第7話 できて当然のお嬢様
「エリシア先生、少しこちらへ来なさい」
「おはようございます、ロザリア様! どうかしましたか?」
いつものように学習室へ入ると、ロザリア様が机の前で腕を組んで待っていた。
その表情は相変わらず偉そうだけれど、今日はどこか落ち着かない様子で、ちらちらと机の上に視線を向けている。
「昨日の橋の問題だけれど、あなたの考え方では不十分だと思ったの」
「えっ、そうなんですか?」
「そうよ。橋を架ける場所だけでなく、材料の運搬方法や工事の順番まで考えなければ、正確な費用なんて出せないでしょう?」
「なるほど! 確かにそうですね」
「……それで、少し考えてみたのよ」
ロザリア様は一枚の紙を差し出した。
そこには昨日の図をもとに、橋の位置や運搬経路、必要な材料の量まで細かく書き込まれている。
「わあ……これ、全部ロザリア様が?」
「当たり前でしょう。ほかに誰がいるというの?」
「すごいです! 昨日の授業のあとに、ここまで考えてくださったんですね!」
「べ、別に大したことではなくてよ」
そう言いながら、ロザリア様は少しだけ胸を張った。
「それで? あなたなら、どの案を選ぶの?」
「うーん、そうですね……」
私は紙をじっくり眺めた。
費用を抑える案、工期を短くする案、丈夫さを優先する案。それぞれに利点と欠点があり、どれもよく考えられている。
「私なら、この二番目の案を選ぶと思います」
「どうして?」
「費用は一番安いわけではありませんが、村の人たちが使いやすそうですし、工事も比較的早く終わりそうなので」
「……ふうん」
「でも、ロザリア様の三番目の案も面白いですね。特に材料を運ぶ順番を変えるという発想は、私は思いつきませんでした」
「……そう」
ロザリア様は紙を受け取り、少しだけ口元を緩めた。
「まあ、あなたがそこまで言うなら、悪くない案なのでしょうね」
「あはは、はい! とてもよく考えられていると思います!」
「……何度も言わなくていいわ!」
そう言いながらも、ロザリア様は紙を丁寧に机の引き出しへしまった。
……うん、今日もいい感じだ。
◇
「ところでロザリア様、今日は午後から礼儀作法の確認があるんですよね?」
「ええ。お父様とお母様の前で、これまで学んだことを披露することになっているわ」
「それは緊張しますね」
「緊張なんてしないわ。わたくしはヴァレンシュタイン公爵家の娘ですもの」
そう言いながら、ロザリア様は教科書を閉じた。
「ただ、失敗は許されないの。だから今日は、いつもより早く授業を終わらせてちょうだい」
「わかりました。では、午前中は復習を中心にしましょうか」
「ええ。それから、あなたも見学しなさい」
「……私もですか?」
「当然でしょう。家庭教師なのだから、わたくしがどれほど優秀か、ちゃんと見ておくべきだわ」
「はい! 楽しみにしています!」
「……ふん」
ロザリア様はそっぽを向いたけれど、どこか満足そうだった。
◇
午後になり、私はセバスチャンさんに案内されて、公爵夫妻が待つ広間へ向かった。
部屋の中央には長いテーブルが置かれ、その奥には威厳のある男性と、上品なドレスをまとった女性が座っている。
ヴァレンシュタイン公爵と、その夫人だ。
「エリシア・ベルフォードと申します。本日は見学の機会をいただき、ありがとうございます」
緊張しながら頭を下げると、公爵は私を一瞥した。
「君が新しい家庭教師か。ずいぶん若いな」
「はい。まだ経験は浅いですが、精いっぱい努めさせていただきます」
「ロザリアが選んだと聞いている。結果を出してもらいたいものだ」
「はい!」
……うう、すごい迫力。
隣に座る公爵夫人も、静かにこちらを見つめている。
「ロザリア、準備はよろしいですね?」
「はい、お母様」
ロザリア様は背筋を伸ばし、完璧な礼を披露した。
その姿は、普段の我儘なお嬢様とはまるで別人のようで、指先の動き一つまで洗練されている。
……すごい。
十一歳で、ここまでできるなんて。
続いてロザリア様は、来客への挨拶や席次、茶会での振る舞いなどを次々と披露していった。
どれも見事で、私は思わず拍手したくなってしまったけれど、公爵夫妻は表情を変えない。
「では、次は隣国の使節を迎える場合の対応を説明しなさい」
「はい、お父様」
ロザリア様は落ち着いた声で説明を始めた。
外交上の序列や贈答品の扱い、相手国の慣習まで細かく答えていく姿に、私は改めて感心していた。
けれど、最後の質問で彼女は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……その場合は、王国の慣例に従い、第二の応接室へ……」
「違う」
公爵の低い声が響いた。
ロザリア様の肩がびくりと揺れる。
「その使節は王族の代理として来訪するのだ。通常の使節と同じ扱いでよいはずがないだろう」
「……申し訳ございません、お父様」
「その程度の判断もできないようでは困る。公爵家の娘として、もっと自覚を持ちなさい」
「はい……」
ロザリア様は深く頭を下げた。
……えっ?
