第28話 公爵令嬢は笑顔の裏を知らない
王宮へ向かう馬車の中で、ロザリア様は朝から三度目となる招待状の確認をしていた。
「ロザリア様、もう十分確認しましたよ?」
「わかっているわ。でも、念のためよ」
「招待状はちゃんとありますし、時間にも余裕があります。大丈夫です!」
「……先生に時間の余裕を説かれる日が来るとは思わなかったわ」
「えっ、どういう意味ですか!?」
「そのままの意味よ」
ロザリア様は涼しい顔で答え、招待状を丁寧にしまった。
今日の彼女は淡い青色のドレスを着ている。銀色の髪には小さな真珠の髪飾りが添えられ、普段よりも少し大人びて見えた。
前回の交流会では、レオンハルト殿下に会うことを随分と緊張していたけれど、今日はそれとは少し違うらしい。
「……先生」
「はい?」
「今回の交流会には、どんな方がいらっしゃるのかしら」
「招待客の名簿は見せていただきましたけど、私も直接お会いしたことがない方が多いですね」
「そうよね」
ロザリア様は窓の外へ目を向けた。
「お父様は、相手の話をよく聞くようにとおっしゃっていたわ」
「はい。私もそれがいいと思います」
「でも、話を聞いているだけでは、つまらない人間だと思われないかしら?」
「そんなことはありませんよ。相手のお話に興味を持って質問できれば、会話は自然と続きますから」
「……なるほど」
ロザリア様は小さく頷いたあと、私を見た。
「それより先生、今日は本当に控えの間から動かないでちょうだいね」
「もちろんです!」
「必要なことがあれば、王宮の侍従に頼むのよ。自分で探しに行ってはいけなくてよ」
「わ、わかっていますってば!」
十一歳の教え子にそこまで心配される十五歳の家庭教師とは、一体どうなのだろう。
少しだけ複雑な気持ちになりながら、私は王宮の門を見上げた。
◇
王宮に到着すると、私たちは案内役の侍従に迎えられた。
磨き上げられた床に、高い天井から差し込む朝の光。前回訪れたときと変わらない光景のはずなのに、今日はどこか空気が張り詰めているように感じる。
「ヴァレンシュタイン公爵令嬢、こちらへどうぞ」
侍従がロザリア様に一礼したあと、私へ向き直った。
「ベルフォード様は、こちらの控えの間へご案内いたします」
「あ、はい! よろしくお願いします!」
私はロザリア様と別れる前に、そっと声をかけた。
「ロザリア様、楽しんできてくださいね」
「……ええ」
ロザリア様は少しだけ緊張した表情を見せたけれど、すぐに背筋を伸ばした。
「先生も、おとなしく待っているのよ」
「はい!」
私が笑顔で答えると、彼女はようやく小さく微笑み、侍従について歩いていった。
その後ろ姿を見送りながら、私は胸の前で両手を握る。
(頑張って、ロザリア様!)
そして私も、別の侍従に案内されて控えの間へ向かった。
部屋には柔らかな長椅子と小さなテーブルが置かれ、窓際には花が飾られていた。
「何かご入用の際は、廊下におります者へお申し付けください」
「ありがとうございます!」
侍従が退室すると、私は椅子に腰を下ろした。
机の上には、持参した本と筆記用具がある。
せっかく時間があるのだから、領地視察で気になったことを少し整理しておこうと思っていたのだ。
(学校を再開するにも、先生が必要だし、費用の問題もある。やっぱり、簡単にはいかないよね)
私は手帳を開き、村で聞いた話を読み返し始めた。
けれど、その頃、交流会の会場では、私の知らない出来事が起こり始めていた。
◇
交流会の会場は、王宮の東側にある小広間だった。
大きな窓から庭園が見える明るい部屋には、十数人の貴族の子どもたちが集まっている。
ロザリアが入室すると、何人かがすぐに視線を向けた。
「ヴァレンシュタイン公爵令嬢、ごきげんよう」
最初に声をかけてきたのは、淡い桃色のドレスを着た少女だった。
年齢はロザリアと同じくらいだろう。栗色の髪を丁寧に巻き、柔らかな笑みを浮かべている。
「ごきげんよう」
ロザリアも礼儀正しく挨拶を返した。
「わたくし、エレノア・リーヴェルトと申します。父はリーヴェルト伯爵です」
「ロザリア・ヴァレンシュタインですわ。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ。お会いできて光栄です」
エレノアはにこやかに微笑んだ。
「以前から、ヴァレンシュタイン公爵令嬢のお噂は伺っておりましたの」
