第4話 あそこで絡まれてるのは、うちの僧侶じゃないよな
「げっ」
向かいに座っていたクロが、隠しもせずに顔を引きつらせた。
俺は机の下で、すかさずクロの足を蹴る。
「いってぇ!」
「げっ、じゃないだろ。げっ、じゃ」
「だって来たじゃねぇか」
「来たとか言うな」
小声で言い合っている間に、リラさんは俺たちの横まで歩いてきた。
今日も今日とて顔が良い。
信じられないくらい良い。
ただ、その薄紫色の瞳が、まったく笑っていないのが気になる。
「で、コソコソと何を話していたの?」
「な、なんでもないです」
「なんでもないにしては、随分と楽しそうだったけど」
リラさんの視線が、俺からクロへ移る。
その瞬間、クロは即座に背筋を伸ばした。ギルドでもそこそこ腕の立つ剣士が、今は神殿で懺悔する罪人みたいな顔をしている。
「ル、ルカの昔話を聞いてただけだ!」
「昔話?」
「ああ。ルカが勇者になった時の話だ。だよな、ルカ」
「そうそう! 勇者になった時の話! いやー懐かしいなぁ!」
俺は全力で頷いた。
今なら首が取れるくらい頷ける。
しかし、クロは余計なことまで言いだした。
「なんでも、ルカはリラさんの顔で冒険者人生を――」
「クロ」
俺は笑顔でクロを見た。
殺意を込めた笑顔で。
クロは一瞬で自分の失言に気づき、顔色を悪くする。
対するリラさんは、ゆっくりと俺の目を見た。
「へぇ」
声が、少しだけ柔らかくなった。
「顔で?」
「ち、違うんです」
「違うの?」
「違わなくはないんですけど、違うというか、その」
「ふうん」
リラさんはほんの少しだけ目を細めた。
怒っているようにも見える。けれど、口元だけが、わずかに緩んでいた。
怖い。
怖いのに、ちょっと嬉しそうなのが死ぬほど可愛い。
やめてほしい。
そういう顔をされると、俺の判断力がまた鈍る。
「つまり、ルカは私の顔が好みだったから、魔王討伐に行くことにしたのね」
「言い方」
「違うの?」
「……違わないです」
「そう」
リラさんは満足そうに頷いた。
その一言だけだった。
なのに、なぜか機嫌が少し良くなったように見える。
普段は冷えた刃みたいな薄紫色の瞳が、今だけほんの少し柔らかい。
「でも」
リラさんの声が、すっと冷えた。
まずい。
「そういう話を、私のいないところで楽しそうにするのは、あまり感心しないわね」
「……はい」
「特に、口の軽い男はあまり好きじゃないの」
リラさんの視線がクロを捉える。
すると、クロの肩がびくっと跳ねた。
「い、いや、違うんだ! ルカがリラさんのことをすごく褒めてたから!」
「褒めてた?」
「ああ! 顔が良いって!」
「……クロ。フォローになってない」
「あと、腕も良いって!」
「……そうそう! 顔だけじゃなくて腕も最高なんです! リラさんみたいな僧侶、なかなかいませんから!」
「魔獣まで回復できるしな!」
「クロ」
三度目の笑顔を向けたところで、クロは完全に黙った。
俺はすかさずクロの両肩を掴む。
逃がすつもりはない。
お前も一緒に来い。
「クロ、お前も羨ましいだろう! リラさんみたいな僧侶が!」
「……ああ、そうだな!」
クロも必死だった。
「リラさんみたいなすごい僧侶、なかなかいないからな! 魔獣まで回復できるなんて、本当に尊敬するぜ!」
「そうそう! 俺も自慢したくて、ついクロに話しちゃったんです!」
「ルカはただ、幸せを分けてくれただけだ!」
「クロ……!」
「ルカ……!」
俺たちは固く拳を合わせた。
友情。
それは時に、人を生かす。
リラさんはしばらく俺たちを見下ろしていたが、やがて小さく息を吐いた。
「はぁ……そういうことにしておいてあげるわ」
「「ありがとうございます!!」」
俺とクロは同時に肩の力を抜いた。
危なかった。
今の一瞬は、魔狼との再戦より緊張したかもしれない。
「じゃあ、ルカ。私はクエストボードを見てくるから」
「あ、はい」
「次のクエスト、探してくるわね」
「なるべく軽めので……」
言い終わる前に、リラさんの目が細くなった。
「……いえ、なんでもないです」
「そう」
リラさんは満足そうに頷くと、受付横のクエストボードへ向かっていった。
その後ろ姿を見送りながら、俺は深く息を吐く。
