第17話 公爵令嬢は負けず嫌いです!
「エリシア先生!」
「ひゃいっ!?」
控室の扉を開けた途端、聞き慣れた声が飛んできた。
振り返ると、そこには水色のドレスを着たロザリア様が立っている。美しく結い上げられた銀髪は朝と変わらず整っていたけれど、その青い瞳には明らかに怒りが浮かんでいた。
「あなた、どこに行っていたの!?」
「ろ、ロザリア様!? どうしてこちらに?」
「わたくしが質問しているのよ!」
「す、すみません! ちょっとお手洗いに……」
「お手洗い?」
ロザリア様は眉をひそめ、私の顔をじっと見つめた。
「それにしては、随分時間がかかったようね」
「ええっと、それはですね……」
(まずい。これは非常にまずい。まさか戻ってきた瞬間に本人と鉢合わせするなんて!)
私が言葉を探していると、ロザリア様は何かを察したように目を細めた。
「まさか、あなた……」
「……はい」
「迷ったのね?」
「……はい」
「もうっ! あれほど一人で歩かないようにと言ったでしょう!」
ロザリア様の声が控室に響き、近くにいた侍女が驚いてこちらを振り返った。
「ご、ごめんなさい!」
「謝れば済む問題ではなくてよ! 王宮の中には立ち入りを許されていない場所だってあるのよ!?」
その言葉に、私は思わず背筋を伸ばした。
確かに、今回は親切な人に助けてもらえたけれど、もし知らないうちに立入禁止の場所へ入っていたら大変なことになっていたかもしれない。
「本当にすみません。次からは必ず案内の方を待ちます」
今度はふざけずに頭を下げると、ロザリア様は腕を組んだまま私を見つめ、やがて大きくため息をついた。
「まったく……あなたには、わたくしがついていないと駄目なのかしら」
「……面目ありません」
「帰ったら、王宮の見取り図を使って復習するわよ」
「ええっ!?」
「返事は?」
「は、はいっ!」
(家庭教師なのに、なぜか私の方が宿題を出されている!)
とはいえ、今回ばかりは反論する資格もない。
私はしょんぼりと肩を落とした。
◇
「ところで、ロザリア様。交流会はどうでしたか?」
気を取り直して尋ねると、ロザリア様は少しだけ表情を変えた。
「別に。特に問題はなかったわ」
「レオンハルト殿下とは、お話しできました?」
「当然でしょう。わたくしを誰だと思っているの?」
そう答える声はいつもどおり自信に満ちていたけれど、彼女の指先がドレスの裾を落ち着きなく撫でているのが見えた。
「……殿下は、橋の模型に興味を持ってくださったわ」
「本当ですか! よかったですね!」
「そんなに大きな声を出さないでちょうだい」
「す、すみません」
ロザリア様は周囲をちらりと確かめてから、少し声を落とした。
「それでね、殿下が『今度、実物を見てみたい』とおっしゃったの」
「ええっ、すごいじゃないですか!」
「だから、声が大きいのよ!」
慌てて口を押さえる私を見て、ロザリア様は呆れたように息を吐いた。
「でも……」
「はい?」
「わたくし、あの模型をもっと立派に作り直そうと思うの」
「作り直すんですか?」
「ええ。今のものでは、殿下にお見せするには少々物足りないでしょう?」
その言葉に、私は少し考えた。
ロザリア様が最初に作った橋は、何度も試行錯誤を重ねて完成させたものだ。もちろん、もっと工夫できるところはあるけれど、あれだって十分に立派な作品だと思う。
「新しい模型を作るのは賛成です。でも、今の模型も残しておきませんか?」
「……どうして?」
「最初にどんな工夫をしたのか、次にどこを改善したのかがわかると、きっと面白いですよ。失敗したところも含めて、ロザリア様が考えた過程ですから」
「……失敗したところまで?」
「はい。私は、そこが一番大切だと思っています」
ロザリア様は少しだけ考え込んだあと、ふんと鼻を鳴らした。
「まあ、比較するためなら残しておいてもいいわ」
「はい!」
「ただし、次はもっと頑丈なものを作るわよ。殿下が驚くくらいにね!」
その目には、すでに新しい課題を見つけたときの輝きが宿っていた。
(ふふっ、やっぱりロザリア様はこうでなくちゃ!)
◇
午後になると、交流会では小さな催しが開かれた。
王宮の庭師が用意した花々を使い、参加者がそれぞれ卓上の花飾りを作るというもので、完成した作品は最後にレオンハルト殿下にも披露されるらしい。
ロザリア様は控室に戻ってきた際、私にもその話をしてくれた。
「花飾りですか。楽しそうですね!」
「そうかしら? 決められた花を並べるだけでしょう」
「でも、同じ花でも組み合わせ方で印象が変わりますよね」
「……それは、そうだけれど」
ロザリア様は少し考えたあと、顎を上げた。
「まあ、やるからには一番美しいものを作ってみせるわ」
「応援しています!」
「当然よ!」
そう言って会場へ戻っていく後ろ姿を見送り、私は今度こそ大人しく控室で待つことにした。
(もう絶対に一人では出歩かない。絶対に!)
