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悪役令嬢の家庭教師になりました! ~私が我儘なお嬢様を育てていたら、冷遇王子にも懐かれた件~  作者: ドネルケバブ


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第29話 王宮では親切にも気をつけて!

 廊下から近づいてきた足音は、私たちのいる控えの間の前で止まった。

「こちらにいらしたのですね」

 開いた扉の向こうに立っていたのは、年配の侍従だった。私を訪ねてきた若い侍女を見ると、わずかに眉を上げる。

「何かご用でしょうか」

「こちらのベルフォード様に、少々お話がございまして」

「お嬢様方の交流会は、現在も滞りなく進行しております。付き添いの方へのご連絡は、担当の者を通す決まりです」

 穏やかな口調だったけれど、侍女の顔から笑みが消えた。

「……失礼いたしました」

 彼女は私に小さく一礼すると、足早に部屋を出ていった。

 私は何が起きたのかわからず、二人を交互に見つめていた。

「あ、あの……?」

「お騒がせいたしました、ベルフォード様」

 年配の侍従は丁寧に頭を下げた。

「交流会について、何かご心配なことがございましたか?」

「いえ、その……先ほどの方が、ロザリア様について気になることがあるとおっしゃっていて」

「左様でございましたか」

 侍従は一瞬考え込んだあと、静かに答えた。

「現時点で、ヴァレンシュタイン公爵令嬢に関する問題は報告されておりません。何かございましたら、担当の者から正式にお伝えいたします」

「……そうなんですね」

 私はほっとしたものの、すっきりしない気持ちも残っていた。

「ちなみに、先ほどの方は……」

「申し訳ございません。ほかの使用人の用向きについて、私から申し上げることはできません」

「あっ、そうですよね。すみません!」

 私が慌てて頭を下げると、侍従は少しだけ表情を和らげた。

「ベルフォード様は本日、ヴァレンシュタイン公爵令嬢の付き添いとしてお越しです。どうぞ、こちらでお待ちください」

「はい。ありがとうございます」

 侍従が退室すると、私は椅子に座り直した。

(……何だったんだろう)

 あの侍女は、ロザリア様のことを心配して教えに来てくれたのかもしれない。

 でも、正式な連絡ではないということは、私に話すこと自体が認められていなかった可能性もある。

 もしあのまま話を聞いていたら、私はどうしていただろう。

 きっと、内容によってはロザリア様のところへ行こうとしたに違いない。

(……それって、あんまりよくないよね)

