第9話 うちの魔法使い、初陣です
魔法使い――ミナ・ココノアが正式に仲間になった翌日。
俺たちはさっそく、三人で初めてのクエストに出ていた。
依頼内容は、森に出た魔熊の討伐。
畑の近くに現れては作物を荒らし、近づいた農夫を追い回しているらしい。
新人のミナに実戦を経験させるには、少し荷が重いかもしれない。
けれど、俺が前に立ち、リラさんが後ろにいるなら、決して無理な依頼ではない。
「だ、大丈夫……落ち着いて……小さく……小さく……」
森の中。
俺の少し後ろで、ミナが長い杖を両手で握りしめながら、ぶつぶつと呟いている。
薄い栗色の髪が、緊張で小刻みに揺れていた。
青い瞳はすでに潤んでいて、今にも「ごめんなさい」と言い出しそうな顔をしている。
「ミナ、落ち着いて深呼吸だ」
「は、はいっ! すみません!」
「謝らなくていいぞ」
「すみません!」
「増えた」
俺は軽く息を吐き、前方の茂みへ視線を戻した。
がさがさと草が揺れる。
次の瞬間、森の奥から黒い巨体が姿を見せた。
魔熊だ。
大人の男よりもはるかに大きく、黒い毛並みは鉄みたいに硬そうで、口元からは長い牙が覗いている。
赤く濁った目が、俺たちを睨んだ。
「ルカさん、あれが今回の魔獣ですか……?」
「ああ。俺が前に出るから、ミナは後ろから魔法で援護してくれ」
「え、援護……私が……」
「大丈夫。昨日の火力なら、当たれば一発だ」
「当たれば、ですよね……」
「大丈夫、きっと当たるよ」
ぽん、とミナの小さな肩に手をのせる。
その横で、リラさんはいつものように楽しそうに微笑んでいた。
「いいわね。初めての実戦。緊張感があって」
リラさんは、まるで散歩にでも来たみたいな顔で立っている。
白と黒の修道服は森の中でも妙に目立っていて、その横顔は腹が立つほど綺麗だった。
だが、今は顔に見惚れている場合ではない。
魔熊が低く唸り、地面が震える。
「来るぞ!」
俺は剣を抜き、前へ出る。
それと同時に、魔熊が突っ込んできた。
意外と速い。
巨体のくせに踏み込みが鋭く、真正面から受け止めれば、俺の身体ごと持っていかれる。
俺は横へ半歩ずれ、振り下ろされた爪を剣で受け流した。
がきん、と重い音が響く。
衝撃が腕に走り、足が地面を削った。
「重っ……!」
まともに受ければ押し潰される。
なら、正面から止めるんじゃなく、動きをずらすしかない。
「ミナ、今だ! 足元を狙え!」
「は、はいっ!」
ミナが慌てて杖を構えた。
「灯れ、小さき火よ。
我が手に集いて、敵を撃て――」
杖の先の青い宝石が淡く光る。
けれど、その光はすぐに揺らぎ、ふっと消えた。
「あ……」
ミナの顔から血の気が引いた。
火は出なかった。
「ご、ごめんなさい……! 私、やっぱり……!」
「謝るのは後!」
魔熊の赤い目が、ぎょろりと動く。
前にいる俺ではなく、後ろで震えているミナへ狙いが変わった。
魔熊が地面を蹴り、土が抉れる。
「ひっ……!」
ミナが身をすくませている。
俺は反射的に前へ出て、突進の正面へ割り込みながら、剣を構えた。
次の瞬間、魔熊の肩がぶつかってくる。
「ぐっ……!」
全身に鈍い衝撃が走った。
腕が痺れ、魔熊の爪が俺の腕をかすめる。
けれど、下がるわけにはいかない。
「大丈夫!」
俺はミナの前に立ったまま叫んだ。
「俺がいるから! ミナ、深呼吸だ!」
「る、ルカさん……」
「怖くていい! 手が震えてもいい! でも、目は逸らすな!」
ミナの青い瞳が、大きく揺れた。
「小さくしようとしすぎなくていい。俺が合わせる。ミナは、ちゃんと前を見て撃て!」
「……はいっ!」
ミナは震える手で杖を握り直した。
深く息を吸って、吐く。
涙目のまま、それでも杖の先を魔熊へ向ける。
リラさんが、俺の腕の傷へ目を向けた。
「ルカ、治すよ」
「リラさん。俺は後でいいです」
「後で?」
「ミナを見てやってください。初めての実戦なんです。何かあったら、すぐ支えてやってください」
いつまでも、リラさんの回復に頼ってばかりじゃ駄目だ。
ミナは新人だ。
泣き虫で、失敗ばかりで、それでも誰かの役に立ちたいと震えながら前を向いている。
なら、俺の役目は前に立つことだ。
可愛い妹分に、少しくらい格好いいところを見せなきゃいけない。
リラさんは、ほんの少しだけ目を丸くした。
けれど、すぐにいつもの柔らかい微笑みに戻る。
「……ええ、わかったわ。ミナは任せて」
その声は、いつもより少しだけ静かだった。
