第42話 第二王子の素朴な疑問
「先生、こちらの質問はどうかしら?」
「どれどれ……ああ、いいですね! 前よりずっと答えやすくなっています」
「そうでしょう? 少し考えてみたの」
ロザリア様は嬉しそうに微笑むと、机の上に広げた紙へ視線を戻した。
公爵様から村への調査を許可されて以来、私たちは空いた時間を使って準備を進めている。
先日、クラリスと話したことも伝えてみたところ、ロザリア様は村の中で読み書きを教えられる人がいるかどうか、という質問を加えてくれた。
「クラリス様のお話、とても参考になりましたわね」
「はい。叔母様からもお話を聞けるかもしれませんし、楽しみですね」
「ええ。でも、もし村の中に教えられる方がいらしても、その方がお忙しかったら、どうすればよいのかしら」
「そこも確認したいですね。教えられることと、実際に時間を取れることは別ですから」
「……本当に、考えることがたくさんありますのね」
「ふふ、そうですね」
私たちがそんな話をしていると、扉が控えめに叩かれた。
「お嬢様、少々よろしいでしょうか」
セバスチャンさんが顔を出す。
「どうしたの?」
「王宮より使者がお見えになっております。第二王子殿下から、お嬢様へお茶会のお誘いが届いております」
「……えっ?」
ロザリア様の手から、持っていた羽根ペンがころりと転がった。
◇
「ど、どうしましょう、先生!」
「落ち着いてください、ロザリア様。まずはお手紙を確認しましょう」
「そ、そうですわね!」
ロザリア様は慌てて封筒を開き、丁寧に折り畳まれた便箋を取り出した。
第二王子レオンハルト殿下からのお誘いは、数日後に王宮の庭園で開かれる小さなお茶会への招待だった。
以前の夜会で言葉を交わして以来、二人は時折手紙をやり取りしていたらしいけれど、こうして直接招待されるのは久しぶりだという。
「……先生、わたくし、何をお話しすればよいのかしら」
「いつもどおりで大丈夫だと思いますよ」
「いつもどおりって……相手は王子殿下ですのよ?」
「それはそうですが、以前も楽しくお話しできていたじゃありませんか」
「……そう、でしたけれど」
ロザリア様は少し頬を赤らめた。
「それに、今回は先生もいらっしゃらないのでしょう?」
「はい。招待されたのはロザリア様ですから、私はお屋敷でお待ちしています」
「……そうよね」
ロザリア様は手紙を見つめながら、小さく息を吐いた。
「わたくし一人で、ちゃんとお話しできるかしら」
「もちろんです。ロザリア様なら大丈夫ですよ」
「……先生は、そう言ってくださるけれど」
私は少し考えてから、微笑みかけた。
「無理に立派なお話をしようとしなくてもいいと思います。ロザリア様が最近楽しかったことや、頑張っていることをお話しすればいいんです」
「……最近、頑張っていること」
「例えば、村の学校について調べていることとか」
ロザリア様は少し顔を上げた。
「……殿下に、学校のお話をしてもよいのかしら」
「もちろん。殿下も以前、橋や学校のお話に興味を持っていらっしゃったのでしょう?」
「ええ。そうでしたわ」
ロザリア様は少し考えたあと、頷いた。
「それなら、わたくしが今考えていることを、お話ししてみます」
「はい。それがいいと思います」
◇
お茶会当日。
私はロザリア様の身支度を終えたところで、彼女の様子をそっと窺った。
淡い桃色のドレスをまとったロザリア様は、鏡の前で何度も姿勢を正している。
「……先生、変ではないかしら」
「全然! とてもお似合いですよ」
「本当に?」
「はい。自信を持ってください」
ロザリア様は少し安心したように微笑んだ。
「……ありがとう、先生」
やがてセバスチャンさんが迎えに来て、馬車の準備が整ったことを告げた。
玄関まで見送りに出ると、ロザリア様は馬車に乗り込む前に振り返った。
「先生」
「はい?」
「帰ってきたら、今日のお話を聞いてくださる?」
「もちろんです! 楽しみに待っていますね」
「……ええ!」
ロザリア様は嬉しそうに頷き、馬車へ乗り込んだ。
走り去る馬車を見送りながら、私は小さく息を吐いた。
(……頑張ってくださいね、ロザリア様)
いつもなら隣で声をかけられるけれど、今日はそうはいかない。
それでも、ロザリア様が自分の言葉で話せるようになってきたことを、私は知っている。
きっと大丈夫だ。
◇
ロザリア様が戻ってきたのは、午後のお茶の時間を少し過ぎた頃だった。
私は資料を整理しながら待っていたけれど、廊下から足音が聞こえたと思ったら、勢いよく扉が開いた。
「先生!」
「ロザリア様、お帰りなさい!」
「ただいま戻りましたわ!」
ロザリア様は少し興奮した様子で、私の前まで駆け寄ってきた。
「どうでした? お茶会は楽しかったですか?」
「ええ! とても楽しかったわ!」
その笑顔を見ただけで、私はほっとした。
「それはよかったです。どんなお話をされたんですか?」
「いろいろお話ししましたわ。最近読んだ本のことや、王宮の庭園のこと、それから……村の学校のことも」
「おお! 学校のお話もできたんですね」
「ええ。でも、殿下に少し意外なことを聞かれたの」
「意外なこと?」
ロザリア様は椅子に腰を下ろし、少し考えるように指を組んだ。
「わたくしが学校をもう一度開けるかどうか調べているとお話ししたら、殿下はこうおっしゃったの。『どうして学校を開きたいの?』って」
