第24話 怪我をするなら、あなたの前で
翌朝。
窓から差し込む朝日で目が覚めた。
昨日は色々ありすぎたせいか、身体の疲れは取れているのに、頭の中だけが妙に重い。
支度を済ませてギルドへ向かうと、酒場スペースのいつものテーブルには、すでにリラさんたちが揃っていた。
「おはようございます、ルカさん」
ミナがぺこりと頭を下げる。
「ああ、おはよう」
「……おはよう」
メルヴィも小さく挨拶を返した。
席に座ると、焼きたてのパンと温かなスープが運ばれてくる。
いつもなら食欲をそそる匂いのはずなのに、今日は誰もすぐには手をつけなかった。
昨日の出来事が、誰の頭からも離れていない。
「聞いたか?」
近くの席から、ひそひそと声が聞こえてきた。
「タイラの話だろ?」
「ああ。魔族から預かった腕輪が爆発したって」
「街中その話でもちきりだ」
自然と耳に入ってくる噂話に、思わずため息が漏れる。
「もうここまで広まってるのか……」
「噂って広がるの早いですね……」
ミナも浮かない顔でスープを見つめた。
「タイラさん……本当に騙されていただけなんですよね」
「俺はそう思う」
即答だった。
「少なくとも、あいつは最初にメルヴィへ木彫りを見せた。メルヴィ本人だと確認してから腕輪を渡してる」
昨日のタイラの顔が頭をよぎる。
悔しそうに言葉を飲み込んだ、あの表情だけは忘れられなかった。
「……私のせいだ」
ぽつりとメルヴィが呟く。
木彫りの鳥を膝の上へ置き、赤紫の瞳を伏せた。
「私のせいで、タイラは……」
以前のタイラは嫌なやつだった。
昨日までなら、ざまあみろと思っていたかもしれない。
でも今回は違う。
それはきっと、メルヴィも同じなのだろう。
「違う」
俺は首を振る。
「あれは魔王軍が仕組んだことだ。悪いのは向こうだよ」
「だが」
「それに」
言葉を続ける。
「昨日、助けられたのはお前だけじゃない」
ミナとメルヴィ、それにリラさんまで俺を見る。
「もしあの腕輪が街中で爆発してたら、もっと大勢巻き込まれてたかもしれない」
だから。
「昨日のうちに気づけて良かった」
メルヴィは何も言わなかった。
けれど、木彫りを抱き締める手から少しだけ力が抜けた気がした。
「朝から暗い話ばかりね」
リラさんが紅茶を一口飲む。
「せっかくの朝食が美味しくなくなるわ」
「昨日あんなことがあったばかりですよ?」
「だからこそよ」
さらりと言ってパンへバターを塗る。
「落ち込んでいても、お腹は空くもの」
「まあ、それはそうですけど」
「店員さん」
リラさんが手を挙げた。
「プリンを追加で」
「この空気でですか!?」
「この空気だからよ」
意味が分からない。
そのやり取りに、ミナがくすっと笑った。
「あ……」
自分でも笑ったことに驚いたらしい。
「す、すみません」
「謝ることじゃないわ」
リラさんが優しく微笑む。
「笑える時は笑えばいいのよ」
その言葉に、テーブルの空気が少しだけ軽くなった気がした。
◇
朝食を終えると、ミナが立ち上がる。
「私、生活用品を買ってきます」
「私も行こう」
メルヴィも続く。
「替えの服も欲しい」
「ああ。気を付けてな」
二人は並んでギルドをあとにした。
朝のギルドは、依頼を受ける冒険者たちで少しずつ賑わい始めている。
それでも、俺たちの座るテーブルだけは不思議なくらい静かだった。
「そういえば」
昨日から気になっていたことを思い出す。
「昨日は珍しく、すぐ治してくれましたね」
いつものリラさんなら、もう少し俺が苦しむ姿を眺めてから治したはずだ。
「そうね」
リラさんはわずかに目を伏せ、何か考える素振りを見せる。
「ルカ」
「はい」
「一つだけ訂正するわ」
「訂正?」
俺を見つめる薄紫の瞳は、どこか真剣だった。
「私は、あなたの怪我が好き」
