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悪役令嬢の家庭教師になりました! ~私が我儘なお嬢様を育てていたら、冷遇王子にも懐かれた件~  作者: ドネルケバブ


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第16話 不思議な少年

「本当にありがとうございます!」

 私は前を歩く少年に改めて頭を下げた。

「気にしなくていいよ。ちょうど戻るところだったから」

 少年はそう言って石畳の小道を歩き始め、私も慌ててそのあとを追った。

(助かったぁ。まさか王宮に来てまで迷子になるなんて、ロザリア様に知られたら絶対に怒られるだろうな)

「それにしても、君はどうしてあんなところにいたの?」

「えっと、お手洗いに行こうと思ったんですけど……気づいたら知らない廊下に出ていて、戻ろうとしたらますますわからなくなってしまって」

「それで庭園に?」

「はい……」

 少年は一瞬黙ったあと、口元を押さえた。

「……ふっ」

「あっ、今笑いましたよね!?」

「ごめん。あまりにも予想外だったから」

「うう、私だって好きで迷ったわけじゃないんですよ!」

「それはそうだろうね」

 そう言いながらも少年はどこか楽しそうで、落ち着いた雰囲気の人なのに意外とよく笑うんだなと思った。

「ところで、君は今日の交流会に参加しているの?」

「いえ、私は付き添いです!」

「付き添い?」

「はい。ヴァレンシュタイン公爵家のお嬢様の家庭教師をしているんです」

 少年の足がほんの少しだけ緩んだ。

「家庭教師? 君が?」

「あの、そんなに意外ですか?」

「いや、失礼。随分若く見えるから」

「十五歳です!」

「……十五歳?」

「王立学院の初等課程を卒業したばかりなんですけど、今は家庭教師として働いているんです」

「なるほど。それは珍しいね」

「よく言われます!」

(まあ、普通はそうだよね。十五歳で家庭教師なんて、私自身もちょっと変わっていると思うし)

「どうして家庭教師になろうと思ったの?」

「大学に行くためです!」

「大学?」

「はい。もっと勉強したくて。でも、学費が足りないので、今はお金を貯めているんです」

 少年は意外そうな顔をした。

「勉強が好きなんだね」

「大好きです!」

 私は力強く頷いた。

「知らなかったことを知るのって、すごく楽しいじゃないですか! それに、自分が勉強するだけじゃなくて、誰かができなかったことをできるようになる瞬間を見るのも好きなんです」

「へえ」

「最初は難しいって言っていた子が、少しずつ理解して、最後には自分で答えを見つけられるようになるんです。あの瞬間って、本当に嬉しいんですよ!」

 そこまで話して、私ははっとした。

(しまった、つい熱く語っちゃった!)

「す、すみません。つい夢中になってしまって」

「いや、面白い話だと思ったよ」

「本当ですか?」

「うん。君は随分楽しそうに話すんだね」

「えへへ、好きなことなので」

 ちょっと恥ずかしかったけれど、好きなことを褒められるのはやっぱり嬉しい。


◇


 しばらく歩くと庭園の奥に小さな噴水が見えてきた。白い石造りの噴水の周りには季節の花が植えられ、水面には柔らかな日差しが反射している。

「わあ、綺麗ですね!」

「そうだね」

「王宮の庭園って、どこもこんなに綺麗なんですか?」

「場所によるかな。ここは比較的静かな場所だから」

「そうなんですね!」

 私は噴水の周りを見渡し、花壇の端に置かれた木の札に気づいた。

「あっ、この花!」

「知っているの?」

「はい! 学院の授業で習いました!」

 思わず花壇の前にしゃがみ込む。

「確か、この花は日当たりのいい場所を好むんですよね。でも、水をあげすぎると根が傷みやすくて」

「詳しいんだね」

「いえいえ、授業で習ったことを覚えているだけですよ!」

 そう答えてから、私は慌てて立ち上がった。

「あっ、すみません! 案内してもらっている途中なのに、勝手に立ち止まってしまって!」

「構わないよ。急いでいるわけでもないから」

 少年は小さく笑った。

(優しい人だなぁ。でも、あまり迷惑をかけるわけにもいかないよね)

 私は服についた土を軽く払い、彼の隣に戻った。

「それにしても、君は本当に色々なことに興味があるんだね」

「そうですか?」

「うん。さっきから、目に入るものを全部楽しそうに見ている」

「あはは、初めて見るものばかりなので」

「なるほど」

「でも、知らないことがたくさんあるって、楽しくないですか?」

「楽しい?」

「はい! だって、これから知ることができるんですよ? まだ知らないことがあるって、それだけ楽しみが残っているってことじゃないですか!」

 少年は少し目を見開き、何かを考えるように視線を落とした。

「そういう考え方もあるんだね」

「えっ?」

「いや、何でもないよ」

 穏やかに微笑む少年を見て、私は首を傾げた。

(なんだか不思議な人だな。でも、話していて楽しいかも)


