↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/41

第5話 こんな気持ち

「うう~、緊張する……」


土曜日の朝。


私は吉祥寺へ向かう電車に揺られていた。


これから、早川君の部屋へ行く。


男の子の部屋へ遊びに行ったことなら、小学生の頃にある。何人かで集まってゲームをしただけだから、あれを数えていいのかは分からないけれど、とにかくそれ以来だ。


しかも今回は、一人暮らしをしている男の子の部屋へ、私一人で行く。



つまり、二人きり。



改めて考えると、なかなか大胆なことをしようとしている気がする。


「…………」


大丈夫だよね。



早川君だし。



別に危ないとは思っていない。


この前だって、私が「行っていいの?」と聞いたら、誘った本人の方が驚いていたくらいだ。


それでも、男の子の部屋へ遊びに行くとき、どう振る舞えばいいのかは分からない。


膝の上に置いたリュックへ、そっと手を添える。


中には、今朝作ったクッキーが入っていた。


早川君の部屋へお邪魔するのだから、何か持っていった方がいいと思ったのだ。


とはいえ、お店で買うとなると、それなりにお金がかかる。


だったら自分で作ればいい。


材料はなるべく安いものを選び、オーブンなんて洒落たものは持っていないので、フライパンで焼いた。


包装は百均。


我ながら、徹底している。


味見はした。


たぶん、大丈夫。


少なくとも、人に食べさせてはいけないものにはなっていない。


「早川君、甘いもの好きかな……」


作ってから気づいた。


聞いておけばよかった。


もし嫌いだったらどうしよう。


いや、嫌いなら私が食べればいい。


でも、それはそれで少し寂しい。


どうして寂しいのだろう。


「…………」



考えるのはやめた。



電車が吉祥寺へ近づくにつれて、胸の奥の落ち着かなさが少しずつ大きくなっていく。


駅へ滑り込むアナウンスが流れたので席を立ち、ドアの前へ移動した。


何気なく窓を見る。


そこに自分の姿が映っていた。


髪は、いつもより少しだけ丁寧に整えてある。服も普段なら大学へ行くときにはほとんど着ないブラウスに、久しぶりのスカートを選んだ。


別に、お洒落をしたつもりはない。


……いや。


これは、お洒落をしたことになるのだろうか。


「わたし、なんでこんなに気合い入れてるんだろう」


窓の向こうの私も、当然答えてくれない。


「ばーか」


小さく口を動かしたところで電車がホームへ入り、窓に映っていた私は、ホームを行き交う人の姿に紛れて消えた。


明大前で井の頭線へ乗り換え、吉祥寺に着いたのは待ち合わせの十分前だった。


南口改札を抜け、人通りの邪魔にならないところで早川君を待つ。


休日の吉祥寺は朝から人が多く、待ち合わせをしている人も何組かいる。少し離れたところでは、同じくらいの年齢の男女が楽しそうに話していた。


あれは、たぶん恋人同士だ。


そこで、ふと思う。


男の子と女の子が、休日に二人で待ち合わせをしている。


これって――。



デート?



いやいや。


ないない。


これから二人でアダルトビデオを見るのである。


そんなデートがあってたまるか。


「……でも」


少しだけ胸が落ち着かない。


待ち合わせの時間が近づくたびに、改札の方を見てしまう。


もしかしたら、デートで相手を待っている女の子も、こんな気持ちなのだろうか。


そう考えたところで、ふと気づいた。


「これ、使えるかも」


紗栄子だ。


今まで分からなかった女の子の気持ちを、私は今、少しだけ経験している。


もちろん、これはデートではない。


断じて違う。


でも、この落ち着かなさは覚えておこう。紗栄子を書くときに使えるかもしれない。


そうやって何でも小説の材料にしようとするあたり、私も少しは作家らしくなってきたのかもしれない。


たぶん。


しばらくして、公園の方から歩いてくる人たちの中に、頭一つ抜けた人影を見つけた。


早川君だ。


こういうとき、背が高い人は便利だ。


向こうは、まだ私に気づいていない。


人の間を縫うように歩きながら、こちらへ近づいてくる。


私は少し迷ってから、小さく手を振った。


気づくかな。


早川君の顔がこちらを向く。


一瞬だけ目を細め、それから私だと分かったのか、大きく手を上げた。


その瞬間、さっきまで胸の中にあった落ち着かなさが、ふっと軽くなった。


たった、それだけなのに。


「……なんだろう」


自分でもよく分からない。


でも、嫌な感じではなかった。


むしろ――。


「ごめん、待たせちゃった?」


早川君の声で、考えが途切れた。


「ううん。わたしが少し早く来ただけ。早川君は時間通りだよ」


「そっか、よかった」


そう言ってから、早川君が私を見る。


顔を見て、髪へ視線を移し、それから服へ。


視線が一度下がって、また戻ってきた。


「……なに?」


「あ、いや」


早川君が眼鏡の位置を直す。


「なんか、今日は感じが違うね」


「変……かな?」


急に不安になって、スカートの裾を少しつまむ。


やっぱり普段通りの服で来ればよかっただろうか。


「いや、そうじゃなくて」


早川君が慌てた。


「すごく良いと思います」


「…………」


なぜ敬語。


「ありがとう……」


自分でも分かるくらい、声が小さくなった。


褒められた。


ただそれだけなのに、なんだか顔が熱い。


「早川君の家、この近くなの?」


これ以上この話を続けるのが恥ずかしくなって、私は強引に話題を変えた。


「うん。歩いて十分くらいかな。こっち」


早川君が歩き出す。


私もその隣へ並んだ。


……つもりだった。


数歩で遅れた。


早川君は百八十センチ以上ある。


対する私は小さい。


当然、歩幅も違う。


本人はゆっくり歩いているつもりなのだろうけれど、私は少し早足にならないと追いつけない。


「早川君、ちょっと速い」


「あ、ごめん」


すぐに歩調を緩めてくれた。


「これくらい?」


「うん」


今度は並んで歩ける。


ほんの少し歩く速さが変わっただけなのに、それが妙に嬉しかった。


今日は、さっきから変だ。


待っている間もそうだった。


見つけてもらったときも。


服を褒められたときも。


そして今も。


今までなら、こんなことはいちいち気にしなかったと思う。


これも、小説を書くために意識しているからなのだろうか。


だったら覚えておこう。


紗栄子を書くときに、きっと役に立つ。


そういうことにしておく。


十分ほど歩いたところで、早川君が足を止めた。


「ここだよ」


「……ここ?」


「うん」


目の前の建物を見上げる。



もう一度見る。



十階どころではなさそうなマンションだった。


入口には植え込みがきれいに整えられ、ガラス張りのエントランスの向こうには、ホテルみたいなロビーが見える。


少なくとも、私の住んでいるアパートとは同じ「集合住宅」という括りに入れてはいけない気がする。


「早川君、ここに住んでるの?」


「うん」


「一人で?」


「そうだけど」


そうだけど、ではない。


学生の一人暮らしと聞いて、勝手に自分と似たような部屋を想像していた。


「……家賃、いくら?」


「え?」


「いや、なんでもない」


聞くのが怖くなった。


早川君が入口へ近づくと、エントランスの自動ドアが静かに開いた。


「ついてきて」


「う、うん」


私はリュックの中のクッキーを思い出した。


材料費を抑えて、フライパンで焼いて、百均の袋に詰めたクッキー。


今朝までは、それなりによくできたと思っていたのに。


急に、ものすごく安っぽく思えてきた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。