第27話 この勇者、どうやら俺を殺したいらしい
◇
魔王軍の襲撃より、一日前。
森の中で、タイラは再びあの魔族と対峙していた。
男は以前とは装いが違う。
けれどその顔を見た瞬間に、そんなことはどうでも良くなっていた。
「……テメェ」
全身の血が一気に熱くなる。
木陰に立つ魔族――ゾルディオは、変わらぬ無表情のまま軽く一礼していた。
「業務へのご協力、誠にありがとうございました」
その一言だけで十分だった。
「その様子ですと、無事に納品いただけたようですね」
「ふざけるなァッ!」
タイラは地を蹴り、剣を握る。
けれど、怒りのまま振り下ろした剣は、硬い音を立てて止まってしまった。
ゾルディオは足だけで、その剣を受け止めていた。
「なっ――」
次の瞬間、腹へ蹴りが突き刺さった。
「ぐはっ!」
身体が宙を舞い、地面を転がる。
ゾルディオからの追撃はない。
懐から書類を取り出すと、さらさらと何かを書き記す。
「反応速度は平均程度」
一枚めくる。
「近接戦闘能力も想定の範囲内ですね」
「……てめぇ!」
再び斬りかかる。
一太刀。
二太刀。
三太刀。
どれも届かない。
受け流され、逸らされ、蹴り返される。
「なるほど。この程度ですか」
「黙れぇぇッ!」
何度目かの斬撃で剣と足が噛み合う。
奇妙な鍔迫り合い。
タイラは歯を食いしばり、力を込める。
「なんで俺様を騙した!」
剣を押し込む。
「なんで俺だった!」
その答えだけを求めていた。
勇者だから。
お前だから。
その一言だけで良かった。
敵であろうと、誰であろうと、もうその言葉だけを求めてしまっていた。
だが。
「あなたである必要は、一切ありませんでした」
あまりにもあっさり返される。
「ギルドの人間であれば、誰でも良かったのです」
剣から力が抜けた。
「あなたが勇者だったからではありません」
支えていたものが、音もなく崩れた。
「……俺様は勇者だ」
ぽつりと呟く。
「勇者の……はずだ」
返事はない。
森を風が吹き抜ける。
「強ければ……」
声が漏れる。
「強ければ、こんなことにはならなかった」
震える足から力が抜け、タイラはその場へ膝をついた。
「強ければ、それで良かったはずなんだ……」
「その認識に誤りはありません」
ゾルディオは即答した。
「事実として、強ければ結果は違いました」
タイラはゆっくりと顔を上げる。
「強ければ、私を殺せた」
「強ければ、あの魔族の女性に侮られることもなかった」
一拍置く。
「強ければ、あの僧侶に屈することもありませんでした」
否定されない。
笑われない。
ただ事実だけを告げられる。
「もう……やめてくれ」
声が震える。
「俺は……もう……」
「現状では、あなたは勇者ルカ殿になにも勝てません」
悔しい。
だが、もう否定すらできなかった。
「ですが」
初めてそこで、ゾルディオは言葉を区切る。
「方法があります」
タイラの肩が小さく震えた。
「……何だ」
気づけば、自分から尋ねていた。
「私はあなたへ力を与えられます」
「ふざけるな……」
最後の抵抗だった。
「誰が……魔族なんかに」
「力を得れば、勇者ルカ殿を超えられます」
沈黙。
「勇者としての名声も」
「栄光も」
「すべて、あなたのものになります」
俯いたまま動かない。
「あなたには、その資格があります」
「なぜなら」
ゾルディオは静かに告げる。
「あなたは勇者タイラなのですから」
その言葉だけが、胸の奥へ染み込んでいく。
一瞬だけ、あの商人の顔が浮かぶ。
けれど、それもすぐにルカの顔へと塗り潰された。
ゾルディオは右手を掲げた。
「人よ、獣よ。魔に連ねる者どもよ。我が下僕となりて、存分に力を振るえ」
静かな詠唱が森へ響く。
「狂え、怒れ、誇れ。汝の力を我に見せつけろ」
「――《虚兵の行進》」
詠唱が終わると同時に、黒い魔力が霧のように周囲へ広がった。
森の奥で、魔獣たちが一斉に唸り声を上げる。
赤く染まった瞳から理性が消え、その身体を覆う黒い魔力が獣たちを一つの軍勢へと変えていく。
やがて、その一部が糸に引かれるようにタイラへ集まった。
「ぐっ……!」
黒い魔力が腕へ、胸へ、全身へと絡みつく。
力が溢れる。
それ以上に、胸の奥で憎悪が膨れ上がる。
浮かぶ顔は、一人だけ。
もう1人の勇者――ルカ。
「人間への適用実績がありませんでしたので、良い機会でした」
そして、ゾルディオは書類を閉じた。
「では、勇者タイラ殿」
「勇者ルカ殿を殺し、勇者としての地位と名誉を取り戻してください」
タイラはゆっくりと顔を上げる。
その瞳は黒く濁り、理性よりも憎悪だけが燃えていた。
「……ルカ」
低く呟く。
「殺す」
◇
「……タイラ」
呼びかけても、反応はない。
血走った目が、俺だけを捉えている。
「ゾルディオ! タイラに何をした!」
ゾルディオは、俺にも、タイラにも目をくれず書類を確認しながら答える。
「別に何も。ただ彼の願いを叶える手助けをしただけですよ」
「それより、私に構っている余裕などあるのですか?」
ゾルディオから視線を外し、タイラを見る。
タイラと目が合ったその瞬間。
ガギィン!!
「っ!」
腕が沈む。
タイラが凄まじい勢いで切りかかってきた。
「ルカァ! お前が! お前さえいなければ!」
その目は憎悪の炎を纏っていた。
一撃を受ける。
押し返す間もなく、二撃目が横から迫った。
受け止めるたび、《蒼哭》から鈍い音が響く。
「タイラ! 目を覚ませ!」
「ルカ。ルカ。ルカ。ルカ。」
もうタイラは正気じゃない。
「くそっ!」
凄まじい力だ。
受けるたびに両腕が痺れる。
今までの剣なら、とっくに折られていただろう。
「良かったわね、ルカ。モテモテじゃない」
後方から、楽しそうなリラさんの声が聞こえる。
「この状況で、何言ってるんですか! あなたは!」
後ろを振りむいてはいないのに、その声音で見なくてもわかる。
「許せ、タイラ」
俺は、力任せの一撃を受け流し、晒された右手首へ《蒼哭》を滑らせる。
タイラの手首から赤黒い血が飛び散った。
これで、もう右手では剣を握れない。
だが。
すぐに、タイラの手首を黒い魔力が覆った。
裂けた傷が、その下で塞がっていく。
「……治るのかよ」
タイラが再び剣を構える。
「ルカァァァッ!」
……目の前にいるのは、もう勇者タイラじゃない。




