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第40話 決めた

講義が終わった。


教室を出てスマホを見ると、弁岳君からメッセージが届いていた。


《正門前に着いたよ》


やっぱり。


来ている。


私は鞄を肩に掛け直し、正門へ向かった。


今日、弁岳君が夜景を見に行こうと言ったときから、なんとなく分かっていた。


たぶん。


今日だ。


これまでだって、何度かそれらしい雰囲気はあった。


私といると楽しいとか。


また会いたいとか。


言わないと伝わらないでしょ、とか。


あの人は、そういうことを自然に言える。


だから。


今日、何を言われるのか。


なんとなく分かっている。


そして。


私の答えも、もう決まっていた。


正門を出ると、見慣れてきた赤いロードスターが停まっていた。


弁岳君は私を見つけると、車から降りてくる。


「お疲れさま」


「お待たせ」


「時間通りだよ」


いつものように助手席のドアを開けてくれる。


「ありがとう」


シートに身体を沈める。


最初に乗ったときは、この低さにも驚いた。


今はもう、少し慣れた。


弁岳君が運転席に乗り込む。


「今日は屋根どうする?」


「寒くない?」


「ちょっと寒い」


「じゃあ閉めとこう」


「うん」


エンジンがかかる。


車がゆっくりと正門前を離れた。


「そういえばさ」


「うん?」


「先週のバイク、怖くなかった?」


「最初は怖かったよ」


「やっぱり」


「でも、楽しかった」


後ろに乗って。


ヘルメットを被って。


車とはまるで違う景色の流れ方に驚いた。


「また乗りたいくらい」


「じゃあ、今度は海まで行こうか」


「海?」


「湘南とか」


「いいね」


答えてから。


少しだけ胸が痛んだ。


今度。


その言葉を。


私はどこまで約束していいのだろう。


「……弁岳君」


「ん?」


「なんでもない」


言うなら。


ちゃんと言われてからにしよう。


そう思った。



*



着いたころには、もう陽が落ちていた。


車を停めて、二人で歩く。


眼下を走る車のライトが、途切れることなく流れていた。


遠くには街の明かりが広がっている。


「すごい……」


「でしょ?」


「うん。綺麗」


くじら橋。弁岳君が教えてくれた場所。


ロードバイクでこの辺りを走ることがあるらしい。


「自転車でここまで来るの?」


「来るよ」


「やっぱりお金持ちって変わってる」


「それ、金持ち関係ある?」


「あ、ないか」


「ないよ」


二人で笑った。


こういうところ。


私は弁岳君と一緒にいるのが嫌じゃない。


むしろ。


楽しい。


話しやすいし。


優しいし。


変に気を遣わなくていい。


この人と付き合ったら。


きっと大切にしてくれる。


そう思う。


でも。


それと。


好きになることは。


別だった。


「花音ちゃん」


「うん」


さっきまでとは少し違う声だった。


来た。


そう思った。


「ちょっと真面目な話していい?」


「うん」


弁岳君は夜景を見る。


私ではなく。


しばらく、そのままだった。


「最初に会ったの、合コンだったよね」


「うん」


「正直、あのときは、ちょっと気になるなってくらいだった」


私は黙って聞く。


「花音ちゃん、全然やる気なかったし」


「だって、ご飯を食べに行っただけだから」


「そういうところ」


「え?」


弁岳君が笑った。


「そこが面白かった」


「褒められてる?」


「褒めてるよ」


たぶん。


「僕さ、わりと最初から、いろいろ見られるんだよね」


「いろいろ?」


「家とか。車とか。大学とか」


「ああ」


「この車だって、自分で買ったわけじゃないし」


前にも。


似た話を聞いた。


「だから、そういうの全部込みで僕を見る人もいるし、逆に、それだけで嫌う人もいる」


「ふうん」


「ほら」


「何?」


「そういうところ」


また言われた。


「普通、もうちょっと何かない?」


「だって、弁岳君が金持ちなの、わたしには関係ないし」


弁岳君が笑った。


「それ」


「?」


「たぶん、そこが好きになった理由」


「…………」


さらっと。


言われた。


でも。


今までとは違った。


「花音ちゃんって、僕が何に乗ってても、どこの家の人間でも、たぶん態度変わらないでしょ」


「どうだろう」


「変わらないよ」


弁岳君が言う。


「ロードスターに乗ったときだって、車が高いとかじゃなくて、屋根が開いたことに一番喜んでたし」


「だって、開いたら楽しいよ」


「うん」


「バイクも楽しかったし」


「うん」


「お弁当だって普通のだったし」


「あれは、すごく美味しかった」


「そう?」


「そう」


弁岳君は少し笑って。


それから。


私を見た。


「そういう花音ちゃんが好き」


「…………」


今度は。


はっきりと言われた。


