第2話 うちの僧侶は、たぶん魔王より怖い
リラさんの指先に灯った淡い光が、俺の脇腹へ落ちていく。
「あのー、リラさん? もう少し治すスピードを早めていただけると助かるのですが……」
柔らかな光が傷口へ染み込み、裂けた肉がゆっくりと塞がっていく。
本当に、ゆっくりと。
治癒魔法は効いている。
けれど、傷が塞がる速度は明らかに遅い。
リラさんが本気なら、一瞬で治せることを俺は知っている。
「あら。そんなに急がなくてもいいでしょう?」
「……え!?」
「だから、ゆっくり治しているの」
「見世物じゃないんですよ!?」
次の瞬間だった。
「ぎゃああああああああっ!?」
強烈な痛みが脇腹に走る。
見ると、リラさんが傷口のすぐ脇を、白い手袋の指でぐっと押さえていた。
「痛い痛い痛い痛い! 治療中! 今、治療中ですよね!?」
「ええ。ちゃんと治療中よ」
「じゃあなんで押さえたんですか!?」
「思ったより深いのね」
「確認方法が拷問なんですよ!」
リラさんは、うっとりとした表情で俺を見下ろしていた。
その口元が、心から嬉しそうにゆっくりと緩んだ。
「せっかく綺麗に傷ついたのに、すぐに終わらせたら味気ないでしょう?」
「何が!? 何が味気ないの!?」
「その顔」
「僧侶が一番楽しんじゃいけないやつ!」
俺は、そっと空を見上げた。
神様。
この人、本当にそちらの職員で合っていますか。
「……リラさん、お願いします。本当にお願いします。普通に治してください」
「普通って?」
「痛くなく、優しく、素早く!」
「注文の多い勇者様ね」
「治癒魔法への要求としては最低限だと思う!」
リラさんは呆れたように小さく息を吐いた。
「そんなに怯えなくても、死なせたりしないわ」
「今の流れでどう安心しろと?」
「死なせるなんて」
リラさんは、俺の傷に触れたまま、ゆっくりと目を細める。
「そんな勿体ないこと、私がするわけないでしょう?」
「……」
冗談に聞こえなかった。
だからこそ、余計に怖かった。
「……俺の命、どういう扱いなんですか?」
「大事にしているわ」
「本当に?」
「ええ。あなた、治し甲斐があるもの」
「扱いが怖い!」
リラさんは、喉の奥で小さく笑った。
腹が立つ。
ものすごく腹が立つ。
なのに、その笑い方が妙に色っぽくて、一瞬だけ見惚れてしまった。
そこが一番腹が立つ。
「はいはい。じゃあ終わらせるわ」
リラさんの指先から、強い光があふれた。
さっきまでじわじわ塞がっていた傷が、一瞬で閉じていく。
肩の傷も、脇腹の痛みも、痺れていた右腕も、全部まとめて元に戻った。
完全に治っている。
あれだけボロボロだったのに、今は全力で走れそうなくらいだった。
やっぱり腕は本物だ。
性格以外は、本当に超一流だ。
「……最初からそれで治してくれないかな」
「嫌よ」
「なんで!?」
リラさんは立ち上がり、白い手袋についた俺の血を眺めた。
その顔がまた楽しそうで、幸せそうで、俺は何とも言えない気持ちになる。
どうしてこの人は、こんなに綺麗な顔で、こんなにひどいことを言えるのだろう。
「ほら、立ちなさい」
リラさんが手を差し出す。
俺は一瞬だけ躊躇した。
さっきまで傷口を押していた手だ。
けれど、取らなかったら取らなかったで怖い。
俺は諦めて、その手を取った。
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
俺が立ち上がった、その時だった。
倒れていた魔狼が、ぴくりと動く。
完全に戦闘不能ではあるが、まだ息はあるらしい。
俺はすぐに剣を拾い直した。
その横を、リラさんがすっと通り過ぎる。
「リラさん、危ないですよ」
俺の言葉に、リラさんは振り返らなかった。
瀕死の魔狼の前でしゃがみ込み、片手をかざす。
淡い光が灯った。
治癒魔法だった。
「……リラさん?」
「死んでいたら無理よ。まだ息があるから戻せるだけ」
「何の説明ですか!?」
魔狼の傷が、みるみる塞がっていく。
数秒後、俺が命がけで倒した魔狼は、完全に回復していた。
「なんで魔獣を回復させてんのー!?」
渾身の叫びが森に響く。
リラさんは振り返り、薄紫色の瞳を細めて笑った。
「だって、いい勝負だったから。もう一度、見たくなったの」
「見たくならないで!? せめて心の中だけにして!?」
「大丈夫。次はもう少し早く治してあげるわ」
「戦わせる前提で話すな!」
魔狼がゆっくりと立ち上がった。
回復したばかりのくせに、さっきより目がぎらぎらしている。
ただ、俺とリラさんを見比べた瞬間、なぜか一歩だけ後ずさった。
分かる。
その気持ちは、ものすごく分かる。
俺だって逃げたい。
けれど、剣は下ろさなかった。
ここで逃がせば、こいつは村へ向かう。
なら、もう一度倒すだけだ。
「村は心配しないで。逃げようとしたら、さすがに私が止めるわ」
「……じゃあ、俺が手加減したら?」
「賢いルカなら、ちゃんと分かるわよね?」
「……」
まずい。村より先に俺が滅ぶ。
「ねえ、ルカ」
リラさんは微笑んだ。
聖女みたいに美しくて、悪魔みたいに楽しそうな笑顔だった。
「もう一回、私を楽しませて。大丈夫、次もちゃんと綺麗に治してあげるから」
やっぱり、めちゃくちゃ可愛いな。
そう思ってしまった自分が、一番怖かった。
魔狼が低く唸り、次の瞬間、黒い巨体が弾けるように動いた。
俺は半泣きになりながら、それでも剣を構える。
俺は勇者だ。
魔王を倒すために旅に出た。
けれど最近、ひとつだけ分かったことがある。
この世界で一番怖いのは、魔王ではない。
――たぶん、うちの僧侶だ。




