第16話 この魔族、預かることになりました
「ルカさん、奥の部屋へどうぞ。ギルドマスターがお呼びです」
受付嬢が戻ってくると、俺たちへ小さく頭を下げた。
「ああ、ありがとう」
返事をしながら、受付の奥にある扉を見る。
できることなら、あまり入りたくない。
「……マジで行きたくない」
「珍しくルカに同感だわ」
隣でリラさんも、うんざりしたように息を吐いた。
「わ、私、まだギルドマスターさんに会ったことないんですけど……そんなに怖い人なんですか?」
ミナが声を潜める。
その横では、メルヴィが黙ったまま扉を見つめていた。
フードの端を押さえる指に、少しだけ力が入っている。
「見れば分かる」
「余計に怖くなりました……」
俺は腹を括り、扉を開けた。
「ルカちゃーん!」
次の瞬間、視界が塞がった。
「うぐっ!?」
巨大な何かに、正面から抱き締められている。
顔を押しつけられた胸板は、鎧でも着ているのかと思うほど硬い。
首へ回された腕も太く、びくともしない。
「やっぱり可愛い顔してるわぁ、ルカちゃん!」
「く、苦しい……! ちょっと、待って……!」
どうにか顔を上げると、派手に塗られた唇が嬉しそうに笑っていた。
「ギルドマスター」
背後から、リラさんの冷たい声が飛んでくる。
「それ以上、私のルカを壊さないでもらえるかしら」
「あらぁ、いいじゃない。抱き締めたくらいじゃ減らないわよ」
「減る前に俺が折れそうなんですが!」
「相変わらず、リラちゃんは気難しいんだから」
ぎゅっと腕に力が込められた。
「し、死ぬ! マスター、本当に死ぬ!」
どうにか動いた手で、その太い腕を何度も叩く。
完全に降参している。
たぶん今の俺なら、魔王にだって素直に謝れる。
「あら、ごめんなさいねぇ」
ようやく解放され、俺はその場に膝をついた。
やっと息が吸えた。
ただし、全身が痛い。
「それで」
ギルドマスターは何事もなかったように、ミナとメルヴィへ目を向けた。
「そっちの魔法使いちゃんと、魔族の子は初めましてね」
大きな身体を揺らしながら、にっこりと笑う。
「アタシはサグネ・シックネル。このギルドのマスターよ。気軽にサッちゃんって呼んでね」
「み、ミナ・ココノアです!」
ミナは勢いよく背筋を伸ばした。
「先日からルカさんたちのパーティーに入れていただきました! よろしくお願いします!」
そのまま深く頭を下げる。
「うんうん。素直で可愛い子ねぇ」
サグネさんは満足そうに頷き、メルヴィへ視線を移した。
「それで、今回の騒ぎの中心にいるあなたは?」
「……メルヴィ・フレンだ」
「そう」
サグネさんの笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。
「じゃあ、ルカちゃん。聞かせてもらおうかしら」
◇
「魔族の隠れ里が、魔王軍に襲われた……ねぇ」
一通り話を聞き終えると、サグネさんは椅子の背へ身体を預けた。
部屋の中央には大きな机があり、俺たちはその向かい側に並んで座っている。
「ああ。メルヴィは魔王軍から逃げてきたんだ。森の中で倒れているメルヴィを見つけて、俺が放っておけなくて、ここまで連れてきた」
「事情は分かったわ」
サグネさんは頬杖をつき、メルヴィへ目を向けた。
それから、俺を見る。
「それで、勇者ルカ」
さっきまでの軽さが、声から消えた。
「あなたは、この子をどうするつもりなの?」
誰も口を挟まなかった。
正直、そこまでは考えていなかった。
森で助けて、街まで連れてくれば何とかなると思っていた。
……もう、そんな話じゃない。
「しばらく、俺たちと一緒に行動してもらうつもりだ」
「なっ……!」
椅子が大きな音を立てた。
メルヴィが立ち上がり、そのまま俺の胸ぐらを掴む。
「ふざけるな、ルカ! 街まで共に行く。それだけの約束だっただろう!」
「事情が変わった」
「何が変わった!」
「お前が魔族だって、ギルド中に知られた」
メルヴィの手が止まる。
「知られなければ、街で別れてもよかった。追ってくるのは魔王軍だけだったからな」
「……」
「でも、今は違う」
俺はメルヴィを見る。
「魔族ってだけで、お前を狙う冒険者が出るかもしれない」
「けれど、それは私の問題だ」
「ここへ連れてきたのは俺だ」
「誰も助けてくれなんて、頼んでない!」
「分かってる」
胸ぐらを掴まれたまま、俺は答える。
「だから、俺がメルヴィに頼んでるんだ」