「改めて言われると複雑なんですけど」
「あなたが流す血も好き」
「それも知ってます」
「でも」
リラさんが立ち上がる。
ゆっくり俺の前まで歩いてくると、白い手袋越しの両手を俺の頬へ添えた。
「昨日のは、違う」
目が合う。
顔が近い。
白い手袋越しに触れる手つきは、驚くほど優しかった。
リラさんの整った顔が、すぐ目の前にある。
……普通に心臓に悪い。
「最初は、あなたがただ傷つけばそれで満足だった」
「おい」
「どんな怪我でも私なら治せるもの」
口元に小さな笑みを浮かべる。
けれど、その笑顔はいつもの意地悪なものとは違っていた。
「でも昨日は」
頬へ触れる指先に力がこもる。
「あなたは私の見ていないところで、勝手に死にかけた」
「……」
「それが、ものすごく嫌だった」
胸の奥が熱くなる。
「私が好きなのは、ただ傷ついたあなたじゃない」
「え?」
「何度傷ついても立ち上がるあなた。最後まで諦めないあなた」
目元をやわらげて笑うその顔は、いつも以上に綺麗だった。
「そういうあなたを見て……最後にその傷を治すのが大好きなの」
返す言葉が見つからない。
こんな風に本音を話すリラさんは初めてだった。
「だから」
「私の知らないところで、勝手に死にかけるのは許さない」
「……はい」
思わず頷いてしまう。
こんな顔で言われたら、反論なんてできるわけがなかった。
「怪我をするなら、私の見ているところでしなさい」
「それ、心配してくれてます?」
「私が治せるのは怪我だけ」
リラさんは、小さく息をついた。
「死んでしまったら、もう治せない」
短い沈黙が流れる。
「もう二度と、勝手に死にかけないで」
その言葉は、いつもの軽い調子ではなかった。
俺は、まともに顔を見ていられず、笑って誤魔化した。
「つまり、俺がいないと寂しいってことですよね?」
多少無理にでも誤魔化さなければ。
じゃないと、その言葉が嬉しかったことまでバレてしまう。
「好きに解釈しなさい」
「否定しないんですね」
「否定する必要もないもの」
ようやく、いつもの笑みが戻った。
「安心した?」
「少しだけ」
「あっ、もちろん」
リラさんはにっこり笑う。
「私があなたを傷つける分には構わないわ」
「やっぱりそうなりますよね」
「今度訓練場へ行きましょう」
「嫌な予感しかしません」
「いっぱい耐えてもらうわ」
「理不尽だ……」
「い、今……」
すぐ近くの柱の陰から、小さな声が聞こえた。
「キスするのかと思いました」
「わ、私もだ……めちゃくちゃ近かったぞ」
勢いよく柱の陰を覗き込む。
そこには耳をそばだてていたミナとメルヴィが、驚いて揃って飛び上がった。
「あ」
「あ」
二人が固まる。
「お前ら……」
ミナは真っ赤になって両手をぶんぶん振る。
「ち、違うんです! 偶然戻ってきたら聞こえて!」
「偶然でそんな位置に隠れるか!」
メルヴィも慌てて咳払いをした。
「……二人は恋人同士ではないのだな?」
小声で、ミナに確かめる。
「た、たぶんです!」
「残念だったわね」
リラさんがくすりと笑う。
「え?」
「少し期待していたのでしょう?」
「ち、違います!」
「違う!」
二人は揃って首を横に振った。
その様子を見て、思わず笑ってしまう。
さっきまで胸に残っていた重たいものが、少しだけ軽くなった。
――その時だった。
バンッ!
ギルドの正面扉が勢いよく開いた。
「皆さん!」
飛び込んできたギルド職員は肩で息をしながら、周囲を見回す。
「大変です!」
その表情を見た瞬間、酒場の空気が一変した。
「ギルドから緊急依頼です!」
「何があった?」
俺が立ち上がる。
職員は息を整える間もなく、震える声で告げた。
「――魔王軍の襲撃です」
ギルドは、静まり返った。




