盤面を崩す十四手目
ショッピングモール裏手のベンチで佇んでいた冬馬の肩を、夏樹が力強く叩いた。
「おい、冬馬。……今すぐモール中央の時計広場に行け」
「え……?」
驚いて見上げる冬馬の目の前で、夏樹は自分のスマホを取り出し、耳に当て、秋葉へと電話を繋ぐ。
『……秋葉か。春華ちゃんの方は?』
『準備万端よ。あっちも腹くくらせたから。場所は?』
『中央の時計広場だ。吹き抜けの2階から全体が見渡せる場所がある』
『了解。すぐ向かわせるわ』
短いやり取りで通話を切った夏樹は、まだ戸惑い足踏みをしている冬馬の胸ぐらを掴む勢いで、ぐっと顔を近づけた。
「秋葉から連絡だ。春華ちゃんも時計広場に向かってる。……いってこい、冬馬! 今度逃げたら、マジでぶちのめすからな!」
夏樹の真っ直ぐな瞳に宿る覚悟を見て取った冬馬は、腹を括って強く頷いた。
「……行ってくる!」
同じ頃、噴水広場でも電話を終えた秋葉が、春華の肩を力強く押し出していた。
「ほら、春華! 涙なんて拭いて、走んなさい! 冬馬が時計広場で待ってるわ!」
「うん……! ありがとう、秋葉ちゃん!」
二人はそれぞれの親友の笑顔に背中を押され、解けかけたぬるま湯の縛りを振り払うように、夢中で駆け出していった。
時計広場の大理石の床。
巨大なからくり時計の下で、肩を上下させて息を荒らげる冬馬の前に、同じように息を切らした春華が飛び込んできた。
休日の賑やかな喧騒が、二人の周りだけ遠のいていく。
「……春華」
「……冬馬」
互いの瞳に映るのは、他校の男子でも、一途な後輩でもない。
生まれた時からずっと隣にいて、お互いの醜さも弱さも知り尽くした、たった一人の「一番大切な存在」だった。
「俺……最低な奴だよ」
冬馬が絞り出すように口を開いた。
「自分は器用貧乏で自信がなくて、傷つくのが怖くて……春華を振る形になってからも『ただの幼馴染だから』って言い訳して、安全な場所に逃げてた。中野さんの気持ちを利用して、春華に気を遣って前を向くフリをして……。だけど」
冬馬は拳を握りしめ、春華の目を真っ直ぐに見つめた。
「今日、春華があの男に肩を抱かれてるのを見た時……頭が変になりそうなくらい、嫌だった。春華を誰にも渡したくないって、俺の隣にいてほしいって……醜く嫉妬したんだ。俺は……やっぱり、春華が好きだ。ただの幼馴染としてじゃなく、一人の男として……春華が好きだ!」
「冬馬……っ!」
春華の瞳から、ボロポロと大きな涙が溢れ出した。
「私も……私もずっと最悪だったの! 冬馬に振られて『ただの幼馴染』になったんだから、迷惑かけちゃダメだって……四季くんと付き合えば前を向けるかもなんて、ズルいこと考えてた! でもね……真央ちゃんといる冬馬を見て、胸が引き裂かれそうだった……っ! 冬馬以外の誰かを好きになるなんて、私には無理だったの……!」
春華は一歩踏み出し、冬馬の胸に飛び込んだ。
冬馬は折れそうなその体を、二度と放さないと言わんばかりに強く抱きしめた。
失恋という痛みを恐れて作り上げた「詰んだままのぬるま湯の関係」は、こうして跡形もなく打ち砕かれた。
傷つくことを恐れず、泥臭く互いのエゴをぶつけ合った末に、二人はようやく「本当の結末」へと辿り着いたのだ。
吹き抜けになっているモール2階のガラス手すり越し。
抱き合う二人の姿を、追いついた夏樹と秋葉が少し離れた場所から並んで見下ろしていた。
「……ったく。遠回りしやがって」
夏樹は手に持っていた缶ジュースを飲み干すと、ふっと自嘲気味な笑みを浮かべた。
中学で春華に振られ、二人の応援役に回ることで自分の恋心を殺し、気遣いの果てに身動きが取れなくなっていた日々。
春華が冬馬以外の男に奪われることへの猛烈な拒絶感は、これでようやく報われたのだ。
(俺の初恋は……完全に終わったんだな)
胸を突く鋭い痛みと、どこか晴れやかな諦念。
夏樹は目元を少しだけ潤ませながら、二人へ届くはずもない言葉を低く呟いた。
「……ほんと、お前らは……お似合いだよ」
その隣で、秋葉もまた手を固く握りしめていた。
冬馬からの勘違い告白を蹴り、夏樹への叶わない恋を抱え、全員の平穏のために道化を演じる夏樹を支える日々。
二人が結ばれたということは、自分たちが必死に守ってきた「4人のぬるま湯の箱庭」が、完全に終わりを迎えたことを意味していた。
夏樹の横顔をチラリと盗み見る。
夏樹の視線は、ずっと春華だけを追っていた。
自分に向けられることのない夏樹の感情を察しながらも、秋葉の頬を、一筋の温かい涙が伝い落ちた。
「……ホント。バカなんだから……」
秋葉は溢れる涙を制服の袖でぬぐい、泣き顔を隠すように笑ってみせた。
ぬるま湯の詰み盤面は、今日ここで完全に崩壊した。
結ばれた冬馬と春華、そして自分たちの想いに区切りをつけられないまま残された夏樹と秋葉。
動き出した駒たちは、それぞれの傷と感情を抱えたまま、新しく、そして少しだけ切ない次の一歩を踏み出していく。




