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乳がんとともに  作者: 蒼井 つばさ


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10/13

転棟                    

1回目の抗がん剤の後くらいからだっただろうか。

少しずつ、身体には回復に向けた変化が起きていた。


出産を終え、お腹が軽くなったこともあってのことだろう。

ベッドのリクライニング(以下、ギャッチアップ)を起こせるようになってきたのだ。


だが、いい事ばかりではなかった。


食事の味をほとんど感じられなくなっていたのだ。


そのせいか、全体の半分以下ほどしか食べられなかった。

食事が苦痛になった。


夫からは毎日のように

[食べられたか?]

[今日は〇〇を食べた!]

[社食のメニューはこれだった!]

と言うLINEが届いた。


“食べる意欲を持ってほしい”と言う夫の意図は分かってはいた。

それでも、それが辛く涙することもあった。


私がLINEを既読スルーして、夫を拗ねさせたこともあった。


[怒ってる理由を言え。じゃないと明日の面会なしにするわ。]

なんていわれた日もあった。


味がしなくて辛いと言う気持ち

写真付きの“今日の食事報告”が辛い気持ち


夫に伝えると、理解してくれ、それ以降はそういうLINEも無くなった。


食事が辛くて泣いていた私に、助産師がそばにいてくれた日もあった。


そんな日を数日過ごすと、報告を聞いたかカルテを見たであろう乳腺外科の医師から、

「食事のタイプを変えられるよ。」

と提案があった。

外食風なものも出てくるらしい。


料金的なものにも変化はないとのことだった。

それならばと、変更をお願いすることにした。


実際に、濃いめの味付けのものだったりもして、所謂“若者向け”風な献立だった。

そうて変更してからやっと、少しずつ食事がまた楽しめるようになったのだ。


夫にも

[変えてどうや?]

と訊かれたので、

[変えてから食べられるようになったよ!]

と言う旨の報告をすると、安心してくれたようだった。



産前は、薄味ながらもある程度は美味しいと思えていた食事。


こんなに変わってしまったのはなぜだったのだろう。


『産後で味覚が変わったのかな?』


などと思っていた。


今から思えば、おそらく抗がん剤の影響もあったのだろうと思い至るのだ。


また、転棟に向けたリハビリも進んでいた。


娘ももうすぐNICUからGCUに移動できそうだということ。

ストレッチャーでの移動には、最低でもふたりは必要だ。

転棟先からの移動に割ける人員の確保が難しいこと。

そんな理由などから、リクライニング車椅子の導入が始まったのだ。


リクライニング車椅子への移乗には4人ほどの手が必要ではあるが、必要なのはその数分のみ。

移乗してしまえば、移動にかかる人員はひとりでいいのだ。


起き上がれなくなってからそれまで、1ヶ月以上もの間ベッドやストレッチャーからの視界しか見てこなかった。

それが久し振りに座位からの視界に、ようやくたどり着いた。

思わず、目からは熱いものが流れていた。


その日はそのまま、

「リクライニング車椅子に慣れる目的も兼ねて新生児室へ行こう!」

と言う、助産師やPT(理学療法士)の提案で、新生児室へ連れて行ってもらった。


数日前に保育器(クベース)からコットに移った娘を、やっと自分のこの腕で抱っこできた日にもなった。

それまでは、ストレッチャーに横たわっている私の胸元へ連れてきてもらい、看護師に娘を支えてもらいつつ腕の中におさめることしかできなかったのだ。


いつまでもそうして抱いていたいと思うほどに嬉しかった。


娘の成長も目覚ましく、それまで胃管からのミルク摂取だったのだが、この“抱っこ記念日”の翌日から口からの哺乳も始まっていた。


そんな中、“その日”は2回目の抗がん剤の前日だかにやってきた。


転棟してしまうと、これまでのように気安く新生児室には来れない。

その事を思ってくれてのことか、朝から助産師たちが新生児室に連れて行ってくれた。

初めて沐浴している様子を見ることができた日にもなった。


そして、いよいよ転棟。


やっと産科の助産師たちに弱音を吐いたり、甘えることができるようになったいた矢先の転棟だったのだ。

心細い思いや寂しい思いを抑えていたこともある。

病室内が、窓際のベッドにも関わらず、産科病棟と比べるとなぜか薄暗い気がした。


…“命の誕生の場”と“そうではない場”の違いだろうか…


そのせいか、私は周りへの配慮を欠いていた。

転棟付き添いの助産師と、周りの荷物を片付けてもらいながら雑談に花を咲かせてしまったのだ。


産科病棟でのテンションのまま。


自然と声のボリュームの上がっていたらしい。


「ちょっと!静かにしてくださる!?」


向かいのベッドがら、そんな注意を受けてしまった。

これは完全に私の落ち度だ。


とはいえ、その初日のことで私のことをすっかり毛嫌いしてしまったらしい彼女。

退院直前まで、そのご婦人が他の患者にその日のことを話しているのは聞こえてきた。

私のやることなすこと気に入らないようで、文句を言っているのが聞こえてきたこともあった。


例えば、床上排泄なことをとっても

「私なら出るものも出なくなるわ。」

と言う声が聞こえたこともあった。


…そのご婦人は人工肛門(ストーマ)らしかったため

『あんたが言うなや。』

と、心の中で思っていたことはここだけの話である。


そのため、転棟から退院までの1ヶ月ほどは、決して居心地の良いものではなかった。


…自業自得だと言われれば、それまでではあるのだが。


それでも、平日の1日約1時間

娘に会いに行ける時間が、私を支えてくれていた。

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