第11話 見学だけだもん
面接場所に指定されたのは、六本木のホテルだった。
「…………」
駅を出てからスマホの地図を頼りに歩き、ようやく目的の建物を見つけたところで、紗栄子は足を止めた。
ホテル。
やっぱりホテル。
住所を何度確認しても間違っていない。
「普通、面接って事務所でするものじゃないの?」
誰に聞かせるでもなく呟いて、もう一度建物を見上げる。
立花企画。
一応、芸能プロダクションらしい。
一応、というのは、未だに紗栄子が信用していないからだ。
渋谷で突然声をかけてきた怪しいオッサン。
バイトを紹介すると言っておきながら、仕事内容についてはほとんど説明しない。
それでも今日ここまで来たのは、面接を受ければ交通費として五千円をもらえると聞いたからだった。
五千円。
大きい。
今の紗栄子にとっては、とても大きい。
「面接だけ受けて、怪しかったら帰ればいいんだから」
自分に言い聞かせ、紗栄子はホテルへ向かった。
もちろん、何も考えずに来たわけではない。
ネイビーの七分袖ジャケットに白のVネックカットソー。パンツも白を基調にして、ベージュの細いストライプが入ったものを選んだ。ベルトとパンプスもベージュで揃えてある。
普段より少し大人っぽく見える。
芸能プロダクションの面接なのだから、それなりの格好はしてきたつもりだ。
だからこそ。
「……なんでホテルなのよ」
服装と場所が、どうにも噛み合っていない。
ホテルは十階建てくらいだろうか。想像していたより普通のシティホテルで、少なくとも外から見た限りでは怪しい雰囲気はない。
だからといって安心できるわけでもない。
紗栄子は入口の前で、また足を止めた。
ホテル。
知らない男。
芸能プロダクション。
面接。
頭の中で並べてみる。
「…………」
やっぱり怪しい。
いきなり部屋へ連れ込まれて襲われたりしないだろうか。
そこまで考えて、紗栄子は鞄の中のスマホを確認した。
何かあったら、すぐに逃げる。
大声を出す。
警察を呼ぶ。
そして、五千円だけもらって帰る。
最後の一つは余計な気もするけれど、ここまで来た交通費は交通費だ。
覚悟を決めて中へ入ると、ロビーには待ち合わせ用のソファがいくつか並んでいた。
拍子抜けするほど普通だった。
時間になったら会社の人間が迎えに来ると聞いている。
紗栄子は辺りを見回した。
それらしい人はいない。
そもそも、それらしい人というのがどんな人なのかも分からない。
立花みたいな怪しいオッサン?
できれば違ってほしい。
「失礼ですが、紗栄子さんですか?」
突然声をかけられ、肩が跳ねた。
振り返る。
「はい?」
そこにいたのは、予想に反して若い女性だった。
ラウンドネックのカットソーにセミフレアのパンツ。首からネックストラップを下げている。
年齢は二十代後半くらいだろうか。
いや、もっと若いかもしれない。
落ち着いた服装のせいで、大人っぽく見えているだけなのかも。
それにしても。
美人だ。
軽くウェーブのかかった髪は控えめな茶色で、メイクにも隙がない。
紗栄子は思わず自分の服装を確認した。
負けてはいない。
……たぶん。
「お待ちしてました。私、三枝杏果と申します」
「あ、はい。紗栄子です」
「立花企画で、事務兼秘書兼ADを担当しています」
「ずいぶん兼ねてますね」
「小さい会社だからね」
杏果は苦笑した。
少なくとも、話しやすそうな人ではある。
それだけで少し安心した。
やっぱり立花が怪しいだけで、会社そのものは普通なのかもしれない。
「撮影現場は十階です。どうぞ、こちらへ」
「はい」
言われるままについていき――。
二歩ほど進んだところで、紗栄子は止まった。
「……撮影?」
*
「あの、撮影って何ですか?」
エレベーターへ乗るなり、紗栄子は杏果に尋ねた。
「私、今日は面接で来たんですけど」
「面接……」
杏果が露骨に嫌そうな顔をした。
紗栄子に対してではない。
どうやら、何か心当たりがあるらしい。
「社長には、今日、新人の女優さんが来るから連れてこいとしか言われてないの」
「女優?」
「やっぱり聞いてないんだ」
杏果は小さくため息をついた。
嫌な予感がする。
ものすごく嫌な予感がする。
「何の撮影なんですか?」
杏果は少しだけ言いにくそうにしてから、あっさり答えた。
「アダルトビデオ」
「…………」
エレベーターの中が静かになった。
「はい?」
「アダルトビデオ」
聞き間違いではなかった。
「無理です」
即答した。
「私、そんな話、何も聞いてません」
「だよね」
「聞いてたら来てません」
「それもそうだよね」
杏果の反応を見る限り、この人も事情を知らなかったらしい。
だったら悪いのは――。
「あのオッサン……」
「社長ね」
「あ」
しまった。
「ごめんなさい」
「いいよ。私もたまにそう思うから」
杏果が真顔で答えた。
少しだけ好きになった。
「でも、どうしよう……」
紗栄子は階数表示を見る。
数字はどんどん十階へ近づいている。
今すぐ一階のボタンを押して逃げたい。
「私、帰ってもいいですよね?」
「それは社長に直接言って。私は連れてこいと言われただけだから」
「でも、なんだか怖いです」
