第10話 わたくしが給仕ですって!?
「……エリシア先生」
「はい、ロザリア様!」
「一つ、確認してもよろしくて?」
「もちろんです!」
「どうして、わたくしがこんな服を着なければならないのかしら?」
目の前には、白いエプロンをつけたロザリア様が立っていた。
淡い青色のワンピースに、ふんわりとした白いエプロン。髪には小さなリボンまで結ばれていて、とてもよく似合っている。
「わあ……! ロザリア様、すごく可愛いです!」
「褒めてごまかそうとしないでちょうだい!」
……うっ、ばれた。
今日は待ちに待った課外授業の日。
クラリスの協力で、侯爵家が後援する喫茶店を一日借り切ることができた。
もちろん、公爵家の許可もいただいているし、お客様も事情を知っている方だけを招待する予定だ。
……ただし。
肝心のロザリア様には、まだ授業の詳しい内容を説明していなかった。
「エリシア先生、答えなさい!」
「えっと……今日は、お客様をもてなすお仕事を体験していただこうと思いまして」
「……お仕事?」
「はい! 給仕です!」
「…………は?」
ロザリア様の笑顔が消えた。
……あ、まずい。
「きゅうじ?」
「はい。お客様にお茶やお菓子を運んだり、ご注文を伺ったりするお仕事です」
「……それを、誰が?」
「ロザリア様が」
「…………」
数秒の沈黙。
そして。
「冗談ではありませんわっ!!」
喫茶店の控室に、ロザリア様の怒声が響き渡った。
「公爵令嬢のわたくしに、使用人の真似事をしろというの!?」
「ま、真似事というか、体験学習というか……」
「同じことでしょう! 今すぐ帰るわ!」
「ええっ!? まだ始まってもいませんよ!?」
「始める必要なんてなくてよ!」
ロザリア様はエプロンを外そうとした。
……うう、やっぱりこうなったか。
どうしよう、このままじゃ課外授業が始まる前に終わっちゃう!
「まあまあ、ずいぶん賑やかね」
そのとき、控室の扉が開いた。
現れたのは、赤みがかった髪を綺麗にまとめた少女。
クラリス・フォン・エーレンフェルトだ。
「クラリス!」
「おはよう、エリシア。……それから、初めまして。ロザリア・ヴァレンシュタイン様」
クラリスは優雅に一礼した。
「エーレンフェルト侯爵家のクラリスと申します。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
「……エーレンフェルト侯爵家?」
ロザリア様はエプロンを外しかけた手を止めた。
「あなたが、この店の関係者なの?」
「ええ。私の家が後援しているお店ですの」
「……そう」
ロザリア様は少しだけ姿勢を正した。
さすがに侯爵家の令嬢を前にして、いつものように怒鳴るわけにはいかないらしい。
「ですが、クラリス様。わたくしは給仕をするなど聞いておりませんでしたわ」
「まあ、それは驚かれたでしょうね」
「ええ。ですから、今日は失礼させていただこうかと」
「残念ですわ。せっかく、ロザリア様にぴったりの授業を用意しましたのに」
「……ぴったり?」
クラリスはにっこり微笑んだ。
「貴族にとって、人をもてなすことは大切な教養でしょう? 特に公爵家のご令嬢ともなれば、将来は多くの方を招く立場になられるはずですわ」
「……それは、当然ですけれど」
「でしたら、もてなす側の仕事を知っておくことも、きっと役に立ちますわ」
ロザリア様は少し考え込んだ。
「……でも、わたくし自身が給仕をする必要はないでしょう?」
「もちろん、普段は使用人の方々に任せればよろしいと思います」
「だったら……」
「ただ、任せる仕事の大変さを知らなければ、適切な指示を出すことも難しいのではなくて?」
「……っ」
クラリスの言葉に、ロザリア様は口を閉じた。
……すごい。
私が何度説明しても怒っていたのに、クラリスが言うとちゃんと聞いてくれる。
さすが侯爵令嬢。
「それに、今日は私も参加しますの」
「……クラリス様も?」
「ええ。エリシアと一緒に給仕をする予定ですわ」
「えっ、私も!?」
「当然でしょう、エリシア。あなたが考えた授業なのだから」
「そ、そうだよね!」
クラリスは私にだけわかるように、いたずらっぽく片目をつむった。
……ああ、なるほど。
最初からそのつもりだったんだ。
「……ふん」
ロザリア様はしばらく考えたあと、腕を組んだ。
