表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/18

狂いだす二手目

校舎を赤く染める夕暮れの影が伸びるたび、僕は今でもあの放課後の図書室を思い出してしまう。

あの頃の僕たちは、誰もが誰かを想い、誰一人として誰も傷つけたくないと願っていた。

けれど、その純粋すぎる配慮と「大切な親友同士」という優しい嘘が、いかにして逃げ場のない惨劇へと僕たちを追い詰めていったのか——今の僕なら痛いほど分かる。

当時の僕には、それがすべての狂い始めの「二手目」だったなんて、知る由もなかったのだ。


「よし、これで今日の委員の仕事は終わり! 冬馬、お疲れ様」

そう言ってパタンと大きなファイルをとじた秋葉は、どこかソワソワとした様子で窓の外へ視線を投げかけていた。

グラウンドからは、運動部が声を出して走る足音と、金属バットがボールを弾く乾いた音が遠く聞こえてくる。

「お疲れ、秋葉。じゃあ、鍵を職員室に返して帰ろうか」

「あ、うん。……あ、でもね!」

バッグを担ぎ直したぼくに、秋葉が少し引きつったような笑みを浮かべて慌てて手を振った。

「私、ちょっと図書室で調べていきたい本があるから! 冬馬は先に帰りなよ。ほら、春華が校門のところで待ってるんでしょ?」

「え? でも、秋葉だけ残らせるのも悪いし、待つよ」

「いいのいいの! ほら、春華を待たせたら可哀想でしょ? 幼馴染なんだから、ちゃんと一緒に帰ってあげなよ」

秋葉は強引にぼくの背中を押し、半ば追い出すように教室内からぼくを押し出した。


本当は、分かっていたはずだった。

彼女がチラチラと気にしていたのは図書室の本棚ではなく、グラウンドで泥まみれになって白球を追う夏樹の姿だったのだと。

秋葉は夏樹が好きだった。

けれど、夏樹が中学時代に春華に告白して撃沈し、今なお春華のことを引きずっていると知っていて、自身の恋心を隠しているからこそ、「夏樹の部活終わりを待ちたい」という本当の理由なんて口が裂けても言えるはずがなかったのだ。

「冬馬と春華を二人きりで帰らせる」という親友思いの正論を盾にして、彼女は必死に自分の恋心を隠していた。


「冬馬、お疲れ様。秋葉ちゃんは?」

校門の近く、大きな楠の木の下で待っていた春華が、ぼくの姿を見つけるとパッと表情を華やがせて駆け寄ってきた。

生まれた時から家も隣同士で、ずっと一緒に育ってきた春華。

彼女の柔らかい笑顔を見ると、いつだって胸の奥がじんわりと温かくなる。

「秋葉はちょっと調べる本があるらしくて、先に帰ってくれって」

「そっか。……じゃあ、今日は二人で帰ろっか?」

「うん」と頷き、ぼくたちは並んで坂道を下り始めた。

横を歩く春華からは、いつも通りの優しい石鹸の香りがする。

だが、ぼくの頭の中は、先ほど図書室で見せた秋葉のどこか不器用な笑顔のことでいっぱいだった。

委員の仕事をテキパキとこなし、ふとした瞬間に見せる安堵したような表情。

普段はツンとしていて少し強がりな秋葉が、ぼくの前でだけ見せる無防備なスキ。

(……秋葉って、案外あんな顔もするんだな)

そんな思いが胸をかすめた瞬間、ぼくは無意識のうちに口を開いていた。

「なあ春華。秋葉ってさ、普段はサバサバしてるけど、意外と押しに弱いというか……可愛いところあるよな。今日の委員会でもさ、頼まれたら嫌と言えない顔しててさ」

「……うん、そうだね。秋葉ちゃん、すごく優しい子だから」

春華は相槌を打ちながら、小さく頷いた。

ぼくはそれに調子を良くして、さらに言葉を重ねてしまった。


自分がどれほど無邪気で、残酷な言葉を重ねているのかも自覚せずに。


「なんか守ってあげたくなるっていうかさ。夏樹たちと一緒にいる時とはちょっと違う面が見えると、あいつの印象が変わるというか……」

夢中で秋葉の魅力を熱弁するぼくの横で、春華の歩幅がわずかに乱れたことに、ぼくは気づくことができなかった。

春華は何も言わなかった。

ただ、ぼくの顔を見上げ、それから静かに視線を足元に落とした。


その横顔に落ちた影の意味を、当時の愚かな僕は「親友の褒め言葉を静かに聞いているのだ」としか解釈できなかった。

春華は、僕を一途に想ってくれていた。

そして春華は、秋葉が夏樹を好きだという秘密を抱え込んでいた。

自分が想う男が、目の前で自分の親友のことを熱心に語り、その瞳を揺らしている。

けれど、秋葉の本当の好きな人は夏樹であり、冬馬のその熱意はすべて届く事はないのだと知っていながら、春華は秋葉との約束ゆえにそれを指摘することもできない。

自分のからまる視線が届かない胸の痛みと、あまりに近すぎる幼馴染という距離ゆえに自分の本心を見失っている僕への切なさ。

春華はどれほどの孤独と絶望の中で、僕の「秋葉談義」を聞いていたのだろう。


斜陽が照らす帰り道、二人の影が長く伸びていく。

ぼくと春華の距離はこんなにも近いのに、指す手の一手一手が致命的なまでにすれ違い始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