「……なるほど」
「だから、子どもたちが勉強できるようにするためですとお答えしたのだけれど……」
ロザリア様は少し困ったように笑った。
「そうしたら、『勉強って、学校に行かないとできないものなのかな?』と聞かれたの」
私は思わず目を瞬かせた。
「……それは、面白い質問ですね」
「でしょう? 殿下は、わたくしたちが家庭教師から勉強を教わっていることを例に挙げられたの」
「なるほど……」
確かに、私たちは学校という場所を作ることばかり考えていたけれど、学ぶ方法は一つではない。
「それで、ロザリア様は何とお答えしたんですか?」
「学校がなくても勉強することはできますが、村の子どもたちが家庭教師をお願いできるとは限りません、とお話ししたわ」
「……はい」
「それから、もし村の中に教えられる方がいても、その方がお忙しかったら、時間を作るのは難しいかもしれないとも」
私は思わず微笑んだ。
「とてもいいお答えだと思います」
「……本当?」
「はい。今まで調べたことを、ちゃんと自分の言葉で説明できていますから」
ロザリア様は少し照れたように笑った。
「殿下も、なるほどとおっしゃってくださったわ」
そして、少し声を弾ませた。
「それからね、殿下は『じゃあ、学校を作ることより、教えてくれる人と、勉強する時間をどうやって用意するかが大事なのかな』とおっしゃったの」
「……ああ」
私は思わず頷いた。
「それは、本当に大事なことですね」
「ええ。わたくしも、そう思いました」
ロザリア様は少し真剣な表情になった。
「それから、もう一つ聞かれたの。『村の子どもたちは、本当に勉強したいと思っているのかな?』って」
「……それは」
「わたくし、少し驚いたわ。でも、今度村へ行って確かめるつもりですとお答えしたの」
「はい」
「そうしたら、もし勉強したくないと言われたらどうするのか、と」
ロザリア様は膝の上で手を重ねた。
「だから、理由を聞いてみたいとお話ししたわ。勉強が嫌いなのか、それとも、勉強したくても時間がないのか。それによって、できることが違うと思います、と」
私はしばらく言葉を失った。
それは、私たちが何度も話し合ってきたことだった。
けれど、ロザリア様が私の助けを借りず、自分の言葉で説明できたことが、何より嬉しかった。
「……ロザリア様」
「な、何かしら?」
「本当に、すごいです」
「……え?」
「殿下からの質問に、ちゃんと考えて答えられたんですね」
ロザリア様は少し頬を赤らめた。
「……先生と一緒に、たくさん考えたことですもの」
「それでも、実際にお話しされたのはロザリア様です」
「……ありがとう」
彼女は少し照れくさそうに微笑んだ。
◇
「それでね、先生」
「はい?」
「殿下は、わたくしのお話を聞いて、『ずいぶんいろいろ考えているんだね』とおっしゃってくださったの」
「それは嬉しいですね」
「ええ。でも、わたくし、まだわからないことばかりですとお答えしたわ」
ロザリア様は少し恥ずかしそうに笑った。
「そうしたら、『わからないことをちゃんと調べようとしているのは、すごいことだと思うよ』って」
私は思わず頬を緩めた。
「……素敵な言葉ですね」
「ええ。わたくしも、そう思いました」
ロザリア様は少し間を置いてから、ぽつりと呟いた。
「……それに、殿下は、わたくしのお話を最後まで聞いてくださったの」
「……はい」
「以前のわたくしなら、殿下に気に入っていただくために、もっと立派なことを話さなければと思っていたかもしれないわ」
彼女は自分の手元を見つめた。
「でも今日は、わたくしが考えていることを、そのままお話しできた気がするの」
「……それは、よかったですね」
私は心からそう思った。
ロザリア様は、これまでずっと周囲の期待に応えようとしてきた。
公爵家の娘として、王子の婚約者候補として、間違いのない振る舞いをしなければならないと考えていたのだと思う。
けれど今日は、誰かに認めてもらうためだけではなく、自分の考えを伝えることができたのだ。
「……先生」
「はい?」
「殿下は、村へ行ったら、どんなことがわかったのか教えてほしいとおっしゃったの」
「おお、それはいいですね!」
「ええ。お手紙でお知らせするお約束をしたわ」
ロザリア様は嬉しそうに微笑んだ。
「だから、村へ行ったら、殿下にもきちんとお話しできるように、いろいろ見てきたいと思います」
「はい。一緒に頑張りましょう」
私は頷いた。
学校がなくても勉強する方法はある。けれど、その方法を誰もが使えるわけではない。
今日、レオンハルト殿下が投げかけてくれた疑問は、私たちがこれから村で確かめるべきことを、改めて整理してくれた気がする。
「それじゃあ、先生。今日のお話も、質問に加えておきましょう!」
「そうですね。でも、まずは少し休憩しませんか?」
「……あら、どうして?」
「王宮まで行って、たくさんお話ししてきたんですから。疲れていませんか?」
ロザリア様は少し考えたあと、くすりと笑った。
「……そうね。少しだけ、お茶にしましょうか」
「はい!」
私は笑顔で頷いた。
ロザリア様が自分の言葉で話し、それを誰かが真剣に聞いてくれる。
そんな経験が、これからも少しずつ増えていけばいいと思う。
そして、その一つひとつが、彼女の自信につながっていくのだろう。