◇


「そういえば、君が教えているお嬢様は、どんな子なの?」

 歩きながら、少年が尋ねてきた。

「ロザリア様ですか?」

「うん」

「そうですねぇ……」

 私は少し考え込んだ。

(どんな子、か。最初に出会ったときの印象なら、すぐに答えられるんだけど)

 我儘で、気が強くて、負けず嫌い。でも、それだけじゃない。

「すごく頑張り屋さんです」

「頑張り屋?」

「はい。難しい問題でも簡単には諦めないんです。できないことがあると悔しがるんですけど、その分、できるようになるまで一生懸命で」

「なるほど」

「ただ、ちょっと厳しいところもありますけどね」

「厳しい?」

「はい。自分にも、周りの人にも」

 私は苦笑した。

「だから時々ぶつかることもあります。でも、最近は少しずつ自分の考えを話してくれるようになったんです」

「君は、その子のことが好きなんだね」

「もちろんです! 大切な生徒ですから!」

 少年は私を見つめ、ほんの少し表情を和らげた。

「そのお嬢様は、幸せだね」

「えっ?」

「そんなふうに自分のことを見てくれる先生がいるんだから」

 思わず足を止めてしまった。

「ありがとうございます」

(なんだか照れくさいけど、そんなふうに言ってもらえると嬉しいな)

「ただ、君自身は無理をしていない?」

「無理、ですか?」

「家庭教師の仕事をしながら、大学のためにお金を貯めているんだろう? 大変じゃないのかなと思って」

「ああ、そういうことですか!」

 私は納得して頷いた。

「大変なこともありますよ。でも、楽しいです! 今はロザリア様が少しずつ成長していくのを見るのが、何より楽しみなんです」

 少年はしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。

「君は、本当に変わっているね」

「ええっ!? そんなに変ですか!?」

「褒めているんだよ」

「本当ですか?」

「本当だよ」

(うーん、なんだかからかわれている気もするんだけど)

 それでも、不思議と嫌な気分にはならなかった。


◇


「あっ、ここだよ」

 少年が足を止めた。

 目の前には見覚えのある廊下が広がっていて、壁に掛けられた大きな絵を見た瞬間、私は思わず声を上げた。

「あっ! ここ、さっき通りました!」

「それなら、もう大丈夫そうだね」

「はい! 本当にありがとうございました!」

 私は深々と頭を下げた。

(この人がいなかったら、今頃どこを歩いていたかわからないな)

 そこで、ふと大事なことに気づく。

「あの、お名前を伺ってもいいですか?」

 少年は少しだけ目を瞬かせた。

「名前?」

「はい! せっかく助けていただいたので、ちゃんとお礼を言いたくて」

「そうだね」

 少年は一瞬考えるように視線を逸らし、それから静かに口を開いた。

「アルベルト」

「アルベルト様、ですね! 私はエリシア・ベルフォードと申します!」

「エリシア」

 少年は私の名前を小さく繰り返した。

「覚えておくよ」

「ありがとうございます!」

(アルベルト様、か。落ち着いた雰囲気で少し不思議だけど、とても親切な人だったな)

「それでは、失礼いたします!」

「うん。気をつけて」

 私はもう一度頭を下げ、控室へ向かって歩き出した。

(今度こそ迷わないようにしないと!)

 ところが、数歩進んだところで背後から声がした。

「エリシア」

「はい?」

 振り返ると、アルベルト様がこちらを見ていた。

「いや、何でもない」

 彼は少しだけ微笑んだ。

「また会えるといいね」

「はい! 私もです!」

 私は元気よく答えた。

(こんなに親切な人なら、次に会えたときにはきちんとお礼をしたいな)

 そう考えながら、私は控室へと戻っていった。


◇


 エリシアの姿が廊下の向こうに消えたあと、アルベルトはしばらくその場に立っていた。

「エリシア・ベルフォード、か」

 十五歳で家庭教師をしている、少し変わった少女。身分を気にする様子もなく、楽しそうに勉強の話をしていた。

 そして、何より。

『まだ知らないことがあるって、それだけ楽しみが残っているってことじゃないですか!』

 あの言葉が妙に耳に残っていた。

「楽しみ、ね」

 アルベルトは小さく笑った。

 王宮で暮らしていると、そんなふうに考える機会はほとんどない。

 毎日同じような景色を見て、同じような人々と顔を合わせ、余計なことを言わず、目立たずに過ごす。それが自分にとって最も安全な生き方だった。

 アルベルトは静かに空を見上げた。

 青く澄んだ空には、白い雲がゆっくりと流れている。

(まだ知らないことがあるから、楽しみが残っている、か)

 自分には縁のない考え方だと思っていたけれど、あの少女は心からそう信じているようだった。

「不思議な子だな」

 アルベルトは小さく息を吐き、静かな庭園へと歩き出した。その足取りは、いつもよりほんの少しだけ軽かった。

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