「まあ、そこまで言うなら、少しだけ付き合ってあげてもよろしくてよ」
「本当ですか!?」
「ただし! つまらなかったら、すぐに帰りますからね!」
「はい! ありがとうございます!」
「……どうしてあなたがそんなに嬉しそうなのよ」
……だって、嬉しいんだもん。
◇
「それでは、まずは基本的な動きから練習しましょう!」
控室の隣にある小さな練習スペースで、私はお盆を手に取った。
「お客様にお茶を運ぶときは、こんなふうに持ちます」
「……簡単そうね」
「では、ロザリア様もどうぞ!」
ロザリア様はお盆を受け取り、片手で持ち上げた。
「これくらい、誰にでもできるでしょう」
「では、そのまま少し歩いてみましょうか」
「ええ」
ロザリア様は優雅に一歩踏み出した。
……その瞬間。
「きゃっ!?」
お盆の上に置いてあった空のカップが、がたんと音を立てた。
「……っ!」
ロザリア様は慌てて両手でお盆を支えた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「当然よ! ちょっと手元が滑っただけでしょう!」
「そうですね。最初は難しいですよね」
「難しくなんてないわ!」
ロザリア様はむっとした顔で再び歩き始めた。
けれど、今度は足元ばかり気にしてしまい、お盆が傾いてしまう。
「……っ、どうして!」
「ロザリア様、少し肩の力を抜いてみましょうか」
「抜いたら落ちるでしょう!」
「大丈夫ですよ。両手で支えれば、安定しますから」
「……」
ロザリア様は不満そうに唇を尖らせながらも、言われたとおりに持ち直した。
……うん、少しよくなったかな。
「いいですね! その調子です!」
「……まだ褒めるようなことはしていなくてよ」
「でも、さっきより安定していますよ」
「……ふん」
そう言いながら、ロザリア様はもう一度歩き始めた。
◇
「……ねえ、エリシア」
「ん?」
ロザリア様が練習を続けている間、クラリスがそっと私に耳打ちしてきた。
「あなた、思っていたより大変な子を教えているのね」
「……あはは、そうかな?」
「そうよ。さっきから何度も怒っているじゃない」
「でも、ちゃんと練習してくれているよ」
「……確かにね」
クラリスはロザリア様へ視線を向けた。
彼女は何度もお盆を持ち直しながら、真剣な顔で歩く練習をしている。
「……努力家なのは、本当みたい」
「でしょ?」
「ええ。ただ、素直になるまでには時間がかかりそうね」
「うん。でも、少しずつでいいと思ってる」
そう答えると、クラリスは小さく微笑んだ。
「……あなたらしいわ」
「えへへ」
「ただし、甘やかしすぎないようにね」
「わかってるよ!」
「本当かしら?」
……うっ、信用されていない。
◇
「では、そろそろ実際にお客様をお迎えしましょう!」
「……えっ?」
練習を終えたロザリア様が、目を丸くした。
「お客様?」
「はい。今日は招待制で、何人かの方に来ていただいています」
「……ちょっと待ちなさい」
「はい?」
「まさか、今の練習だけで終わりではないの?」
「えっ、もちろん違いますよ?」
「……っ!」
ロザリア様の顔がみるみる赤くなった。
「聞いていないわ! わたくし、知らない人の前で給仕なんて……!」
「大丈夫です。皆さん、事情を知っている方ばかりですから」
「そういう問題ではなくてよ!」
ロザリア様は勢いよく私を指さした。
「もし失敗したら、どうするつもりなの!?」
「そのときは、一緒に対応しましょう」
「……一緒に?」
「はい。私もクラリスもいますから」
そう答えると、ロザリア様は少しだけ黙り込んだ。
「……本当に、あなたもやるのね?」
「もちろんです!」
「……だったら」
ロザリア様は小さく息を吐き、エプロンの裾を整えた。
「わたくしが、あなたより上手にできるところを見せてあげるわ!」
「おお! 楽しみにしています!」
「……ふん!」
そう言いながら、ロザリア様は堂々と扉へ向かった。
……よし、何とかやる気になってくれた!
私はほっと胸を撫で下ろし、クラリスと顔を見合わせた。
「それじゃあ、始めましょうか」
「うん!」
こうして、ロザリア様の初めての給仕体験が始まった。
……そして私は、このあとすぐに思い知ることになる。
公爵令嬢の接客というものが、想像以上に難しいということを。




