第39話 公爵令嬢は先生に反論する
「それでは、今日は村の人たちに何を聞くべきか、一緒に考えてみましょう!」
研究会の報告を終えた翌日、私はロザリア様の机に一枚の紙を広げた。そこには昨夜考えた質問がいくつか並んでいて、我ながらなかなかよくまとまっていると思う。
「学校に通わせたいかどうか、授業は何時頃がいいか、読み書きと計算のどちらを学ばせたいか……なるほど、悪くないわね」
「でしょう? これなら、村の人たちが何を望んでいるのかわかると思うんです」
ロザリア様は紙を手に取ってじっくり読み始めたけれど、しばらくすると、何かが気になるのか小さく首を傾げた。
「ねえ、先生。この質問、誰に聞くつもりなの?」
「まずは、お子さんのいるご家庭ですね。保護者の方にお話を聞ければ、学校に通わせたいかどうかもわかりますから」
「子どもたちには聞かないの?」
「えっ?」
思いがけない質問に、私は目を瞬かせた。
「もちろん、子どもたちにも聞ければいいとは思いますけど、学校に通うかどうかを決めるのは保護者の方ですし……」
「でも、勉強するのは子どもたちでしょう?」
「それは、そうですが……」
「だったら、その子たちが何を勉強したいのかも聞かないと、おかしいんじゃないかしら」
私は手元の紙を見つめた。確かに、質問は保護者の立場から考えたものばかりで、子どもたち自身の気持ちを聞く項目は一つもない。
(……あれ、私、教育学部で何を勉強していたんだっけ)
前世で学んだことを思い返せば、子どもの意欲や興味を大切にすることは基本中の基本だったはずなのに、学校を開くための条件ばかり気にして、肝心の子どもたちのことを後回しにしていたらしい。
「……おっしゃる通りです。子どもたちにも、きちんと話を聞くべきですね」
「でしょう?」
ロザリア様は少し得意そうに微笑んだ。
「それに、もう一つ気になることがあるわ」
「何でしょう?」
「この『学校に通わせたいですか』という質問だけど、通わせたくても通わせられない人は、どう答えればいいの?」
「……あ」
「家のお仕事が忙しかったり、お金がなかったりするのでしょう? だったら、学校に通わせたいかどうかだけ聞いても、本当の気持ちはわからないんじゃない?」
私は思わず椅子に座り直した。
確かに、学校に通わせたいという気持ちがあっても、家の事情で難しい家庭はある。反対に、学校に通わせる必要を感じていない家庭もあるだろうし、その理由を知らなければ、どんな方法を考えても役に立たないかもしれない。
「ロザリア様、すごいです!」
「……何が?」
「私が考えた質問の問題点を、二つも見つけてくださったんですよ!」
「そんなに驚くことかしら」
「驚きますよ! だって、私、昨日かなり時間をかけて考えたんですから」
「それは、先生の考えが足りなかっただけではなくて?」
「うっ……おっしゃる通りです」
思わず肩を落とすと、ロザリア様はくすりと笑った。
「先生は、わたくしが間違えたときには、よく考え直してみなさいって言うでしょう? だから、今日は先生の番よ」
「……一本取られました」
「いっぽん?」
「あっ、ええと……私の負け、という意味です」
「ふうん。では、わたくしの勝ちね」
ロザリア様は満足そうに胸を張った。
その姿が可愛らしくて、私は笑いながらペンを取った。
「では、勝者のロザリア様。ほかにも気になるところがあれば、遠慮なくお願いします!」
「もちろん、そのつもりよ」
ずいぶん頼もしい返事が返ってきた。
◇
私たちは質問を一つずつ見直していった。
まず、保護者には学校に通わせたいかどうかだけでなく、子どもが学ぶことをどう考えているのか、通わせるとしたら何が難しいのかを尋ねる。子どもたちには、今どんなことを知りたいのか、読み書きや計算を覚えたら何をしてみたいのかを聞くことにした。
「でも、子どもたちに『何を勉強したいですか』って聞いても、答えられない子がいるかもしれませんね」
「どうして?」
「学校に行ったことがなければ、どんなことを学べるのか知らないでしょうから」
「それなら、例を挙げてみたらどうかしら。手紙を書けるようになるとか、お買い物の計算ができるようになるとか」
「いいですね! それなら、勉強したあとのことを想像しやすいと思います」
私は紙に書き足した。
ロザリア様はその様子を眺めながら、少し考え込んでいた。
「……先生、もう一ついいかしら」
「もちろんです」
「村の人たちは、わたくしたちに本当のことを話してくれるの?」
私はペンを止めた。
「……どういうことでしょう?」
「わたくしは公爵家の娘でしょう? もし村の人たちに学校のことを聞いたら、嫌だと思っていても、賛成だと言うかもしれないわ」
その言葉に、私はすぐには答えられなかった。
公爵家は領地を治める立場にある。領民にとって、その娘から意見を求められることが、必ずしも気軽なものとは限らない。
「……確かに、そうかもしれません」
「でしょう? わたくしが『学校を開きたいと思っています』と言ってから質問したら、みんな『素晴らしいお考えです』って答えるかもしれないわ」