「……わたくしの?」
「ええ。とても優秀で、何事にも妥協なさらない方だと」
ロザリアは少しだけ胸を張った。
「当然のことをしているだけですわ」
「まあ、素晴らしいですわね」
エレノアは感心したように両手を合わせた。
「わたくしなど、まだまだ未熟で。家庭教師の先生にも、いつも注意されてばかりですの」
「誰にでも苦手なことはあるでしょう?」
ロザリアが答えると、エレノアは少し驚いたように目を瞬かせた。
「まあ……意外なお言葉ですわ」
「そうかしら?」
「ええ。公爵令嬢は、できない人には厳しい方だと伺っておりましたから」
ロザリアは思わず口を閉じた。
エレノアは慌てたように微笑む。
「あら、ごめんなさい。変な意味ではありませんのよ」
「……そう」
ロザリアは小さく頷いた。
けれど、胸の奥にわずかな違和感が残った。
以前の自分なら、きっと「できない方が悪いのですわ」と言っていたかもしれない。
しかし、領地で出会った村人たちの顔を思い出すと、今はそんなふうに言い切れなかった。
そこへ、もう一人の少女が近づいてきた。
「ロザリア様、ごきげんよう。お久しぶりですわね」
聞き覚えのある声に、ロザリアは顔を上げた。
「あら、ミレーヌ様。ごきげんよう」
深緑色のドレスを着た少女は、ミレーヌ・ハーグレイヴ。ハーグレイヴ侯爵家の令嬢で、ロザリアより一つ年上だった。
二人は幼い頃から、互いの家が主催するお茶会などで何度か顔を合わせている。
特別親しいわけではないけれど、貴族の集まりで会えば挨拶を交わし、ときには一緒にお茶を飲む程度の付き合いはあった。
「最後にお会いしたのは、春のお茶会でしたかしら?」
「ええ。あのときは、ミレーヌ様が新しい刺繍を見せてくださいましたわね」
「まあ、覚えていてくださったの?」
「もちろんですわ。あの花の模様、とても綺麗でしたもの」
ミレーヌは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。実は、あれから少し練習したんですの」
その様子を見ていたエレノアが、興味深そうに口を開いた。
「お二人は、以前からお知り合いでしたのね」
「ええ。お茶会などで何度か」
ミレーヌが答えると、エレノアはにこやかに頷いた。
「それは羨ましいですわ。わたくしも、もっと早くロザリア様とお知り合いになりたかったですもの」
「まあ、エレノア様ったら」
ミレーヌは小さく笑った。
ロザリアも微笑みながら、少しだけ肩の力を抜いた。
知らない人ばかりだと思っていたけれど、顔見知りがいるのは心強い。
「そういえば、ロザリア様」
ミレーヌが少し声を落とした。
「最近、領地へ行かれたと伺いましたわ。いかがでした?」
「ええ。初めてのことばかりで、驚くことも多かったですわ」
「まあ、どのようなことが?」
ロザリアは少し考えた。
農村の収穫量の問題や、学校が閉鎖されたこと。村人たちの暮らしを見て、自分の知らないことがたくさんあると気づいた。
それをどう説明すればいいのだろう。
「……村の学校が、しばらく閉じられていることを知りましたわ」
「学校が?」
「ええ。村の収入が減って、先生を雇い続けることが難しくなったそうなの」
ミレーヌは真剣な表情になった。
「それは大変ですわね」
「ええ。ですから、どうすれば授業を再開できるのか、考えているところですの」
ロザリアがそう答えると、エレノアは不思議そうに首を傾げた。
「でも、公爵家の領地なのでしょう?」
「……ええ」
「でしたら、公爵様が費用をお出しになればよろしいのでは?」
ロザリアは一瞬、言葉に詰まった。
以前の自分なら、きっと同じことを考えていただろう。
「……それだけでは、解決しないこともありますの」
「あら、そうなのですか?」
「先生を探す必要もありますし、子どもたちがいつ学校に通えるかという問題もありますわ」
「まあ……」
エレノアは少しだけ目を丸くした。
「公爵令嬢ともあろう方が、そんな細かなことまで考えていらっしゃるのね」
その言い方に、ロザリアはわずかに眉を寄せた。
褒められているのか、からかわれているのか、判断がつかない。
けれど、ここで感情的になってはいけないことはわかっていた。
「……実際に村を訪れたら、気になることがたくさんありましたの」
「そうですのね」
エレノアは微笑んだ。
