第9話 公爵令嬢に課外授業を!
「……だから、何度言わせるのよ!」
学習室に響いた怒声に、私は思わず顔を上げた。
ロザリア様の前では、若いメイドさんが深々と頭を下げている。
「申し訳ございません、お嬢様」
「謝るだけなら誰にでもできるわ! わたくしが頼んだのは白い花でしょう? どうして桃色の花が飾られているのよ!」
「白い花は今朝、まだ届いておらず……」
「そんなの、わたくしには関係ないわ!」
ロザリア様は花瓶を指さし、苛立たしそうに眉をひそめた。
「今すぐ取り替えなさい。できないなら、ほかの者を呼んでちょうだい!」
「は、はい……」
「ロザリア様」
私が声をかけると、ロザリア様は露骨に嫌そうな顔をした。
「……何よ。またお説教?」
「白い花がよかったんですよね?」
「そうよ。昨日から頼んでいたんですもの」
「では、届いていないことを先に伝えてもらえたらよかったですね」
「……そうでしょう?」
「でも、この方に届いていない花を用意することはできませんよ」
ロザリア様の眉がぴくりと動いた。
「だったら、どうしろと言うの?」
「ほかの花にするか、届くまで待つか、ロザリア様が選べばいいんです」
「……わたくしが妥協しろというの?」
「できないことを叱っても、白い花は届きませんから」
「……っ!」
ロザリア様は私を睨みつけたあと、ふんと顔を背けた。
「もういいわ。花なんて全部片づけてちょうだい!」
メイドさんは慌てて花瓶を持ち上げ、部屋を出ていった。
……うーん。
以前よりは言葉を選ぶようになったと思ったんだけど、まだまだ難しいなあ。
「エリシア先生」
「はい?」
「あなた、最近わたくしに逆らってばかりね」
「そうでしょうか?」
「そうよ! わたくしの家庭教師なのだから、もう少しわたくしの味方をしたらどうなの?」
「味方ですよ?」
「……は?」
「ロザリア様が立派な公爵令嬢になれるよう、お手伝いしたいと思っています」
「だったら、わたくしの言うことを聞きなさい!」
「それとこれとは別ですね」
「……本当に、腹の立つ先生だわ!」
ロザリア様はぷいっと顔を背けた。
私は苦笑いしながら、机の上の教科書を閉じる。
……言葉で伝えるだけでは、なかなか難しいのかもしれない。
何か、別の方法はないかな。
◇
「……課外授業、ですか?」
「はい!」
授業を終えたあと、私はセバスチャンさんに相談していた。
「ロザリア様に、普段とは違う経験をしていただきたいんです」
「具体的には、どのような?」
「人をもてなすお仕事を、実際にやってみるのはどうでしょう?」
セバスチャンさんは目を瞬かせた。
「……お嬢様が、でございますか?」
「はい。給仕の仕事を経験すれば、使用人の方々が普段どんなことを考えて働いているのか、少しはわかるかもしれません」
「なるほど……」
「もちろん、いきなり一般のお店で働いていただくのは難しいと思います。なので、貴族の方々が参加する接遇実習のような形にできればと」
セバスチャンさんはしばらく考え込んだ。
「旦那様と奥様のご許可が必要になりますが、教育の一環としてであれば、ご相談は可能かと」
「本当ですか!?」
「ただし、お嬢様が素直に参加されるかどうか……」
「……ですよね」
私たちは顔を見合わせ、思わず苦笑した。
ロザリア様が『給仕をしてください』と言われて、喜んで引き受ける姿はまったく想像できない。
「実は、協力をお願いできそうな友人がいるんです」
「ご友人、でございますか?」
「はい! ちょっと頼りになる人でして」
……まあ、頼りになるというか。
少し、面白がりそうな気もするけれど。
◇
「――それで、私のところに来たわけね」
「うん! クラリスなら何とかできるかなって!」
「あなた、本当に昔から無茶なことを考えるわね」
翌日の休日、私は王都にあるエーレンフェルト侯爵家の屋敷を訪れていた。
向かいのソファに座っているのは、赤みがかった髪と鮮やかな緑の瞳が印象的な少女。
クラリス・フォン・エーレンフェルト。
王立学院初等課程で知り合った、私の大切な親友だ。
「でも、面白そうじゃない」
「えっ、協力してくれるの!?」
「まだ何も言っていないでしょう?」
クラリスは楽しそうに笑い、ティーカップを持ち上げた。
「それにしても、あなたが公爵家の家庭教師になるなんてね。卒業したときは驚いたわ」
「私も驚いたよ! 最初は絶対に無理だと思ってたし」
「でしょうね。十五歳の家庭教師なんて、普通は聞かないもの」
「うっ……」
