第20話 もう一人の勇者
ルカが新しい魔剣に心を躍らせている頃。
もう一人の勇者は、感情のまま剣を振るっていた。
「くそっ! どいつもこいつも俺様をコケにしやがって!」
飛びかかってきた魔猿を横薙ぎに斬り伏せる。
返す刃で二体目の胴を裂き、剣についた血を乱暴に振り払った。
この程度の魔獣なら、一人でも苦戦はしない。
それでも、胸の奥に溜まった苛立ちは少しも消えなかった。
◇
昨日。
「俺たち、抜けます」
取り巻きだった魔法使いと狩人は、そう言ってタイラのもとを去った。
「……は?」
「最近、依頼の成功率も落ちてるし」
「正直、もう潮時かなって」
「ふざけんな!」
「ふざけてませんよ」
魔法使いは肩をすくめた。
「タイラさん、前はもっと勝ってたじゃないですか」
「悪いですけど、泥舟には誰も乗りたくないんで」
つい昨日まで、「さすがは勇者様だ」と笑っていたくせに。
「……好きにしろ」
タイラは吐き捨て、二人へ背を向けた。
引き止める気などない。
あんな連中がいなくても、俺様は一人で十分だ。
そう思っていた。
◇
タイラは目の前の魔猿へ剣を叩きつける。
頭を砕かれた魔猿が、その場に崩れ落ちた。
俺様は勇者だ。
勇者は、強ければいい。
ずっと、そうやって生きてきたんだ。
「強けりゃ……それでいいだろうが」
倒れた魔獣を見下ろす。
『あなた、本当に愚かね』
昨日、リラに言われた言葉が脳裏をよぎった。
「……チッ」
剣を肩へ担ぎ直し、森の奥へ歩き出す。
森は妙に静かだった。
いつもなら後ろから聞こえていた魔法使いの笑い声も、狩人の軽口もない。
敵の気配を伝える者もいなければ、倒した魔獣を見て騒ぐ者もいない。
あいつらがいなくなって、せいせいしたはずだ。
「た、助けてくれ!」
突然、悲鳴が聞こえた。
タイラは舌打ちしながら、声のした方へ走る。
旅の商人らしき男が、数体の魔蛙に囲まれていた。
「なんだよ。雑魚ばっかりじゃねぇか」
タイラが姿を見せると、魔蛙たちが一斉に飛びかかってくる。
一体目を空中で斬り落とす。
二体目の舌をかわし、そのまま首を刎ねる。
残りも、ろくに抵抗させることなく斬り伏せた。
「あ、ありがとうございます!」
商人が何度も頭を下げる。
「本当に助かりました!」
「……うるせぇ」
タイラは剣についた血を振り払った。
「お前を助けたんじゃねぇ。魔獣が邪魔だっただけだ」
「それでもです。あなたが来てくれなければ、私は殺されていました」
商人は深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
タイラは返事をせず、その横を通り過ぎる。
「冒険者様! せめて、お名前を教えていただけませんか!」
足が止まった。
「……タイラだ」
「タイラ……」
商人は少し考え、目を見開いた。
「勇者タイラ様でしたか!」
もう一度、深く頭を下げる。
「さすがは勇者様です! 本当にありがとうございました!」
背中へ向けられる声を聞きながら、タイラは再び歩き出した。
助けたつもりなどない。
ただ、目の前にいた魔獣を倒しただけだ。
「勇者なら、あれくらいできて当然だろ」
『さすがは勇者様です!』
その声が、妙に耳に残った。
取り巻きたちも、いつも俺様を勇者だと持ち上げていた。
さすがは勇者様だと。
だが、さっきの一言だけは、なぜか頭から離れない。
『本当に、ありがとうございました!』
「……」
あの商人も、俺様が勇者だから頭を下げた。
いや。
違う。
俺様が何者か知る前から、あの男は礼を言っていた。
タイラは眉間に皺を寄せる。
取り巻きたちと、あの商人とでは、何が違うのか、自分でもよく分からない。
ただ、嫌な気分ではなかった。
「……悪くねぇな」
口から漏れた言葉に、自分で足を止める。
「何言ってんだ、俺様は」
人助けがしたかったわけじゃない。
強者として当然のことをしただけだ。
ムカついて、目についた魔獣を斬っただけだ。
それだけだ。
しばらく歩いたところで、タイラは足を止めた。
「今日は、やけに魔獣が多いな」
すでに十体以上斬っている。
普段なら、これほど頻繁に襲われることはない。
周囲へ視線を巡らせると、少し離れた場所で枝が揺れた。
「誰だ!」
剣を抜く。
木の陰から現れたのは、黒い外套をまとった男だった。
頬は痩せこけ、片腕には汚れた布が巻かれている。
そして、額には小さな角が二本。