エレベーターが十階に着いた。
扉が開く。
杏果は構わず廊下へ出ていった。
「ちょ、ちょっと待ってください」
紗栄子も慌てて追いかける。
すると杏果が足を止め、さっきより少し優しい声で言った。
「大丈夫。はっきり断っている子を無理やり出演させたりはしないから」
「本当ですか?」
「本当。それに、あなたが出られなかった場合の保険もあるし」
「保険?」
「私が出るの」
「え?」
思わず杏果の顔を見た。
「杏果さんが?」
「こういうこと、たまにあるのよ。だからあなたが無理でも、撮影そのものができなくなるわけじゃない」
「でも、杏果さんは平気なんですか?」
「平気というか……」
杏果は苦笑した。
「あんまりやりたくはないけど、仕事だから仕方ないかなって。それに私が代役で出ると、その分ギャラも上乗せされるし」
「ギャラって、そんなにいいんですか?」
「新人でも十五万くらいかな。交通費も一律五千円出るし」
「十五万?」
思わず声が大きくなった。
十五万円。
頭の中で数字が踊る。
今のバイト代なら、二か月近く働いてようやく届く金額だ。
一日で十五万円。
いや。
一日どころか、撮影が何時間なのかも知らない。
「…………」
ちょっと待って。
計算しそうになっている自分がいる。
ダメだ。
さすがにダメ。
人前で裸になるなんて無理だし、その先なんてもっと無理だ。
「十五万……」
もう一度だけ呟いてから、紗栄子はぶんぶんと首を振った。
危ない。
十五万円には、人の判断力を鈍らせる力がある。
「ここで待ってて。ドアは開けたままでいいから」
案内されたのは普通のホテルの一室だった。
廊下の先にはほかにも部屋があり、一番奥だけ扉が開いている。
杏果は紗栄子を残して、隣の部屋へ入っていった。
一人になった途端、不安が戻ってきた。
本当に帰れるのだろうか。
杏果は大丈夫だと言った。
でも、杏果だって立花企画の人間だ。
「…………」
五千円。
いや、もう五千円なんてどうでもいい。
……いや、どうでもよくはない。
でも安全の方が大事だ。
たぶん。
そんなことを考えていると、廊下から足音が聞こえてきた。
「やあ~、来てくれてありがとう」
聞き覚えのある声。
立花だった。
「えーっと、紗栄子ちゃんだったかな」
「こんにちは」
紗栄子は立ち上がった。
本当なら文句の一つでも言いたい。
けれど、それより先に確認しておかなければならないことがある。
「あの、私、今日は面接だけだと聞いていたんですけど」
「うんうん、分かってるよ。モモちゃんが余計なこと言ったのかな」
余計なこと。
何も説明しなかった本人が、それを言うのか。
「撮影の予約は入れてあるけどね、紗栄子ちゃんが絶対に出なきゃいけないわけじゃないから」
「本当ですか?」
「もちろん。仕事が次から次へと入ってくるから、とにかく忙しくてね。面接して、すぐに出たいっていう子もいるから、先に撮影の予定まで組んじゃうんだよ」
怪しい。
ものすごく怪しい。
でも、少なくとも帰っていいとは言っている。
「じゃあ私、今日は帰ります。アダルトビデオなんて無理ですから」
「いいよ、いいよ。そういう子も多いから」
立花はあっさり頷いた。
拍子抜けした。
もっと引き止められると思っていた。
「はい、これ交通費ね」
差し出された封筒を受け取る。
「ありがとうございます」
念のため、中を見る。
「…………」
五千円札を想像していた。
でも、中に入っていたのは違った。
「あれ? 一万円入ってますけど」
「ああ、いいのいいの。怖がらせちゃったみたいだから、お詫びも込み。取っておいて」
一万円。
紗栄子は封筒を見た。
それから立花を見る。
もう一度、封筒を見る。
「……ありがとうございます」
声が少し明るくなった気がする。
気のせいだ。
たぶん。
立花は満足そうに頷きながら、紗栄子を上から下まで眺めた。
その視線が、なんとなく気持ち悪い。
「いやあ、それにしても相変わらず可愛いねえ。今日はずいぶん落ち着いた格好してるけど。この前は渋谷ギャルって感じだったのに」
渋谷ギャル。
「…………」
いつの時代だ。
「それだけ雰囲気を変えられるなら、女優としてもやっていけるのになあ。いやあ、もったいない」
「はあ……」
紗栄子は愛想笑いを浮かべた。
褒められて悪い気はしない。
しないけれど。
どれだけおだてられても、出演するつもりはない。
一万円ももらった。
帰ろう。
今度こそ帰ろう。
「じゃあ、私――」
「あ、そうだ」
立花が手を叩いた。
嫌な予感がした。
「せっかく来たんだから、撮影現場を見学していかない?」
「見学?」
「そうそう。なかなか見られるものじゃないよ。一般の人には」
「…………」
撮影現場。
その言葉だけ聞くと、少し面白そうだった。
映画やドラマの撮影現場なんて見たことがない。
いや。
これはアダルトビデオだけど。
一万円ももらって、すぐ帰るのも少しだけ気が引ける。
見学するだけなら。
本当に見るだけなら。
「……見学だけですよ?」
「もちろん」
立花がにっこり笑った。
紗栄子はまだ知らなかった。
このとき素直に帰っておけばよかったと、すぐに後悔することになる。