しばらくすると、会場の方から楽しそうな声が聞こえてきた。
侍女の話によれば、参加者たちは用意された花やリボンを自由に使い、それぞれの感性で作品を仕上げているらしい。
その中で、ロザリア様は最初から細部にこだわり、何度も花の位置を直していたという。
(うん、想像できるなぁ)
きっと、少しでも納得できないところがあると気になってしまうのだろう。
私は思わず笑みを浮かべた。
◇
交流会が終わりに近づいた頃、ロザリア様が控室に戻ってきた。
その表情は、朝よりも少しだけ険しい。
「ロザリア様、お疲れ様でした! 花飾りはどうでしたか?」
「……別に」
「えっ?」
「特に何もなかったわ」
そう言って椅子に腰を下ろすロザリア様だったけれど、どう見ても何かあった顔だ。
私は少し迷ってから、隣の椅子に座った。
「何か、気になることがあったんですか?」
「……」
ロザリア様はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。
「わたくしの花飾り、殿下に褒めていただけなかったの」
「……そうだったんですか」
「ほかの子の作品には『綺麗だね』とおっしゃっていたのに、わたくしには『丁寧に作ったんだね』としか……」
ロザリア様は唇を噛んだ。
「わたくしの方が、ずっと時間をかけて作ったのよ。花の高さも、色の配置も、全部考えて……それなのに」
その声には、悔しさが滲んでいた。
私は少し考えてから、静かに口を開いた。
「ロザリア様。殿下は、ロザリア様の作品をきちんと見てくださったんじゃないでしょうか」
「……どういうこと?」
「『丁寧に作った』って、適当に見ただけではわからないことだと思うんです。細かいところまで工夫したのが伝わったから、そうおっしゃったのかもしれません」
「……でも」
「もちろん、ロザリア様がもっと褒めてほしかった気持ちもわかります」
ロザリア様は驚いたように私を見た。
「……わかるの?」
「はい。一生懸命頑張ったら、その分、認めてもらいたいですよね」
私は微笑んだ。
「でも、誰かに一番だと言ってもらえなくても、頑張ったことがなくなるわけじゃありません。ロザリア様がどんなふうに工夫したのか、私はぜひ聞いてみたいです」
ロザリア様は少しだけ視線を落とし、やがて小さく息を吐いた。
「……花の色を、中心から外側に向かって少しずつ変えたの」
「へえ!」
「それから、高さも揃えすぎないようにしたわ。全部同じ高さでは、平坦に見えるでしょう?」
「なるほど! 奥行きが出るんですね」
「そうよ。それに、リボンの位置も……」
話し始めると、ロザリア様は次々に自分の工夫を説明してくれた。
その表情はまだ少し不満そうだったけれど、好きなことを語るときの生き生きとした目に戻っている。
(よかった。少しは気持ちが落ち着いたかな)
私は頷きながら、最後まで話を聞いた。
◇
帰りの馬車の中。
ロザリア様は窓の外を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「……今日は、思っていたより疲れたわ」
「お疲れ様でした。とても頑張っていましたね」
「当然よ。わたくしはヴァレンシュタイン公爵家の娘なのだから」
そう言いながらも、ロザリア様は少しだけ肩の力を抜いた。
「でも……」
「はい?」
「殿下とお話しするのは、思っていたほど難しくなかったわ」
「それはよかったです!」
「橋の話も、ちゃんと聞いてくださったし」
ロザリア様は小さく微笑んだ。
その表情を見て、私は胸の奥が温かくなるのを感じた。
(よかった。本当に、よかった)
すると、ロザリア様が突然こちらを向いた。
「ところで、エリシア先生」
「はい?」
「あなた、王宮で迷子になったこと、忘れていないでしょうね?」
「……えっ」
「帰ったら、見取り図の復習よ」
「えええっ!? まだ覚えていたんですか!?」
「当然でしょう! あれほど注意したのに、一人で出歩くなんて!」
「うう、すみません……」
ロザリア様は呆れたようにため息をついたあと、ふっと小さく笑った。
「まったく。あなたは本当に手がかかる先生ね」
「……面目ありません」
私はしょんぼりと肩を落とした。
(でも、ロザリア様が楽しそうだから、まあいいか)
窓の外では、夕日に染まった王宮が少しずつ遠ざかっていく。
こうして、私たちの初めての王宮交流会は無事に幕を閉じた。
そして私は、この日の庭園で出会った親切な少年のことを、帰りの馬車の中でふと思い出していた。
(アルベルト様、か。今頃は何をしているんだろう)
名前以外は何も知らないけれど、あの人のおかげで無事に戻ってこられたのだから、機会があればきちんとお礼をしたい。
そんなことを考えながら、私は馬車の揺れに身を任せた。




