抗がん剤へ向けて
産後一週間後。
以前より乳腺外科医からは、私の血管は随分細いと言われていた。
そのため、点滴のたびに血管を探すよりも安全に抗がん剤を進められるための、“CVポート”という物を身体に埋め込むことが決まっていた。
その手術の日だった。
鎖骨付近に、しかも局部麻酔での留置の予定とのことだった。
その話を聞いた時から、緊張とちょっとの恐怖がずーっと心の中にあった。
自分の顔のすぐそばでソレが行われる。
尚且つ、当時の私は、平らなところに長時間仰向けになる事が出来なかった。
そのため、右側臥位をとらざるを得ない。
故に、余計に術野と顔が近くなるのだ。
しかも局部麻酔。
医師たちの話が全部聞こえるという状態なのだ。
カバーで覆われたとて、怖すぎるのである。
鎖骨付近に留置という話を聞いてからは、緊張と恐怖が心の中を渦巻いていた。
仲良くなっていたFMICUの助産師には
「部分麻酔でしょ?医師たちの声、全部聞こえるんやんね?」
「え?右鎖骨付近でしょ!?」
「え、やだ。怖い。」
など、随分と弱音を吐いていた。
そのせいか、その日担当をしてくれていた、その助産師に
「私もついて行くから!」
「ちゃんと病棟で待ってるから!」
と、病棟を出る前にも励まされた。
更に入室の時には
「随分と緊張されているようなので、よろしくお願いします。」
と申し送りをされたのだ。
だが、いざその場面になると状況が変わった。
本来留置する予定だった鎖骨付近の血管を術前エコーで術前確認する。
どうやら、そのCVポートを繋ぐ血管が奥にある上に細いらしい。
「鎖骨付近では安全に留置することが出来ない。」
ということらしい。
エコーで留置しても大丈夫な血管を探した結果、右上腕に留置することになった。
上腕に麻酔が打たれ、留置術が始まる。
麻酔が効いているので痛くはない。
だが、触られている感覚はある。
不思議な感覚だった。
どれくらい経っただろうか。
手術中に、医師のなんとなく困っているような、焦っているような。
そんな雰囲気を感じた。
言葉はなかったが、医師の息遣いが物語っていたのだ。
時折上腕部を圧迫されているような感覚がある。
『え?あれ?血が止まらないとか、そういうことじゃないよね?』
そんな思考がよぎる。
その次の瞬間。
「あぁ、毛細血管か。」
そんな声が聞こえたのだ。
『え?毛細血管?やっぱり止血がなかなか出来なかった感じ?それで出血場所探してた感じね?』
そんな理解をするのが先だったか。
医師の次のセリフが先だったか。
「電メス。」
という声が聞こえた。
生まれてこの方、そんな単語は医療ドラマの中でしか聞いたことがない。
『電メス!?怖い怖い怖い!』
心の中で叫ぶ。
看護師だったのか、他の医師だったのか。
声がかかる。
「脚に電極を貼るので、ちょとひんやりしますよ。」
「はい。」
冷静に返事をするのとは裏腹に
『電極!?感電しないようにとかそう言うこと!?怖いって!!』
そんな声に出さない叫びが頭に響く。
脚にひんやりとした感触。
そして顔元で何やら作業そしている雰囲気。
更にほんのり鼻をつく、タンパク質が焦げたような臭い…。
そう、中学生の頃技術の授業で使ったハンダゴテで、髪を一緒に焦がした時みたいな。
ツンとしたあの独特の臭い。
『あぁ、電メスって血管焼いてるんやな…。』
緊張は続いている。
でも、どこか冷静にそんなことを思ったのだ。
そのあと縫合されたのだが、最後の最後に麻酔が切れ始めたのか、縫合の際になんだかチクチクする。
そのことを医師に伝えると、
「あと一針だから、麻酔追加したところで変わらないんです。ごめんだけど我慢して。」
というようなことを言われた。
麻酔は、手術時間ギリギリの量を使用しているのだろう。
そういう誤算もあるものだ。
とはいえ、たかが一針。
されど一針。
激痛と言うほどではないが、チクチクとした痛みは感じた。
術後処理では止血用のガーゼが当てられ、大きな防水用のテープが貼られた。
部屋に戻ってくると、夕食の時間はとっくに過ぎていた。
病棟はいつもより静かに感じる。
…普段、病室の外に出ることはないが。
雰囲気が静かなのである。
そう、人の気配があまりしないのだ。
“待ってる”と言ってくれていた助産師も勤務時間が終わったのだろう。
もう退勤していていなかった。
まぁ、最初からそう思ってはいたが。
用意されたのは、こういう時用の臨時食らしい。
トレイに並ぶお椀かけられたラップに、“臨時食”と書かれた札が貼られている。
この時は、おそらくレトルトであろうビーフシチューだった。
しかしながら、どこか懐かしいような落ち着く味だ。
この日のこの食事が、この入院生活の中で一番美味しい食事だったのは間違いない。
その夜からだったか、翌朝からだったか留置後の術跡のチェックも始まった。
だが、出血が止まっておらず一度ガーゼ交換をしてもらったりもした。
交換してもらった後は、完全に出血も止まりテープも剥がれた。
だが、傷口が視界に入るのはどうにも嫌だった。
生々しいその傷跡も苦手だった。
それよりも一番は、急に“抗がん剤”が現実味を帯びてきたからに他ならない。
だからだろう。
テープが剥がれてからも、傷口を隠す為のガーゼとネット状の包帯を腕にはめて過ごしていた。
助産師からは必要ないと言われたが、私のそんな気持ちを汲んでくれていたようだ。
抗がん剤が始まるのは、この留置術から1週間後のことだ。
この留置術が決まった時から、留置後1週間で使えるようになるとは聞いていた。
聞いてはいたが、緊張はし始めていたのだった。




