追撃の十一手目
翌日の放課後、学校近くの小さな公園。
ベンチに並んで腰掛けた秋葉と夏樹の間には、重苦しい沈黙が流れていた。
前日、下校途中に春華へ突如告白してきた他校の男子——巡四季。
そして、教室で冬馬に怒涛の勢いで詰め寄ってきた後輩——中野真央。
二人はお互いに目撃した「外敵」との出来事を共有し合っていた。
「……そっか。昨日、またあの巡ってやつに会ったんだ。」
秋葉が遠くを見つめながら、ぽつりと漏らした。
夏樹も缶コーヒーのプルタブを弄りながら、苦々しい顔で頷く。
「ああ。冬馬と秋葉が委員会の間に、俺と春華ちゃんで帰ってたら……またあいつが現れてさ。『付き合ってる奴はいるのか』って春華ちゃんに聞いたんだよ」
「……春華、なんて答えたの?」
「……『いない』ってさ」
夏樹は悔しそうに歯を食いしばり、言葉を続けた。
「そしたらその巡ってやつ、すげえ勝ち誇った顔で俺のこと見てきてさ……。すげえ嫌な感じだったけど、俺……何も言い返せなかった」
二人の胸の中にあったのは、共通した強烈な「嫌悪感」だった。
自分たち4人は、傷つき、泣き出し、本音を晒し合った末に、この「ただの幼馴染・腐れ縁」という傷つかないためのぬるま湯の居場所を作り上げた。
お互いの痛みも過去も何も知らない外の人間が、土足でその箱庭に上がり込み、平然と盤面を掻き乱していく感覚が、たまらなく不快で苛立たしかった。
だが——その不満の先にある感情は、二人の中で微妙に食い違っていた。
「でもさ……」 秋葉が膝の上で拳を強く握りしめた。
「……冬馬と春華にとって、これで良いのかな。いつまでも私たちが作ったぬるま湯の関係に縛られて、新しい恋を遠ざけてる方が間違ってるんじゃないの?」
秋葉の本音は、どこまでも切なかった。
自分は夏樹への叶わない恋を抱えている。
だからこそ、春華と冬馬にはちゃんと幸せになってほしかった。
もし、彼らが新しい相手と出会い、傷を癒やして前へ進めるのなら——それがたとえ寂しくても、二人が幸せならそれで良いんじゃないかと、必死に自分を納得させようとしていたのだ。
「俺は……嫌だね」
だが、夏樹の返答は即座で、どこまでも頑なだった。
「夏樹……?」
「俺は絶対に嫌だ。春華ちゃんが冬馬以外の男と付き合うなんて……そんなの、不満しかない!」
夏樹は手に持っていた缶コーヒーを強く握りつぶしそうになりながら、激しい葛藤を露わにした。
中学時代に春華に振られ、自分は身を引いた。
親友の冬馬と春華が相思相愛だと信じていたからこそ、自分の恋に蓋をして二人を応援してきたのだ。
「俺が諦めたのは……春華ちゃんが冬馬と幸せになるためだったんだぞ!? なのに、なんで訳のわからない他校の男に春華ちゃんを奪われなきゃいけないんだよ! 冬馬じゃなきゃ、納得できるわけねえだろ……!」
「……でも、冬馬は春華を振る形になって、二人は『ただの幼馴染』に戻るって決めたんでしょ? 私たちが口出しできることじゃないわよ」
「わかってるよ! わかってるけど……っ!」
夏樹は頭を抱え、ベンチの上で小さく丸まった。
全員に気を使い、自分が身動きを取れなくした結果、最愛の春華が他人の男の手へと渡ろうとしている。
自分の無力さと罪悪感、そして抑えきれない嫉妬に、夏樹の心はズタズタに引き裂かれていた。
結局、二人の間で「冬馬と春華の新しい関係が良いことなのか悪いことなのか」という問いの答えは出ないまま、夕暮れの風だけが虚しく吹き抜けていった。
その頃、冬馬と春華もまた、それぞれ別の場所で「外敵」からの猛烈な追撃に晒されていた。
「北川先輩! 今週末、日曜日って空いてますか!?」
階段の踊り場。
真央は逃げようとする冬馬の前に立ちふさがり、真っ直ぐな瞳でプレッシャーをかけていた。
「えっ、日曜日……? いや、特に予定はないけど……」
「じゃあ、私とデートしてください!」
「で、デート!?」
声を裏返らせる冬馬に対し、真央は一切怯むことなく踏み込んでくる。
「私、先輩のことが好きです。だから、私のことを一人の女の子として見てほしいんです! お願いです、一日だけ私に時間をください!」
真央の嘘偽りのない、純度100%の好意。
自分に自信がなく、「誰かに必要とされたい」という欲求を抱える冬馬にとって、真央の直球はあまりにも眩しく、拒絶するのが難しかった。
そして何より、先日の巡四季からの春華への告白が、冬馬の胸の奥で嫌な焦りとしてくすぶっていた。
(春華は先日、あの巡って奴から告白されて動揺していた……。僕が春華を振る形になって、僕たちは『ただの幼馴染』に戻ったんだ。春華が新しい恋に進むかもしれないのに、僕がいつまでも未練がましく過去に縛られてちゃ駄目だ。僕も……前を向かなきゃいけないんじゃないか?)
冬馬はまだ、昨日、春華が再び四季からアプローチを受けたことなど知る由もない。
けれど、「春華のために自分も前を向かなきゃいけない」というズレた義務感が、冬馬の背中を押してしまった。
「……分かった。日曜日、映画でも行こうか」
「本当ですか!? やったぁ!!」
満面の笑みで飛び跳ねる真央。
だが、約束を交わした冬馬の心は、どこか冷たく冷え切っていた。
同じ日の夕方。駅前のカフェにて。
「突然呼び出してごめんね、東山さん」
向かいの席に座る四季は、洗練された動作で紅茶のカップを置いた。
窓からの光が彼の美しい顔立ちを際立たせる。
誰が見てもお似合いの絵になるような光景。
だが、春華の手は膝の上で固く握りしめられていた。
昨日、下校途中に四季と出くわし、「付き合ってる人はいるか」と聞かれ「いない」と答えてしまったばかりだった。
「昨日も言った通り、僕は君と本気で向き合いたいんだ。今週末の日曜日、大型ショッピングモールに新しくできた水族館があるんだけど……一緒に行ってくれないかな?」
四季の言葉には、余裕と優しさが満ちていた。
押し付けがましくなく、けれど決して引かない完璧なエゴ。
春華の脳裏に、冬馬の顔が浮かぶ。
生まれた時からずっと隣にいて、大好きで、そして去年、自分を振って「ただの幼馴染」の場所へと戻ってしまった冬馬。
(冬馬は私を振ったんだ。私と冬馬は、もう『ただの幼馴染』なんだから……いつまでも冬馬に執着してたら、冬馬に迷惑がかかっちゃう……)
『新しい恋に進まなければならない』という、身勝手な思い込みと焦燥感。
冬馬を想い続ける罪悪感から逃れるために、春華は震える声で答えた。
「……うん。私で良かったら……一緒に行くよ、四季くん」
「ありがとう、東山さん。絶対に楽しませるよ」
四季は優しく目を細め、嬉しそうに微笑んだ。
——今週末、日曜日。
「相手のために新しい恋に進まなければならない」という、ズレにズレた義務感と気遣いに背中を押された冬馬と春華。
自分たちの本当の気持ちに蓋をしたまま、二人は映画館も水族館も揃う同じ大型ショッピングモールでの「新しい相手とのデート」へと、足を踏み出すのだった。