「無茶しすぎたら、あとでまとめて治してあげるわ」
「その言い方、ちょっと怖いんですけど!」
返事をしながら、俺は魔熊へ視線を戻した。
魔熊はまだミナを狙っている。
俺を邪魔な石ころみたいに押し退け、後ろへ行こうとしていた。
ミナの杖の先に、赤い火が集まっていく。
「灯れ、小さき火よ。
我が手に集いて、敵を撃て――」
空気が震えた。
昨日より少し小さい。
けれど、新人の一撃というには十分すぎるほど大きい。
俺はミナの杖の角度を見た。
真正面じゃない。
たぶん、少し右に逸れる。
このまま撃てば、魔熊の肩をかすめて、背後の木に当たるだろう。
なら、撃たれる前に動かす。
火球ではなく、敵を。
「ミナ、今だ! 撃て!」
「《火球》!」
炎が弾けた。
俺は火球が飛び出すより一瞬早く、魔熊の懐へ踏み込む。
「おらっ!」
剣の腹を魔熊の前足に叩きつけた。
倒すためじゃない、意識をこちらへ向けさせるためだ。
魔熊が怒りに任せて爪を振り下ろす、その瞬間に、俺は横へ跳んだ。
魔熊の巨体が、勢いのまま一歩前へ流れる。
ちょうど、ミナの火球が飛んでくる進路上へ。
赤い光が森の中を一直線に走り、俺のすぐ横を抜けた。
火球が、魔熊の胸へ突っ込んだ。
どんっ、と腹の底に響く音が轟く。
炎が爆ぜる。
魔熊の巨体が大きく仰け反り、地面をえぐりながら後ろへ倒れ込んだ。
当たった。
ミナの魔法は、ちゃんと敵に当たった。
討伐は成功だ。
けれど問題は、俺が爆破に近すぎたことだった。
「ぐえっ!」
爆風が身体を持ち上げる。
地面が消え、空が見え、次の瞬間には背中から木に叩きつけられていた。
ばき、と嫌な音がした。
木の方か、俺の方かは考えたくない。
そのまま俺は、半分ほど木にめり込むような形で止まった。
「ルカさん!」
ミナの悲鳴が聞こえる。
涙目のまま、彼女がこちらへ駆け寄ってくる。
リラさんも、その後ろからゆっくりと歩いてきた。
「ルカさん、私……当てられました……!」
「うん、当てられたな」
俺は木にめり込みながら答えた。
「ほぼ俺ごとだけど」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! 私、また……!」
「いや、成功だ。今のは成功。ちゃんと敵に当たった」
「でも、ルカさんが木に……!」
「ちょうど、木とも仲良くなりたいところだったから大丈夫」
「全然大丈夫じゃないです!」
ミナが泣きそうな顔で俺を見上げていたので、俺は安心させようと親指を立てようとした。
だが、腕が上がらなかった。
どうやら、思っていたよりも衝撃が強かったらしい。
「……リラさん」
「なあに?」
リラさんは俺の前でしゃがみ込み、にこにこと楽しそうに微笑んでいる。
「やっぱり、回復お願いしてもいいですか?」
「あら」
リラさんの薄紫色の瞳が、嬉しそうに細くなり、その口元が、三日月みたいに曲がった。
大変満足そうだった。
「やっぱり、ルカには私がいなきゃ駄目ね」
「悔しいですけど、今は否定できません」
「素直で偉いわ」
ミナは2人のやりとりを見ながら、まだ涙目で杖を抱えていた。
「ルカさん……私、もっと練習します。ちゃんと、味方を巻き込まないように……」
「ああ。よろしく頼む」
樹木の幹に包まれながら、力なく頷いた。
「でも、今日のは本当に成功だよ。ちゃんと敵に当てたんだから」
「……はいっ」
ミナは涙を浮かべたまま、少しだけ笑った。
その顔を見て、俺は思う。
やっぱりこの子は、ちゃんと伸びる。
泣き虫だけど、逃げない。
失敗しても、前を向こうとしている。
問題は、その成長に俺の身体がどこまで耐えられるかだ。
「ねえ、ルカ。今日の怪我、なかなか悪くないわ」
リラさんは、木の中にのめり込んだ俺を、まじまじと見る。
「……評価しなくていいです」
「爆風で吹っ飛んで、木にめり込むなんて、そうそうないわよ?」
「嬉しそうに言わないで早く治してください」
リラさんは満足そうに俺を見回したのち、ミナへ優しく微笑んだ。
「ミナちゃん」
「は、はいっ」
「次もその調子でね」
「はい!」
初めて誰かの役に立つことができた魔法使いは、満面の笑みを浮かべる。
こうして、ミナの初クエストは無事に成功した。
ミナの魔法は、実戦でも通用する。
それは間違いない。
戦力は確実に上がった。
ただし、俺の生存率も確実に下がった気がした。
木の中で俺は、そう確信した。