「しかも、あのロザリア・ヴァレンシュタイン様でしょう? 学院でも噂になっていたわよ」
「えっ、そんなに有名なの?」
「ええ。家庭教師を何人も辞めさせたとか、使用人を泣かせたとか……まあ、あまり良い噂ではないわね」
「……そうなんだ」
私は少しだけ考え込んだ。
確かにロザリア様は我儘だし、使用人への態度も厳しい。
でも、それだけの子ではないことも知っている。
「ロザリア様、すごく頑張り屋さんなんだよ」
「……へえ?」
「勉強もできるし、自分で考える力もあるの。ただ、ちょっと失敗を怖がりすぎるところがあって……」
「ちょっと、ねえ」
クラリスは意味ありげに微笑んだ。
「あなた、もう随分とあのお嬢様のことを気に入っているみたい」
「えっ、そうかな?」
「そうよ。昔から、教える相手のことになると夢中になるんだから」
「……あはは」
クラリスとは、学院時代にもよく一緒に勉強していた。
私が試験勉強に夢中になって昼食を忘れたときも、図書館から教室へ戻れなくなったときも、助けてくれたのは彼女だった。
「そういえば、今日は迷わず来られたの?」
「……えっと」
「エリシア?」
「門まではちゃんと来られたよ!」
「門までは?」
「……そのあと、庭で少し」
クラリスは額に手を当てた。
「あなたねえ……うちの屋敷には何度も来ているでしょう?」
「だって、お庭が広いんだもん!」
「言い訳になっていないわよ!」
……うう、相変わらず手厳しい。
◇
「それで、給仕の体験をさせたいのね」
「うん。実際にやってみれば、使用人の人たちの大変さが少しはわかると思うんだ」
「なるほど。でも、公爵令嬢に普通の店で働かせるのは難しいわよ」
「やっぱりそうだよね……」
「ただ、方法がないわけではないわ」
クラリスは少し考えたあと、にっこりと微笑んだ。
「うちが後援している喫茶店があるの。そこを一日だけ借り切って、接遇実習という名目で使えばいいんじゃない?」
「えっ、そんなことできるの!?」
「父に相談すれば、たぶん大丈夫よ。お客様も招待制にして、事情を知っている人だけにすれば問題ないでしょう」
「すごい! ありがとう、クラリス!」
「まだ決まったわけじゃないわよ」
「でも、助かるよ!」
私が身を乗り出すと、クラリスは少しだけ意地悪そうに笑った。
「ただし、条件があるわ」
「条件?」
「私も参加すること」
「えっ?」
「せっかく面白そうなことをするんだもの。見ているだけなんて、もったいないでしょう?」
「……クラリス、もしかして楽しんでる?」
「もちろん」
即答だった。
「だって、あのヴァレンシュタイン公爵家のお嬢様が給仕をするのよ? こんな機会、そうそうないわ」
「もう! 遊びじゃないんだからね!」
「わかっているわよ。だから、ちゃんと協力するつもり」
クラリスは笑みを少し和らげた。
「それに、あなたがそこまで真剣に考えているなら、応援したいもの」
「……クラリス」
「ただし、失敗したら私も一緒に怒られるかもしれないんだから、覚悟しておいてね?」
「うっ……頑張ります!」
……うん、心強い。
クラリスが協力してくれるなら、きっと何とかなるはずだ。
◇
「――課外授業?」
数日後、学習室で私の話を聞いたロザリア様は、露骨に眉をひそめた。
「はい! 今度、少し特別な授業をしてみようと思いまして」
「……また変なものを持ってくるつもり?」
「いえ、今回はお屋敷の外に出ます!」
「外?」
ロザリア様は少しだけ興味を示した。
「どこへ行くの?」
「王都にある喫茶店です」
「……喫茶店?」
「はい。そこで、人をもてなすことについて学んでいただこうかと」
「ふうん……」
ロザリア様はしばらく考え込んだあと、ふんと鼻を鳴らした。
「まあ、いいわ。わたくしは公爵令嬢ですもの。お客様をもてなすことくらい、当然できるわ」
「そうですね! では、楽しみにしていてください!」
「……あなた、何か隠していない?」
「えっ!?」
ぎくっ。
ロザリア様の鋭い視線が、私に突き刺さる。
「……その顔、絶対に何かあるわね」
「そ、そんなことないですよ!」
「怪しいわ……」
……うう、やっぱり鋭い。
でも、当日になればきっとわかってもらえるはず。
……たぶん。
「とにかく、楽しみにしていてくださいね!」
「……ふん。つまらなかったら、すぐに帰るから」
「はい!」
こうして、ロザリア様の課外授業が決まった。
もっとも、私はこのときまだ気づいていなかった。
公爵令嬢に給仕をさせるという計画が、想像以上に大変な騒動を引き起こすことになるなんて。