「……何を」
「俺に、お前を守らせてくれ」
メルヴィが目を見開いた。
掴んでいた手から、少しだけ力が抜ける。
メルヴィは俺から手を離し、黙り込んだ。
そのとき、横から膝が飛んできた。
「イタッ」
俺の太ももへ、綺麗に入っている。
「リラさん、急に何するんですか」
「別に」
リラさんは顔を逸らした。
「……ルカのバカ」
「今、何か言いました?」
「何も言ってないわ」
絶対に言った。
不機嫌そうなリラさんを横目に、俺はメルヴィへ向き直った。
「メルヴィ、これは俺のわがままだ。途中で放り出す方が、俺は嫌なんだ」
「だからといって……」
「それに、お前は魔王軍に追われてる。街に置いていけば安全ってわけでもないだろ」
メルヴィは何か言い返そうとして、口を閉じた。
やがて、小さく息を吐く。
「……少しの間だけだ」
「本当か?」
「勘違いするな」
メルヴィは俺へ指を突きつけた。
「私はまだ、お前たちを信用したわけじゃない。行く場所がないから、しばらく利用するだけだ」
「ああ。それでいい」
「勝手に納得するな」
ミナがぱっと顔を明るくし、メルヴィの両手を握った。
「よろしくお願いします、メルヴィさん!」
「なっ……離せ」
「はい!」
「返事と行動が合っていないぞ!」
メルヴィはすぐに手を引こうとしたが、ミナが離さないので諦めたらしい。
眉間に皺を寄せたまま、されるがままになっている。
「うんうん。綺麗にまとまったわねぇ」
サグネさんが満足そうに頷いた。
「ただし」
太い指が、机を一度叩く。
「アタシを置き去りにして、勝手に決めないでもらえるかしら」
「……しまった」
すっかり忘れていた。
「マスター。頼む」
俺が頭を下げようとすると、サグネさんは軽く手を上げた。
「いいわよ」
「……早くないか?」
「別に早くないわ」
サグネさんはメルヴィを見て、少しだけ笑った。
「アタシ、人を見る目はあるの」
それに、とサグネさんは言葉を続ける。
「今の状態で、メルヴィちゃんをギルドに置くのも、街を自由に歩かせるのも危ないわ」
それから、俺たちを順番に見回した。
「ルカちゃんたちに監視させた方が、まだ安心できるわ」
「じゃあ」
「許可はする」
サグネさんは頬杖を外した。
「ただし、メルヴィちゃん」
笑顔は消えていなかった。
隣で、ミナがメルヴィの手をぎゅっと握った。
「もし話が嘘で、ルカちゃんたちを利用するつもりなら」
サグネさんの指が、机の上でゆっくりと組まれる。
「その時は、アタシがあなたを殺すわ」
部屋の空気が、一瞬だけ張りつめた。
けれど、メルヴィは目を逸らさなかった。
「ああ。心得た」
「うん。いい返事ね」
サグネさんは何事もなかったように頬を緩めた。
「とはいえ、あの騒ぎを見た全員が納得するわけじゃないわ。表向きは捕虜ということにしましょう」
「捕虜?」
「魔王軍の情報を聞き出すため、勇者ルカが監視している。そういう形なら、すぐに追い出せとは言われないはずよ」
「お目付け役はルカちゃんね」
「ああ。助かる」
「その代わり、問題を起こしたら連帯責任よ」
「分かってる」
ひとまず、メルヴィが街を追い出されることは避けられた。
肩の力が抜ける。
すると、忘れかけていた全身の痛みが戻ってきた。
「……リラさん」
「何?」
「身体が痛いので、治癒魔法をお願いします」
「嫌」
「なんでですか!」
「他の人に抱きつかれていたもの」
「ギルドマスターですよ?」
「だから何?」
リラさんは子供みたいに唇を尖らせ、そっぽを向いた。
いつも余裕そうなリラさんが、こんな顔をするのは珍しい。
ずるい。
治してもらえなくても、あまり強く言えなくなる。
「あらぁ」
サグネさんが口元へ手を当てた。
「リラちゃん、アタシに嫉妬してるのかしら?」
「決して、そういうものじゃありません」
「大丈夫よぉ。リラちゃんも抱き締めてあ、げ、る!」
サグネさんが両腕を広げ、勢いよく飛び出した。
「結構です」
リラさんは半歩だけ身体をずらし、さらりと避ける。
「えっ」
避けた先には、俺がいた。
「ぐえっ!」
再び、視界が筋肉で塞がれた。
「あらルカちゃん、もう一回ね!」
「待って! 今度こそ本当に折れる!」
「楽しそうね、ルカ」
「どこがですか!」
結局、リラさんは宿へ戻る直前まで治してくれなかった。
僧侶がいるパーティーなのに、どうして俺だけ、全身を筋肉に潰されたまま街を歩いているんだ。