「魔族か」
タイラが剣先を向けると、男は怯えたように後ずさった。
「待ってくれ。戦う気はない」
「だったら今すぐ消えろ」
「一つだけ、頼みがある」
「断る」
「ギルドで保護されている魔族の少女。メルヴィに、これを渡してほしい」
その名前に、タイラの眉が動いた。
「……あの女を知ってるのか」
「ああ。同じ里で育った」
男が懐へ手を入れる。
「ゆっくり動け」
「分かっている」
取り出したのは、鳥の形をした小さな木彫りの飾りだった。
片方の翼だけが黒く塗られている。
「里では、子供が生まれると家族がこれを作る。これは、メルヴィの家族が持っていたものだ」
「そんな話、俺様が知るわけねぇだろ」
「彼女に見せれば分かる」
男は飾りを足元へ放った。
タイラは警戒しながらそれを拾い上げる。
表面には細かな傷があり、かなり古いものに見えた。
裏返すと、小さな文字が刻まれていた。
――メルヴィ。
「里が襲われた時、私たちは散り散りになった」
男の声がわずかに震える。
「彼女は死んだと思っていた。だが、人間の街に保護された魔族がいると聞いたんだ」
「だったら自分で行け」
「この姿で、人間の街へ入れると思うか?」
男は自分の角へ触れる。
「今の私では、逃げることもできない」
痩せた体に、血の滲んだ腕。
魔力もほとんど感じない。
どう見ても、戦える状態ではなかった。
「用件はこれだけか」
「いや」
男は小さな布包みを取り出した。
「こちらも渡してほしい」
「中身を見せろ」
布の中には、黒と銀の糸で編まれた細い腕輪が入っていた。
「里の守り紐だ」
「魔法の道具か?」
「ただのお守りだよ。無事に帰ってこられるようにと、家族が編む」
タイラは腕輪を手に取り、魔力を探る。
魔力はなにも感じない。
タイラの目には、ただの古い紐にしか見えなかった。
「罠じゃねぇだろうな」
「疑うのも当然だ」
男は静かに答えた。
「嫌なら、その場で彼女に確認してから渡してくれればいい」
「……」
「彼女の素直じゃないところも、変わっていないだろうしね」
タイラはメルヴィの顔を思い浮かべた。
確かに、いかにも素直ではなさそうな女だった。
「それで、どうして俺様なんだ」
「君が勇者タイラだからだ」
男は迷わず答えた。
思わず、タイラの手が止まる。
「この森で、一人で魔獣を倒していた。先ほど、商人を助けたのも見ていた」
「見てやがったのか」
「ああ」
男は頷いた。
「強いだけじゃない。困っている者を見捨てなかった」
さっきまでなら、鼻で笑っていたかもしれない。
だが今は、その言葉が妙に胸に残った。
『勇者タイラ様でしたか!』
商人の声が、もう一度頭に浮かぶ。
「君なら、メルヴィを傷つけずに届けてくれると思った」
男はタイラをまっすぐに見る。
「他の勇者ではなく、君に頼みたい」
他の勇者。
その言葉に、ルカの顔が浮かんだ。
いつも仲間に囲まれている勇者。
対して、自分の後ろには誰もいない。
だが、目の前の魔族はルカではなく、俺様を選んだ。
それだけで、口元が勝手に緩んでいた。
「……調子に乗るなよ」
タイラは布包みを乱暴に受け取った。
「お前を信用したわけじゃねぇ」
「分かっている」
「中身を確認して、怪しいところがなかったから受け取るだけだ」
「ああ」
タイラは布包みを外套の内側へしまう。
「勇者が、困ってる奴を見捨てるわけにはいかねぇからな」
口にした自分が、一番その言葉に驚いていた。
男は少しだけ目を見開き、穏やかに笑う。
「君に頼んでよかった」
「当然だ」
タイラは剣を鞘へ戻した。
「俺様は勇者タイラだからな」
男へ背を向け、街へ向かって歩き出す。
外套の内側で、布包みが小さく揺れた。
誰かから頼られた。
それも、勇者として。
「……あいつに渡すだけだ」
それだけなのに、足取りは先ほどよりも少し軽かった。
タイラの姿が木々の向こうへ消える。
◇
しばらくして。
弱々しく立っていた魔族の男は、ゆっくりと背筋を伸ばした。
腕に巻かれていた布を外す。
傷など、どこにもない。
男が隠していた魔力が、森の空気を震わせた。
タイラが去った方角を一瞥すると、小さく頷く。
「さて、これで本日の業務は完了です」
男が指を鳴らすと、木々の隙間から、赤い一つ目を持つ黒い蝙蝠が何十匹も一斉に飛び立った。
その姿は、先日リラが路地裏で握り潰した魔獣とまったく同じだった。