 招待客でもない私が交流会に割り込めば、ロザリア様の立場を悪くしてしまうかもしれない。

 心配だからといって、何でも自分で確かめに行けばいいわけではないのだ。

 私は机の上の手帳を閉じ、少しだけ背筋を伸ばした。

「……よし。今は待とう」

 誰もいない部屋でそう呟くと、私はもう一度椅子に深く腰掛けた。


◇


 その頃、交流会の小広間では、招待客たちがいくつかの輪に分かれて談笑していた。

 レオンハルトが別の客に呼ばれたため、ロザリアは飲み物を手に窓際へ移動していた。

「ロザリア様」

 声をかけてきたのは、ミレーヌだった。

「あら、ミレーヌ様」

「少しお話ししてもよろしいかしら?」

「もちろんですわ」

 ミレーヌは隣に並び、庭園へ視線を向けた。

「先ほどの、村の学校のお話ですけれど」

「……ええ」

「わたくし、少し興味がありますの」

 ロザリアは意外そうに目を瞬かせた。

「学校に、ですか?」

「ええ。父の領地にも小さな学校がございますから。もっとも、わたくし自身は詳しくありませんけれど」

「そうでしたのね」

「ロザリア様は、学校を再開する方法を考えていらっしゃるのでしょう?」

「……考えてはいますわ。でも、まだ何も決まっていないの」

 以前なら、ここで立派な計画を披露しようとしていたかもしれない。

 けれど、ロザリアは村で聞いた話を思い出し、正直に答えた。

「先生を雇う費用だけではなく、子どもたちが通える時期や、教える内容も考えなくてはいけませんの」

「なるほど……」

 ミレーヌは小さく頷いた。

「では、ロザリア様は、まだ答えをお持ちではないのですね」

 その言葉に、ロザリアは一瞬だけ眉を寄せた。

 答えがないと言われると、どうしても落ち着かない。

 けれど、ミレーヌの声には、先ほどのエレノアのような含みは感じられなかった。

「……ええ。今は、わからないことの方が多いですわ」

「そうですか」

 ミレーヌは少しだけ微笑んだ。

「以前のロザリア様なら、きっとその場で答えをおっしゃっていたでしょうね」

「……どういう意味かしら?」

 ロザリアの声が、わずかに硬くなった。

 ミレーヌは慌てて首を振った。

「悪い意味ではありませんの。ただ、少し驚いたのですわ」

「……そう」

「春のお茶会で、刺繍の話をしたことを覚えていらっしゃいます?」

「ええ」

「あのとき、わたくしが花びらの形をうまく縫えないとお話ししたら、ロザリア様は『練習が足りないのではなくて?』とおっしゃったでしょう」

 ロザリアは思わず口を閉じた。

 確かに、そんなことを言った気がする。

「……ごめんなさい」

「まあ、謝らないでくださいませ。実際、練習が足りなかったのも事実ですもの」

 ミレーヌはくすりと笑った。

「ただ、あのときは少しだけ、話しにくい方だと思いましたの」

「……そうでしたのね」

 ロザリアはカップを持つ手に力を込めた。

 けれど、ミレーヌは続けた。

「でも、今日のロザリア様は違いますわね」

「……違う?」

「ええ。わからないことを、わからないとおっしゃるでしょう?」

 ロザリアは少しだけ視線を落とした。

「……先生に、教わりましたの」

「家庭教師の先生ですか?」

「ええ。わたくしが何かを間違えても、すぐに叱ったりしないの。どうしてそう考えたのか、聞いてくださるわ」

「……素敵な先生ですのね」

「……まあ、少し頼りないところもありますけれど」

 ロザリアは小さく笑った。

「とても方向音痴ですし、時々、わたくしの方が心配になるくらいですわ」

「まあ!」

 ミレーヌも思わず笑った。

 その笑い声は、先ほどまでの礼儀正しいものより、ずっと自然だった。

「ロザリア様が、そんなふうに誰かのお話をなさるなんて」

「……何かおかしいかしら?」

「いいえ。少し、嬉しくなっただけですわ」

 ミレーヌはそう答えたあと、ふと表情を引き締めた。

「……ただ、ひとつだけ」

「何かしら?」

「先ほどのエレノア様のお言葉、あまりお気になさらない方がよろしいと思いますわ」

 ロザリアは目を瞬かせた。

「……殿下が退屈なさるかもしれない、というお話?」

「ええ」

 ミレーヌは周囲に目を配り、少しだけ声を落とした。

「エレノア様は、まだロザリア様のことをよくご存じありません。それに、殿下が何をお好みになるかは、殿下ご自身にしかわからないことでしょう?」

 ロザリアはしばらく黙っていた。

 レオンハルト殿下は、自分から橋の模型について尋ねてくださった。

 それなら、話してもよかったのだろう。

「……そうですわね」

 ロザリアが小さく頷くと、ミレーヌは安心したように微笑んだ。

「それに、わたくしも少し興味がありますの。今度、その模型を見せていただけません?」

「……ミレーヌ様も?」

「ええ。刺繍ばかりでは、つまらないでしょう?」

 ロザリアは思わず笑った。

「もちろんですわ。よろしければ、今度お茶会にいらしてくださいな」

「まあ、嬉しいですわ」

 二人は顔を見合わせ、小さく微笑んだ。

 けれど、ミレーヌの胸には、まだ少しだけ迷いがあった。

 ヴァレンシュタイン公爵家との付き合いは、侯爵家にとっても大切なものだ。

 幼い頃から、父には公爵令嬢と良い関係を築くようにと言われてきた。

 だからこそ、今までもロザリアとは適度な距離を保ちながら交流してきたのだ。

 けれど、今日のロザリアと話していると、そうした事情とは別に、もう少し彼女のことを知りたいと思えてくる。

(……不思議ですわね)

