生きる気力と活力
手術室から戻ってきた部屋はFMICU。
手術後だったのだから当然である。
しかし、どうやら理由はそれだけではなかったようだ。
胸水が溜まり、サチュレーションが95を切っていたらしい。
顔には酸素マスクがつけられていた。
そんな状態だからか、元々そういうものなのか。
意識は戻っているが、まだ娘に会いに行く許可は出ていない。
全身麻酔による帝王切開だっため、前日夜から絶飲食だった。
お腹も空いているし、喉も乾いている。
しかし、麻酔が抜け切っていないことを想定して、その日の昼はまだ絶飲食。
麻酔で気管挿管されていたこともあり、喉はカラカラだ。
助産師に水が飲みたいと言ってみたが、それもまだ無理らしい。
その後、医師に確認をとってくれたようだが、氷を舐めるくらいならということだったようだ。
それでも、乾き切った喉を潤すには充分だった。
事足りるという意味ではない。
わずかな水分でも有り難かった。
絶食解禁になったのは翌日だっただろうか。
やっと食べられると聞いて浮かれていた。
のだが。
出てきたものはお粥とペースト状になったおかずたちだった。
味はしっかりそのものの味がするのだが、食感が全て同じ。
食べた気には、到底ならなかった。
出産から一夜が明けた。
出産当日中に助産師たちが娘の写真を撮ってきてくれていたが、ようやく実際に娘に会えることになった。
私にはまだ、心電図に酸素測定器、酸素チューブが付けられている。
おまけに動けないための血栓予防として、弾性ストッキングに加えフットポンプも装着されている。
弾性ストッキングだけでもずっと履いていると煩わしいのに、フットポンプも基本24時間つけっぱなし。
フットポンプは、最初こそマッサージ機感覚で心地よいと思っていたのだが、しばらくすると煩わしくなる。
平日のリハビリの時と、娘への面会に行く時だけはソレから解放されるのが清々しかった。
そして、そのタイミングから病室に戻ってきてしばらくの間は、助産師たちも再装着をせず目を瞑ってくれていた。
当然、ある程度の時間が経過するとまた着けに来られるのだが。
相変わらず起き上がれないので、ストレッチャーに移乗させてもらい、娘のいるNICUへ連れて行ってもらう。
娘のベッドは、ストレッチャーで面会に来る私のためにと、一番手前のベッドを用意してくれているという。
感謝この上ない。
初めてこの目で見た娘は、想像以上に小さかった。
3Sのおむつは履くというよりはまるで履かれているようだ。
初めて触れた手の指はマッチ棒のようで、少し力を入れると折れてしまうのではないかと思ったりもした。
気管挿管をされ、鼻からはミルクや薬を投与するための胃管が通っている。
胸には心電図が貼り付けられ、右足には点滴と、左足には酸素測定器。
酸素測定器は手足交互に毎日取り替えられていた。
テープタイプのものだったのでテープかぶれ防止のためだろう。
その細く小さな腕にも点滴が2本も取り付けられていた。
私が病気なんかになったせいで、本来ならまだお腹にいられたはずなのに早く産まれてくることになってしまった。
そのせいでこんなに小さな身体にこんなにたくさんのチューブに繋がれている。
母乳を出すための乳房マッサージも、最初は勧められていた。
だが、抗がん剤前までの間、にホルモン剤を先行して進めることが決まった。
乳児に影響するかもしれないという理由から、急にマッサージを止められた。
吸ってくれる存在のない母乳は、放っておいても滲むようになっていた。
気がつくと、着衣には丸いシミができた。
それを見ると、いつの間にか涙が頬を伝っている。
同室の他のベッドから聞こえてくる搾乳器の音も、また涙を誘う。
許可されていた間に、どうにかシリンジで採取できた初乳。
わずか3ml。
助産師からは、それだけでもしっかり赤ちゃんには届くからと励まされた。
娘に会うたびに何度思っただろうか…。
『こんなママでごめんね…。』
『ママのせいで、こんなに辛い思いさせてごめんね…。』
誕生3日目には、うっすらと目を開けてこちらを見た。
「…あれぇ?この声…。ままだぁ…。」
その目はまるでそう言っているようだった。
娘の成長は本当に順調で、4日目には足の点滴は外されていた。
6日目にもなれば人工呼吸器は抜かれ、酸素マスクになっていた。
「もう呼吸器外れてるの!?こんなに早く管が抜けてる子初めて見た!」
付き添ってくれていた助産師はそう言っていた。
そして、そんな風に小さな身体で精一杯生きている娘から、私も生きる気力と活力を貰っていた。
『私も負けていられないな。』
乳がんStage4ということで弱気になっていた私に、そう思わせてくれたのは他の誰でもなく娘本人だ。
子どもは大きな力を持っているものだと耳にしたことはあるが、本当にその通りである。
こんなに小さな身体で大きなチカラを持っている。
娘には毎日変化あった。
黄疸が出て光線療法が取られたり、一時は貧血が出て輸血したと聞いたこともあった。
光線療法は、やめられていた日もあれば、その翌日にはまたあのピンクの光線が当てられている。
そんな一進一退のような日々だった。
娘の身体は、背中が私の片手の掌にすっぽり納まるほど小さい。
だが、足の力はとても強い。
頭と足の力だけで逆ブリッジのような体勢になったりしていて、首が折れてしまうのではないかと、見ているこちらがハラハラさせられていた。
そんな姿でさえも
「あたしもがんばってるから、ままもがんばって!」
まるでそう言っていうようだった。




