「消火器はどこにある?」

 「えっ! えっ? 廊下に粉消火器があります。」

すると院生の外海が口を挟む 

 「待て待て! 粉消火器なんか使ったら、後片付けが面倒だ。ボヤのうちなら、研究室に備え付けの炭酸消火器を使う方が良い。」

 「炭酸消火器はどこにある?」

 「そりゃ各部屋の入り口のところに…あれ? ない。」


 院生の片山が頭をかきながら呟く。

 「ゴメン、昨日の夕方に有期リチウム試薬を使った反応の時に、万が一の備えに持ってって、ドラフトの前に置きっぱなしにしていた。」

 「ダメじゃん、片山ン。戻しておけよぉ!」

 「ごめんて。わざとじゃないしぃ。」

 「なにフナッシーになってるんだしー」

しょっぱなからセミナーはグダグダだ。先生はウヘェという顔をして両掌を上に向けて肩を顰めた。


 「まあ、使ったモノはすぐに元に戻しておくことだな。幼稚園で習っただろ?」

 「もうずいぶん昔のことなので憶えていません。」

 「ずいぶん昔って言ってもまだ16年くらい昔だろ? 大事な躾だろ?」

 「は〜い。」

返事だけは良い。


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