 ミレーヌは、隣で楽しそうに話すロザリアを見つめた。

 以前の彼女も、決して嫌いではなかった。

 ただ、少し近づきにくかっただけだ。

 それが今は、以前よりもずっと話しやすく感じられる。

 だからといって、すぐに親しい友人になれるかどうかはわからない。

 けれど、次のお茶会が少し楽しみになっている自分に、ミレーヌは気づいていた。


◇


 交流会が終わりに近づいた頃、レオンハルトはロザリアのもとへやってきた。

「ロザリア嬢、今日は楽しめた?」

「はい。とても勉強になりましたわ」

「それはよかった」

 レオンハルトは微笑んだ。

「そういえば、さっきの学校の話だけど」

「……学校、ですか?」

「君の領地で、学校が閉じられているんだろう?」

 ロザリアは少し驚いた。

「お聞きになっていたのですか?」

「少しだけね。詳しいことは知らないけれど、気になったんだ」

 レオンハルトは真剣な表情になった。

「君は、その学校をもう一度開きたいと思っているの?」

「……はい。でも、まだどうすればいいのかわかりませんの」

「そうなんだ」

 レオンハルトは少し考えたあと、静かに答えた。

「もし何かわかったら、また教えてほしいな」

「……よろしいのですか?」

「もちろん。僕も、そういうことを知っておきたいから」

 ロザリアは嬉しそうに微笑んだ。

「はい。ありがとうございます、殿下」

 レオンハルトも笑顔で頷いた。

 けれど、少し離れた場所では、エレノアがその様子をじっと見つめていた。

 彼女の隣にいた少女が、小さな声で尋ねる。

「……エレノア様、どうかなさいました?」

「いいえ」

 エレノアはすぐに微笑んだ。

「ただ、ヴァレンシュタイン公爵令嬢は、随分と殿下にお気に入りのようですわね」

 その声には、先ほどまでの柔らかさとは違う響きがあった。

 少女は何も答えず、そっと視線を逸らした。


◇


 交流会が終わり、私は控えの間でロザリア様を待っていた。

 しばらくすると、扉が開き、ロザリア様が姿を現した。

「先生」

「ロザリア様! お疲れさまでした!」

 私はすぐに立ち上がった。

「どうでした? 楽しめましたか?」

「……ええ。いろいろあったけれど、悪くなかったわ」

 ロザリア様は少しだけ疲れた表情をしていたけれど、その声は明るかった。

「ミレーヌ様とも、久しぶりにゆっくりお話しできたの」

「ミレーヌ様?」

「ハーグレイヴ侯爵家のご令嬢よ。以前からお茶会などで顔を合わせている方なのだけれど……」

 ロザリア様は少し考えたあと、微笑んだ。

「今日、初めてちゃんとお話しできた気がするわ」

「それはよかったですね!」

「ええ。今度、公爵邸のお茶会にお招きしようと思っているの」

 私は思わず嬉しくなった。

 ロザリア様が、自分から誰かをお茶会に誘おうとしている。

 それだけでも、以前とは少し違う気がした。

「きっと楽しいお茶会になりますよ!」

「……そうだといいわね」

 ロザリア様は少しだけ照れたように笑った。

 けれど、すぐに私の顔をじっと見つめた。

「……ところで先生」

「はい?」

「今日は、ちゃんと控えの間で待っていたの?」

「もちろんです! 一歩も外へ出ていませんよ!」

「……本当に?」

「本当ですってば!」

 私が胸を張ると、ロザリア様は少しだけ驚いたように目を見開いた。

「……そう。なら、よかったわ」

「ふふっ、私だってやればできるんです!」

「……普通は、それが当然なのだけれど」

「うっ……!」

 私は思わず言葉に詰まった。

 ロザリア様は楽しそうに笑ったあと、ふと首を傾げた。

「……先生、何かあったの?」

「えっ?」

「少し、考え事をしているように見えるわ」

 私は一瞬迷った。

 先ほど、控えの間を訪れた侍女のことを話すべきだろうか。

 けれど、結局何も聞けなかったし、正式な連絡でもなかった。

「……実は、少し気になることがあったんです」

「気になること?」

「はい。でも、まだよくわからなくて……」

 ロザリア様は不思議そうに私を見つめた。

「……先生?」

 私は小さく笑い、首を振った。

「帰りの馬車で、少しお話ししてもいいですか?」

「……ええ。もちろんよ」

 ロザリア様は静かに頷いた。

 私はその横顔を見ながら、今日の出来事を思い返していた。

 王宮の交流会は、無事に終わった。

 ロザリア様も、新しい交流を楽しめたようだ。

 けれど、あの侍女が何を伝えようとしていたのか、私はまだ知らない。

 そして、それがただの親切だったのか、それとも別の意図があったのかも。

(……王宮って、やっぱり難しい場所なんだな)

 私は小さく息を吐き、ロザリア様とともに控えの間を後にした。

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