決着の十五手目
最悪で、けれど最高だった日曜日のデートから明けた月曜日。
昼休憩時間の生徒会室前。
冬馬は一人、深呼吸をしてから静かにドアを叩いた。
「入ってもいいか、中野さん」
室内には、一人で作業をしていた真央がいた。
冬馬の姿を認めると、真央はハッと背筋を伸ばし、気まずそうに視線を落とした。
冬馬は真央の正面まで歩み寄ると、逃げずに、しっかりと彼女の瞳を見つめて深々と頭を下げた。
「中野さん、本当にごめん。日曜日は……君の真っ直ぐで大切な気持ちを、自分の保身と身勝手な理由で踏みにじってしまった。僕は最低な先輩だ。本当に……申し訳なかった」
真央の気持ちを「前を向くフリ」に利用した事を認め、言い訳を排し、真摯に謝罪する冬馬の言葉に、真央は小さく唇を噛みしめた。
「……顔を上げてください、北川先輩」
真央はふうっと大きく息を吐くと、涙ぐみながらも、いつもの凛とした笑顔を作ってみせた。
「先輩が最悪だったのは本当です! 私、昨日は悔しくていっぱい泣きました! ……でも、あの時見せてくれた先輩の必死な顔で、先輩がどれだけ東山先輩を好きなのか分かりました。私……本当に好きな人同士が結ばれるべきだと思います。だから……もういいんです!」
真央はぐっと拳を握りしめ、冬馬に向かって胸を張った。
「その相手が私じゃないのは悔しいですけど、次はもっと格好よくて、私だけを見てくれる男の人を見つけますから!……幸せになってくださいね、先輩!」
真央のあまりにも潔く、誇り高い失恋の宣言に、冬馬の胸の奥が温かく締め付けられた。
「……ありがとう、中野さん。……そして本当に、ごめん」
その日の放課後、2年1組の教室。
放課後の誰もいない教室で、冬馬と春華は二人並んで夏樹と秋葉の前に立っていた。
互いに少し赤くなった顔を見合わせながら、深々と頭を下げる。
「夏樹、秋葉……昨日は本当にありがとう。僕たち……ちゃんと向き合って、付き合うことになったよ」
「二人のおかげだよ。本当に……ありがとう!」
少し照れくさそうに手を繋ぐ二人に対し、腕を組んだ夏樹と秋葉は呆れたような、けれどどこか嬉しそうなニヤニヤ顔を浮かべていた。
「おうおう、知ってる知ってる。時計広場のど真ん中で抱き合ってたもんなぁ〜? 『一人の男として好きだ〜!』だっけ?」
「『冬馬以外の誰かを好きになるなんて無理〜!』って泣いてたわよね。凄かったわぁ、あの劇的な抱擁」
「〜〜っっ!?」
顔を真っ赤にして爆発する冬馬と春華。
「見てんじゃねーよ!!」
冬馬の絶叫が教室に響き渡る。
夏樹と秋葉は腹を抱えて大爆笑した。
気遣いと思い込みで雁字搦めになっていたあの「詰み盤面」の空気はそこにはなく、かつての、いや、それ以上に風通しの良い温かな空気が満ちていた。
「あー面白かった! じゃあ私たち、先に帰ってるわね〜」
「うん、冬馬、夏樹くん、また明日ね!」
秋葉と春華は二人仲良く手を振りながら、楽しそうに教室を出て行った。
女子二人がいなくなり、静まり返った教室に残されたのは、冬馬と夏樹の二人だけになった。
夕陽が差し込む窓辺で、冬馬は夏樹の隣に歩み寄った。
「夏樹」
「ん? なんだよ」
「次は……お前の番だぞ」
「……は?」
夏樹が眉をひそめる。
冬馬はかつて夏樹が自分にしてくれたように、夏樹の肩をバシッと力強く叩いた。
「僕と春華のことは、もう何の心配もいらない。夏樹が僕たちに気を遣って、自分の気持ちを殺す必要なんてどこにもないんだ。……秋葉のこと、どう思ってんだよ」
「っ……」
夏樹の喉が鳴った。
冬馬はまっすぐな瞳で親友を見つめる。
「夏樹は春華のために身を引いて、僕たちの背中を押し続けてくれた。でも……秋葉はずっと、お前だけを見てたんだぞ。自分の気持ちに嘘ついて逃げ回るなよ。お返しだ……いってこい、夏樹!」
「……っ! 足止めは頼んだぞ冬馬!」
夏樹は拳をギュッと握りしめると、弾かれたように教室を飛び出していった。
その背中を見送った直後、冬馬はすばやくポケットからスマホを取り出し、秋葉と一緒に下校しているはずの春華へ電話をかけた。
『もしもし、冬馬? どうしたの?』
「春華、お願いがある。秋葉をうまく誘導して、校舎裏の大きな木の下に一人にしておいてくれないか?……夏樹がいま、あいつのところへ向かった」
電話の向こうで、春華が息を呑む気配がした。
『……! うん、分かった! 任せて!』
春華は嬉しそうに頷くと、隣を歩いていた秋葉に「あ、秋葉ちゃん! ごめん、私ちょっと先生に呼ばれてたの忘れてた! 先に校舎裏の大きな木の下で待っててくれない!? すぐ行くから!」と自然な口実を作り、秋葉を一人で木の下へ待たせることに成功したのだった。
校舎裏の大きな木の下。 一人で佇み、「春華のやつ、まだかしら……」と夕空を見上げていた秋葉の前に、息を切らした夏樹が飛び込んできた。
「ハァ……ハァ……秋葉!」
「夏樹……? どうしたのよ、そんな息切らして」
驚く秋葉に対し、夏樹は誤魔化すのをやめ、堂々と秋葉の正面に立ちふさがり、まっすぐに想いを打ち明けた。
「秋葉。俺……ずっと自分の情けなさから逃げてた。中学で春華ちゃんに振られて、冬馬と春華ちゃんを応援することだけが自分の役割だって思い込んで……気遣いのフリして、誰の気持ちからも逃げてた」
「夏樹……」
「でもな、お前が俺を好きだって知った時……胸が跳ねたんだ。秋葉が俺のために自分の気持ちを隠して、痛みを抱えてたって知った時、ずっとお前のことが頭から離れなくなった。俺が前を向くために必要なのは、昔の失恋の引きずりなんかじゃなくて……今、俺の隣にいてくれるお前なんだよ」
夏樹は秋葉の両肩をしっかりと掴み、言葉を紡ぐ。
「秋葉。俺と……付き合ってくれ」
秋葉の瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
ずっとずっと、叶わないと諦めていた片想い。
大好きな親友のために殺してきた恋心が、ついに報われた瞬間だった。
「バカ……遅いのよ……っ! ずっと……待ってたんだから……っ!」
秋葉は夏樹の胸に飛び込み、夏樹もまた彼女を強く抱きしめた。
——その時だった。
「やったぁぁぁ! 夏樹、秋葉ちゃんおめでとう〜〜っ!」
「夏樹!! やったな!!!」
作戦を成功させた冬馬と春華が、物陰から満面の笑みでパチパチと拍手しながら躍り出てきた。
抱き合ったまま固まる夏樹と秋葉。
真っ赤になった夏樹は、冬馬たちを指差し、本日一番の大音量で叫び返した。
「見てんじゃねーよ!!!」
「「あはははは!!!」」
校舎裏に響き渡る、4人の弾けたような笑い声。
誰かを想うあまりに複雑に絡まり、完璧に「詰んでいた」はずの4人の盤面は、遠回りを重ねた末に、これ以上ないほど美しく、祝福に満ちた盤面へと解き放たれたのだった。




