↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢の家庭教師になりました! ~私が我儘なお嬢様を育てていたら、冷遇王子にも懐かれた件~  作者: ドネルケバブ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
32/50

第32話 侯爵令嬢は噂を調べる

 ハーグレイヴ侯爵家の朝は、いつも静かだった。

 食堂には焼きたてのパンの香りが漂い、窓の向こうでは庭師たちが花壇の手入れを始めている。

 けれど、その日のミレーヌは、目の前の朝食よりも昨夜書き留めた一枚の紙が気になっていた。

「ミレーヌ、今日は随分と考え込んでいるな」

 父に声をかけられ、ミレーヌは慌てて顔を上げた。

「申し訳ありません、お父様」

「謝ることではない。例の件か?」

「……はい」

 侯爵は小さく頷いた。

「整理してみて、何かわかったか?」

「まだ、はっきりしたことはわかりません。ただ……」

 ミレーヌは少しだけ迷ったあと、口を開いた。

「わたくしが聞いた言葉と、噂になっている言葉には、違いがあるように思うのです」

「ほう」

「ロザリア様は、学校が閉じられていることをお話しになりました。でも、公爵家の対応を責めるようなことは、一度もおっしゃっていません」

「それは、お前が直接聞いたことだな?」

「はい」

「では、噂については?」

「……交流会の翌日、知り合いの令嬢から聞きました。ロザリア様が、公爵家は領地の子どもたちを顧みていないとおっしゃった、という話でした」

 侯爵は少しだけ眉を寄せた。

「なるほど。ずいぶんと意味が変わっているな」

「はい。ですが、その方も直接聞いたわけではないそうです」

「……そうか」

 侯爵はしばらく考えたあと、静かに言った。

「ミレーヌ。お前がすべきことは、誰かを疑うことではない。まずは、どこまでが確かな話なのかを見極めることだ」

「……はい」

「そして、わからないことは、わからないままにしておきなさい」

 その言葉に、ミレーヌは少しだけ微笑んだ。

 先日、ロザリアも似たようなことを言っていた。

 以前の彼女なら、きっと自分の考えを曲げずに言い切っていただろう。

 けれど、今は違う。

(……本当に、変わられましたわね)