今の、一つ間違えただけだよね?
それまでの質問には全部答えていたのに。
「ロザリア、顔を上げなさい」
公爵夫人が静かに口を開いた。
「あなたは第二王子殿下の婚約者候補なのですよ。些細な間違いが、家の評価を下げることもあるのです」
「……はい、お母様」
「できて当然のことを褒めてもらえると思ってはいけません。あなたには、それ以上のものが求められているのですから」
ロザリア様は何も言わず、ただ小さく頷いた。
その横顔を見て、私は胸が苦しくなった。
……ああ、そういうことだったんだ。
この子が何度も『できて当然』と言っていた理由。
どれだけ頑張っても、褒めてもらえないから。
◇
「……今日は、失敗してしまったわ」
確認が終わり、学習室へ戻る途中、ロザリア様がぽつりと呟いた。
「そうですね。最後の質問は少し難しかったですね」
「……あなたも、そう思うの?」
「はい。でも、それまでの答えは全部正しかったですし、礼儀作法もとても綺麗でした」
「……そんなの、当然よ」
「当然でも、すごいことだと思います」
ロザリア様は足を止めた。
「……あなた、さっきの話を聞いていなかったの?」
「聞いていましたよ」
「だったら、わかるでしょう? わたくしは、あんな間違いをしてはいけないの!」
ロザリア様の声が少しだけ震えた。
「お父様もお母様も、がっかりされたに違いないわ」
「……ロザリア様」
「だから、もういいの。今日は勉強する気分じゃないわ」
そう言って歩き出そうとした彼女に、私は静かに声をかけた。
「でも、私は今日のロザリア様を見て、すごいと思いました」
「……っ」
「難しい質問にも落ち着いて答えていましたし、礼儀作法も本当に綺麗でした。あれだけできるようになるまで、たくさん練習したんですよね?」
「……別に」
「私は、そういう努力をちゃんと褒めたいです」
ロザリア様は振り返らなかった。
けれど、ぎゅっと握りしめられた小さな手が、わずかに震えていた。
「……勝手にすればいいわ」
小さく呟くと、ロザリア様は再び歩き出した。
私はその背中を見つめながら、ゆっくりと後を追った。
◇
その日の夕方、ロザリアは一人、学習室で礼儀作法の教本を開いていた。
今日間違えた問題には、何度も印がつけられている。
「……次は、絶対に間違えないわ」
そう呟いて羽根ペンを握ったものの、ふと昼間の言葉が頭をよぎった。
『私は、そういう努力をちゃんと褒めたいです』
「……何なのよ、あの人」
ロザリアは小さくため息をついた。
間違えたのだから、注意されるのは当然。
できたことを褒められる必要なんてない。
そう思っているのに、どうしてあの人の言葉ばかり思い出してしまうのだろう。
「……本当に、変な先生」
そう呟いたロザリアは、もう一度教本に目を落とした。
けれど、いつもより少しだけ、胸の奥が温かかった。