ロザリア様は少し不満そうに眉を寄せた。
「それでは、聞く意味がないじゃない」
「そうですね。せっかくお話を聞くなら、困っていることも、反対の意見も教えていただきたいです」
「でも、どうすればいいのかしら」
私はしばらく考えてから、別の紙を取り出した。
「例えば、最初から学校の話をするのではなく、今の暮らしについて聞いてみるのはどうでしょう?」
「暮らし?」
「はい。子どもたちが普段どんなお仕事を手伝っているのか、どんなことに困っているのか、そういうお話から始めるんです」
「……それなら、学校に賛成か反対かを聞くより、答えやすいかもしれないわね」
「それに、私たちが直接聞くだけではなく、村のことをよく知っている方にも協力していただけるといいと思います」
「村長かしら?」
「そうですね。ただ、村長さんのお話だけで決めず、いろいろな立場の方から聞く必要があると思います」
ロザリア様は頷いたものの、まだ何か考えているようだった。
「でも、先生。わたくしは村の人たちと直接お話ししたいわ」
「ロザリア様が、ですか?」
「ええ。わたくしが学校を開きたいと言い出したのよ。だったら、村の人たちが何を考えているのか、自分の耳で聞きたいもの」
その言葉には、以前のような、何でも自分の思い通りにしたいという響きはなかった。
自分が始めようとしていることだからこそ、きちんと向き合いたいのだろう。
「……わかりました。では、どうすれば皆さんが安心してお話しできるか、一緒に考えましょう」
「ええ!」
ロザリア様は嬉しそうに微笑んだ。
◇
昼前になると、机の上には書き直した紙が何枚も並んでいた。
最初は質問を五つほど考えるだけのつもりだったのに、話し合っているうちに、聞きたいことも注意しなければならないことも増えてしまった。
「……先生、これでは質問が多すぎないかしら」
「そうですね。全部聞いていたら、答える方も大変です」
「わたくしだったら、途中で嫌になるわ」
「それは困りますね」
私は笑いながら、質問の中から特に大切なものを選び始めた。
村の人たちの暮らし、子どもたちの学ぶ機会、そして学校がなくなってから困っていること。まずはその三つを中心に、自由に話してもらえるようにしようと決めた。
「……これなら、少しは聞きやすくなったかしら」
「はい。最初の質問より、ずっとよくなったと思います!」
「当然ですわ。わたくしが手伝ったんですもの」
「ふふ、そうですね」
ロザリア様は得意そうに微笑んだけれど、すぐに机の上の紙へ視線を戻した。
「でも、これを持って村へ行けばいいというわけではないのでしょう?」
「はい。まずは公爵様にご相談しなければなりませんね」
「お父様に……」
ロザリア様の表情が、少しだけ引き締まった。
「村の人たちに話を聞きたいとお願いすれば、許してくださるかしら」
「どうでしょう。でも、学校を開くと決めてほしいとお願いするわけではありませんから、まずは調べたいという気持ちをお伝えしてみてはいかがでしょう?」
「……そうね」
ロザリア様はしばらく考えてから、机の上の紙を丁寧に重ねた。
「先生、わたくし、お父様にお話ししてみるわ」
「はい! 私もご一緒します」
「もちろんよ。だって、この質問を最初に考えたのは先生でしょう?」
「……そして、問題点を見つけたのはロザリア様ですね」
「ふふ、そういうこと」
私たちは顔を見合わせて笑った。
村の学校をどうするか、その答えはまだ見つかっていないけれど、少なくとも、私たちだけで答えを決めてはいけないということはわかった。
何かを教える立場だからといって、いつも私が正しいわけではない。ロザリア様の言葉に気づかされることもあれば、二人で考えるからこそ見えてくることもある。
「……先生」
「はい?」
「お父様にお話しするとき、わたくしが説明してもいいかしら」
「もちろんです!」
私は迷わず頷いた。
「ロザリア様が考えたことですから、ご自分の言葉でお伝えするのが一番だと思います」
「……そう」
ロザリア様は少し緊張したように息を吐いたあと、まっすぐ私を見た。
「では、先生。お父様にお会いする前に、一度練習に付き合ってちょうだい」
「喜んで!」
私は椅子に座り直し、背筋を伸ばした。
「それでは、私が公爵様の役を務めますね」
「……先生がお父様の役?」
「はい! 厳しい質問もしますよ!」
「ふふっ。先生がお父様の真似をするなんて、少し楽しみだわ」
ロザリア様が笑いながら資料を手に取る。
私はできるだけ真面目な顔を作り、低い声で言ってみた。
「……それで、ロザリア。何の用だ?」
「……っ!」
ロザリア様は一瞬きょとんとしたあと、口元を押さえた。
「せ、先生……全然似ていませんわ!」
「ええっ、そうですか?」
「お父様は、そんなお声ではありませんもの!」
とうとう我慢できなくなったのか、ロザリア様は声を上げて笑い始めた。
私は少し恥ずかしくなりながらも、彼女が楽しそうに笑っているのを見て、つられて笑ってしまった。
練習はなかなか始められそうになかったけれど、こんな時間も悪くないと思った。