胸が痛い。


嫌だからじゃない。


嬉しい。


こんなふうに。


私を見てくれる人がいる。


それが嬉しい。


だからこそ。


ちゃんと答えなければいけない。


「弁岳君」


「うん」


「わたし――」


「好きな人いるでしょ?」


「え?」


また。


言われた。


「流留君にも言われた」


「流留君って、例の年下?」


「うん」


「やっぱりライバル多いなあ」


「流留君も、わたしのこと好きだって」


「マジか」


「でも、流留君も知ってる。わたしに好きな人がいるって」


「そっか」


弁岳君は少し笑った。


「じゃあ、僕も同じか」


「……ごめんなさい」


「まだ告白してないんだけど」


「あ」


しまった。


「先に振られた」


「ご、ごめん」


「ひどいなあ」


そう言って笑う。


でも。


「じゃあ、ちゃんと言わせて」


「うん」


弁岳君が私を見る。


「花音ちゃんが好きです」


逃げない。


笑って誤魔化さない。


「僕と付き合ってほしい」


私は。


一度だけ息を吸った。


「ありがとう」


それから。


弁岳君を見る。


「でも、ごめんなさい」


「うん」


「わたし、好きな人がいる」


「知ってた」


「その人とは……付き合えるか分からない」


「うん」


「たぶん、わたしじゃない人を好きだから」


「そっか」


「それでも」


私は言った。


「弁岳君とは付き合えない」


言えた。


早川君に振られたとしても。


だからといって。


弁岳君を好きになるわけじゃない。


「ごめんなさい」


少しだけ。


沈黙があった。


弁岳君が夜景を見る。


「あーあ」


両腕を上げて。


大きく伸びをした。


「やっぱり負け戦だったか」


笑っている。


「落ち込まないの?」


「落ち込んでるよ」


「見えない」


「男のプライド」


「そういうもの?」


「そういうもの」


そして。


「でも、まあ」


弁岳君が私を見る。


「これで花音ちゃんと会わなくなる必要もないでしょ?」


「え?」


「友達として、またデートに誘うよ」


「それ、デートって言うの?」


「男女で出かけたらデートでいいじゃん」


「いいのかなあ」


「僕の中ではいいの」


相変わらずだ。


「またバイク乗ろうよ。海も行ってないし」


「……うん」


「嫌なら断って」


「うん」


「僕も無理に誘わないから」


軽い。


でも。


その軽さがありがたかった。


私は振った側なのに。


弁岳君の方が、私に気を遣っている。


「ありがとう」


「何が?」


「いろいろ」


「どういたしまして」


流留君も。


そうだった。


好きだと言った。


私に好きな人がいることも知っていた。


それでも。


自分の気持ちを伝えた。


弁岳君も。


たぶん。


今日ここへ来る前から。


私の答えを知っていた。


それでも。


ちゃんと言った。


――言わないと伝わらないでしょ?


あのときの言葉が。


また浮かぶ。


「弁岳君」


「うん?」


「聞いていい?」


「どうぞ」


「フラれるって分かってたのに、なんで告白したの?」


「うーん」


少し考える。


「好きだったから」


「それだけ?」


「それだけ」


簡単に言う。


「好きなのに、好きじゃないふりする方が嫌だったし」


「…………」


「それに」


弁岳君は夜景へ目を戻した。


「伝えなかったら、僕の中ではずっと終わらないから」


終わらない。


その言葉が残った。


「花音ちゃん」


「なに?」


「その人に、好きって言った?」


「…………」


答えられなかった。


弁岳君は。


それ以上聞かなかった。


「寒くなってきたね」


「うん」


「帰ろうか」


「うん」


歩き出す。


弁岳君の少し後ろを。


私は歩いた。


流留君は言った。


好きだと。


弁岳君も言った。


好きだと。


二人とも。


私に好きな人がいると知っていた。


それでも。


自分の気持ちを、なかったことにはしなかった。


竹下先輩の言葉を思い出す。


――好きになったことまで、なかったことにする必要はないでしょ。


私は。


どうなんだろう。


早川君に好きな人がいるから。


困らせたくないから。


だから言わない。


ずっと、そう思っていた。


でも。


それだけじゃない。


怖かった。


好きだと言って。


ごめん、と言われるのが。


怖かった。


それでも。


今日、弁岳君は言った。


私に断られると分かっていて。


ちゃんと。


好きだと。


私は立ち止まった。


「花音ちゃん?」


数歩先で、弁岳君が振り返る。


「どうしたの?」


「……ううん」


私は首を振って。


追いついた。


決めた。


私も。


ちゃんと言おう。


早川君に。


好きだって。





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