「でも、あまり難しいことばかり考えていらっしゃると、殿下も退屈なさるかもしれませんわ」
その言葉に、ロザリアの胸がちくりと痛んだ。
レオンハルト殿下は、前回の交流会で橋の模型に興味を持ってくださった。
自分の話を楽しそうに聞いてくれたことが、今でも嬉しかった。
だからこそ、退屈だと思われるかもしれないという言葉は、思っていた以上に気になった。
「……ご忠告、ありがとうございます」
ロザリアはそれだけ答え、静かに頭を下げた。
エレノアは満足そうに微笑んだ。
けれど、隣にいたミレーヌは、ほんの少しだけ眉を寄せていた。
◇
しばらくして、会場の扉が開いた。
「第二王子レオンハルト殿下のお成りです」
侍従の声に、子どもたちは一斉に姿勢を正した。
レオンハルトは穏やかな笑みを浮かべながら入室し、集まった一人ひとりに挨拶をしていった。
そして、ロザリアの前で足を止めた。
「ロザリア嬢、来てくれてありがとう」
「レオンハルト殿下。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
ロザリアは丁寧に一礼した。
「また会えて嬉しいよ」
「……わたくしも、光栄ですわ」
レオンハルトは少し笑った。
「前に見せてくれた橋の模型、あれからどうなった?」
「……えっ?」
「改良するつもりだと言っていただろう? 少し気になっていたんだ」
ロザリアの表情が、ぱっと明るくなった。
「はい! 支柱の配置を変えて、以前よりも安定するようにしましたの!」
「本当? それはすごいね」
「ただ、まだ改善したいところがあって……」
そこまで話して、ロザリアははっとした。
(……いけないわ)
先ほど、エレノアに言われた言葉が頭をよぎる。
難しい話ばかりしていたら、殿下が退屈するかもしれない。
ロザリアは慌てて言葉を飲み込んだ。
「……申し訳ありません。つまらないお話をしてしまいましたわ」
レオンハルトは不思議そうに首を傾げた。
「どうして?」
「えっ?」
「僕が聞いたんだよ。もっと話してくれて構わないのに」
ロザリアは目を瞬かせた。
「……よろしいのですか?」
「もちろん。前の模型も面白かったし、改良したなら見てみたいな」
その言葉に、ロザリアの頬が少し赤くなった。
「……ありがとうございます、殿下」
レオンハルトは微笑み、周囲の子どもたちにも話を振った。
「皆も、最近興味を持っていることはある? 今日はそういう話を聞いてみたいんだ」
子どもたちは少しずつ会話を始めた。
ロザリアも、今度は無理に話を止めず、相手の話を聞きながら自分の考えを伝えようとした。
けれど、その様子を少し離れた場所から見つめるエレノアの表情は、先ほどとは違っていた。
◇
交流会が始まってしばらく経った頃、私は控えの間で手帳を閉じた。
「……ふう」
領地視察の記録を読み返していたけれど、そろそろ集中力が切れてきた。
窓の外には、王宮の庭園が広がっている。
前回迷い込んだ場所とは違うようだけれど、手入れの行き届いた花壇が美しかった。
(……ちょっとだけ、外の空気を吸いたいな)
そう思って立ち上がりかけたところで、ロザリア様の言葉を思い出した。
『勝手に歩き回ったりしないでちょうだい』
「……うん、やめておこう」
私はおとなしく椅子に座り直した。
そのとき、扉が静かにノックされた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、王宮の侍女だった。
「ベルフォード様でいらっしゃいますね?」
「はい、そうですけど……」
「ヴァレンシュタイン公爵令嬢のご様子について、少々お伝えしたいことがございます」
「……ロザリア様に、何かあったんですか?」
私が思わず立ち上がると、侍女は落ち着いた声で答えた。
「ご心配なさるほどのことではございません。ただ、交流会の席で、少し気になるやり取りがございましたので」
私は眉を寄せた。
王宮の交流会で、気になるやり取り?
「……詳しく、お聞きしてもいいでしょうか?」
侍女は一瞬だけ廊下へ目を向け、それから静かに口を開いた。
「実は、あるご令嬢が、ヴァレンシュタイン公爵令嬢に対して……」
そこで侍女は言葉を切った。
廊下の向こうから、誰かの足音が近づいてきたのだ。
私は思わず息を呑んだ。
どうやら今回の交流会は、私が思っていたほど穏やかなものではないらしい。