 ミレーヌは小さく息を吐き、朝食を再開した。


◇


 その日の午後、ミレーヌは母に付き添って、親戚の屋敷で開かれる小さなお茶会に参加していた。

 集まっているのは、いずれも顔見知りの貴族令嬢たちだった。

 季節の花や新しいドレスの話で盛り上がる中、ミレーヌは一人の少女に声をかけた。

「セシル様、少しよろしいかしら?」

「まあ、ミレーヌ様。どうなさいました?」

 セシル・オルディス子爵令嬢は、ミレーヌより一つ年下の少女だった。

 王宮交流会には参加していなかったけれど、その翌日、例の噂をミレーヌに伝えてきた人物でもある。

「先日のお話について、少し伺いたいことがありますの」

「先日……?」

「ヴァレンシュタイン公爵令嬢のお話ですわ」

 セシルは「ああ」と小さく頷いた。

「学校の件ですわね」

「ええ。あのお話、どなたから伺ったのか覚えていらっしゃる?」

 セシルは少し考えた。

「確か、母から聞きましたの。母が知り合いの方とお話ししていたときに、そんな話題になったそうで」

「……お母様から?」

「ええ。王宮の交流会で、公爵令嬢が領地のことをずいぶん厳しくお話しになったとか」

 ミレーヌは眉を寄せた。

「……厳しく?」

「はい。公爵家のやり方に問題があるのではないか、と」

 それは、ミレーヌが実際に聞いたロザリアの言葉とは違っていた。

「……そうでしたのね」

 ミレーヌは静かに頷いた。

「でも、どうしてそんなことを?」

 セシルが不思議そうに尋ねる。

 ミレーヌは少しだけ考えたあと、答えた。

「わたくしも交流会に参加しておりましたので、少し気になりましたの」

「まあ、そうでしたわね!」

 セシルは目を丸くした。

「では、ロザリア様は本当にそのようなことをおっしゃったの?」

 ミレーヌは一瞬、言葉に詰まった。

 ここで否定すれば、セシルはきっと驚くだろう。

 そして、その話がまた別の場所へ広がるかもしれない。

 けれど、黙っていれば、間違った話がそのまま残ってしまう。

「……少なくとも、わたくしがお話を伺ったときには、そのようなことはおっしゃっていませんでしたわ」

 ミレーヌは慎重に答えた。

「ロザリア様は、学校が閉じられていることを心配なさっていました。でも、公爵家を批判するようなお言葉はありませんでした」

「……まあ」

 セシルは驚いたように目を瞬かせた。

「では、どこかでお話が変わってしまったのかしら」

「……その可能性はありますわね」

 ミレーヌは小さく頷いた。

 これ以上、誰かの名前を出すつもりはなかった。

 けれど、少なくとも自分が直接聞いたことだけは、正確に伝えたかったのだ。


◇


 一方、ヴァレンシュタイン公爵邸では、ロザリア様がいつになく難しい顔で机に向かっていた。

「……先生」

「はい?」

「この文章、どう思うかしら」

 差し出された紙には、丁寧な文字で短い文章が書かれていた。

『わたくしは、父の領地運営を批判する意図で発言したものではございません』

「……ロザリア様、これは?」

「もし誰かに聞かれたときのために、考えてみたの」

 私は少し驚いた。

「なるほど。自分の言葉で説明しようとしているんですね」

「ええ。でも……」

 ロザリア様は少しだけ眉を寄せた。

「これでは、まるでわたくしが何か悪いことをしたみたいではなくて?」

 私は文章を読み返した。

 確かに、誤解を解こうとしているのに、少し言い訳のようにも聞こえるかもしれない。

「……そうですね。最初から否定するよりも、実際に何を話したのかを説明した方がいいかもしれません」

「……何を話したか?」

「はい。例えば、学校が閉じられていることを知って、再開する方法を考えていると話した、とか」

 ロザリア様は少し考えた。

「……それなら、事実だけを伝えられるわね」

「はい。もちろん、どんな場面で説明するかによっても変わると思いますけど」

「……なるほど」

 ロザリア様は新しい紙を取り出した。

 そして、ゆっくりと文章を書き始めた。

『領地を訪れた際、村の学校が閉じられていることを知りました。わたくしは、その学校を再開する方法について考えております』

 書き終えると、ロザリア様は私を見た。

「……これなら、どうかしら?」

「いいと思います! ロザリア様が実際に考えていることが、きちんと伝わりますね」

「……そう」

 ロザリア様は少しだけ微笑んだ。

 けれど、すぐに真剣な表情へ戻った。

「でも、先生」

「はい?」

「もし、わたくしの言葉をまた別の意味に取られたら、どうすればいいのかしら」

 私は少し考えた。

 正直に言えば、私にも答えはわからなかった。

 どれほど気をつけて話しても、誤解されることはある。

 まして、貴族社会の複雑な人間関係については、私よりロザリア様の方が詳しい部分もあるだろう。

「……全部を防ぐのは、難しいかもしれませんね」

「……そうよね」

「でも、だからといって、何も話さなくなるのは違うと思います。大切なことは、必要な相手に、できるだけ正確に伝えることじゃないでしょうか」

 ロザリア様はしばらく黙っていた。

 そして、小さく頷いた。

「……わかったわ」

 私はその表情を見ながら、少しだけ安心した。

 けれど、今回の噂がどこから生まれたのか、まだわかっていない。

 そして、それがただの誤解なのか、誰かの意図によるものなのかも。


◇


 数日後、ハーグレイヴ侯爵家に一通の手紙が届いた。

 差出人は、オルディス子爵夫人だった。

 ミレーヌの母に宛てた、次のお茶会についての返事である。

 けれど、その末尾には、少し気になる一文が添えられていた。

『先日の王宮交流会のお話につきましては、リーヴェルト伯爵夫人より伺いました。どうやら、さまざまなお考えがあるようでございますね』

 ミレーヌは母からその一文を見せてもらい、思わず息を呑んだ。

「……リーヴェルト伯爵夫人?」

 それは、エレノアの母親だった。

 ミレーヌはしばらく手紙を見つめていた。

 エレノアは、交流会でロザリアと直接話していた。

 そして、その母親が、交流会の翌日には学校の話を別の貴族へ伝えていたという。

 もちろん、それだけでエレノアが噂を流したとは言えない。

 母親がどこから話を聞いたのかも、まだわからない。

 けれど、少なくとも一つ、噂が広まった道筋が見えてきた。

(……どうしましょう)

 ミレーヌは小さく息を吐いた。

 リーヴェルト伯爵家は、王宮とも付き合いのある家だ。

 不用意に名前を出せば、思わぬ問題になるかもしれない。

 けれど、ロザリアは今も、身に覚えのない噂に悩んでいる。

 ミレーヌはしばらく考えたあと、手紙を丁寧に畳んだ。

「……お父様に、ご相談しなくては」

 彼女は静かに立ち上がった。

 自分一人で何かを決めるには、まだ知らないことが多すぎる。

 けれど、何もしないままでいるつもりもなかった。


◇


 その夜、リーヴェルト伯爵家の食堂では、エレノアが母親と向かい合っていた。

「エレノア」

「はい、お母様」

「先日の交流会では、ヴァレンシュタイン公爵令嬢とお話ししたそうね」

「……はい」

「どのようなお話を?」

 エレノアは少しだけ視線を落とした。

「……領地の学校について、お話しされていましたわ」

「そう」

 伯爵夫人は静かに頷いた。

「公爵家のご令嬢が、領地の問題を口にされるなんて、少し珍しいことね」

「……そうですわね」

 エレノアは小さく答えた。

 母親はしばらく娘を見つめていたが、やがて穏やかに微笑んだ。

「あなたも、もっと殿下とお話しできる機会を作らなくてはね」

「……はい」

「ヴァレンシュタイン公爵家ばかりが、特別扱いされるわけではないのですから」

 エレノアは何も答えなかった。

 ただ、膝の上でそっと手を握りしめた。

 交流会で、レオンハルト殿下がロザリアに微笑みかけていた姿を思い出す。

 自分も、あの場にいた。

 けれど、殿下はロザリアの橋の模型について、楽しそうに話していた。

(……わたくしだって)

 エレノアは唇を噛んだ。

 けれど、その思いを言葉にすることはなかった。

 母親の前では、いつも通りの笑顔を浮かべているしかなかったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。