「ふぅ……クロのせいで危なかった」
「言いがかりはやめろ。お前が顔で人生決めたのが悪い」
「それは否定できない」
俺は再びテーブルに突っ伏した。
今日の俺はもう働きたくない。
魔王討伐とか、世界平和とか、勇者の使命とか、そういうものは全部、明日の俺に任せたい。
そう思った、その時だった。
「ギャハハハ! さすがタイラさん! 今回も余裕でしたね!」
「当たり前だろ。オレ様にかかれば、魔王討伐なんて楽勝楽勝!」
「この後、女の子のいる店でも行きましょうよ! 景気づけに!」
品のない笑い声が、ギルドの入口から響いた。
近くにいた冒険者たちが、露骨に顔をしかめる。
入ってきたのは、三人組の冒険者パーティーだった。
先頭にいるのは、赤茶色の髪を後ろに撫でつけた剣士。
派手な鎧を着ていて、腰にはやたら装飾の多い剣を下げている。
その後ろには、軽薄そうな魔法使いと、にやにや笑っている狩人。
いかにも、俺が関わりたくない種類の人間たちだった。
「ずいぶん品のないのが来たな。誰だ、あいつ」
「最近、勢いづいてる新しい勇者だよ」
「勇者?」
俺は思わず顔を上げた。
「あいつはタイラ・ガルド。ジョブは勇者。腕は確かに立つらしい」
「へぇ」
「ただ、評判はすこぶる悪い。素行不良、態度横暴、報酬の取り分で揉める、受付嬢に絡む、後輩冒険者を見下す」
「勇者ってなんだっけ」
「お前が言うか」
派手な鎧。派手な剣。派手な笑い声。
いかにも自分が勇者だと周囲に知らしめたい人間の姿だった。
それに比べると、俺はずいぶん地味だと思う。
目立つ技もないし、派手な装備もない。
リラさんに鍛えられたせいで伸びたのは、耐久力と、嫌な予感を察知する判断力ばかりだ。
そして、その判断力が今、全力で告げていた。
関わらない方がいい。
「タイラさん、タイラさん」
魔法使いの男が、急に声をひそめる。
「見てくださいよ。クエストボードの前に、超可愛い子がいますよ」
嫌な予感がした。
背中に冷たい汗が流れる。
タイラが値踏みするような目でクエストボードの方を見る。
そして、気色悪い顔をしながら、舌で唇をぺろっと舐めた。
「ああ、いい女だ」
やめろ。
俺は、突っ伏しながら、心の中で祈った。
勇者のジョブを与えられてから、神に祈ったことはほとんどないが、今だけは真剣に祈る。
頼む、違ってくれ。
俺の思い違いであってくれ。
「おい、そこの僧侶」
タイラが歩き出した。
「俺たちのパーティーに入らないか?」
「……」
クエストボードを眺めていた僧侶は、反応しなかった。
まるで聞こえていないかのように、貼り出された依頼書を眺めている。
「おい。聞こえてんだろ」
「……」
「お前だよ、黒髪の僧侶」
タイラの声が少し荒くなる。
酒場の空気が、わずかに重くなった。
誰も止めには入らない。
相手が勇者、しかも厄介者ときた。面倒な相手には、誰だって関わりたくない。
ものすごく分かる。
俺も絶対に関わりたくない。
「ルカ」
クロが小声で言う。
「あれ、やばいぞ」
「何も聞こえてない」
「行かなくていいのか」
「行きたくない」
「最低だな、お前」
「違う。これは信頼だ」
「何の?」
「リラさんは、俺が助けに入らなくてもたぶん大丈夫という信頼」
実際、リラさんは強い。
治癒魔法だけではなく、冒険者としても一流だ。
下手に俺が出ていけば、状況が悪化する可能性すらある。
わかっている。
そういう身勝手な言い訳だ。
それでも、もしタイラが本当に一線を越えるのなら。
俺は何をするか、自分でもわからない。
「無視してんじゃねぇぞ」
タイラがリラさんの肩へ手を伸ばしたその瞬間、俺の身体が椅子から浮きかける。
だが、それより早く。
すかっ、とタイラの手は空を切った。
「失礼」
リラさんは、いつの間にか半歩横へずれていた。
修道服の裾だけが、わずかに揺れている。
「気安く触らないでいただけますか」
静かで、容赦のない声だった。
タイラの眉が、ぴくりと動く。
「あ?」
おっと。
聞き覚えのある、綺麗な声だ。
俺は確信に近い感情を持って、おそるおそる顔を上げた。
勇者タイラの前に立っているのは、やっぱりリラさんだった。
治安の悪い勇者に絡まれているのは、しっかりうちの美人僧侶だった。




