第14話 家庭教師にも準備が必要です!
「……エリシア先生」
「はい、ロザリア様!」
「あなた、その歩き方は何なの?」
「……歩き方、ですか?」
「そうよ。どうしてそんなに腕を振っているの?」
ロザリア様に指摘され、私は思わず自分の腕を見下ろした。
……うん、確かに少し振っているかもしれない。
「元気があっていいかなって……」
「よくないわ!」
即答だった。
「王宮に行くのよ? もう少し落ち着いて歩きなさい!」
「は、はい!」
交流会まで、あと一週間。
今日もロザリア様の学習室では、礼儀作法の練習が行われていた。
……ただし。
なぜか今、指導されているのは私の方だった。
「そもそも、あなたは姿勢が悪いのよ」
「えっ、そうですか?」
「そうよ! 背筋を伸ばしなさい!」
「こ、こうでしょうか?」
「顎が上がりすぎ!」
「は、はい!」
……うう。
どうしてこうなったんだろう。
事の発端は、ほんの三十分前。
王宮での挨拶を一通り練習し終えたロザリア様が、突然こんなことを言い出したのだ。
『今度は、あなたがやってみなさい』
最初は冗談かと思った。
けれど、ロザリア様は大真面目だった。
『わたくしの家庭教師が、王宮でみっともない振る舞いをしたら困るもの!』
……なるほど。
確かに、それはそうかもしれない。
私だって一応、貴族の娘だ。
学院で礼儀作法は習っているし、基本的なことはできるつもりだった。
……つもりだったんだけど。
「エリシア先生! 今、足元を見たでしょう!」
「だ、だって転びそうで……」
「前を向いて歩きなさい!」
「はいっ!」
……ロザリア先生、なかなか厳しいです。
◇
「……まったく。あなた、本当に学院を優秀な成績で卒業したの?」
「しましたよ! ちゃんと!」
「勉強ができても、これでは困るわね」
「うっ……」
ロザリア様は呆れたようにため息をついた。
……悔しいけれど、反論できない。
確かに私は勉強には自信がある。
でも、貴族らしい優雅な振る舞いとなると、少し苦手だった。
「それに、王宮は広いのよ」
「……そうですよね」
「あなた、絶対に迷うでしょう?」
「……」
「どうして黙るのよ!」
「……否定できなくて」
「もう!」
ロザリア様は額に手を当てた。
「セバスチャンに言って、あなたには案内役をつけてもらうわ」
「えっ、いいんですか!?」
「仕方ないでしょう! あなたが迷子になって、わたくしが恥をかくのは嫌だもの!」
「ありがとうございます、ロザリア様!」
「お礼を言われるようなことではなくてよ!」
そう言いながらも、ロザリア様は机の上の紙を一枚取り出した。
「それから、これ」
「……何でしょう?」
「王宮での注意事項よ」
紙には、細かな文字でいくつもの項目が書かれていた。
『廊下では走らない』
『案内役から離れない』
『知らない扉を勝手に開けない』
『庭園に一人で入らない』
……。
「ロザリア様」
「何よ」
「これ、全部私のために?」
「ほかに誰がいるのよ!」
「……ありがとうございます」
「だから、お礼は結構よ!」
……なんだろう。
ちょっとだけ、遠足前の子どもみたいな扱いをされている気がする。
いや、実際に迷うから何も言えないんだけど。
「ちゃんと覚えておきなさいよ」
「はい!」
「特に、最後の項目!」
「庭園に一人で入らない、ですね」
「そうよ。あなた、花を見つけたらふらふら歩いていきそうだもの」
「そ、そんなこと……」
「ないと言い切れる?」
「……言い切れません」
「でしょうね!」
……うう、信用がない。
◇
午後の授業では、交流会での会話を練習することになった。
「では、ロザリア様。今日は少し難しい質問をしてみますね」
「望むところよ」
「もし、レオンハルト殿下から『最近、興味を持っていることは?』と聞かれたら、どう答えますか?」
「……そうね」
ロザリア様は少し考え込んだ。
「音楽や絵画について、お話しするわ」
「なるほど。では、本当に最近興味を持っていることは?」
「……橋の構造」
「ですよね!」
「……何よ、その顔」
「いえ、ロザリア様らしいなと思いまして」
「……」
ロザリア様はむっとした顔をした。
「でも、そんな話をして、殿下に退屈だと思われたらどうするの?」
「相手の方が興味を持ってくださるかもしれませんよ」
「……そんな保証はないわ」
「もちろんです。だから、相手の反応を見ながらお話しすればいいんです」
「……反応?」
「はい。興味がありそうなら少し詳しく、そうでなければ別の話題に変えるんです」
ロザリア様はしばらく考え込んだ。
「……なるほど」
「それに、無理に自分を飾らなくても、ロザリア様には素敵なところがたくさんありますよ」
「……っ」
ロザリア様は少しだけ頬を赤くした。
「……あなた、またそういうことを」
「えっ?」
「……何でもないわ!」
そう言って、ロザリア様は教科書を開いた。
「次の質問をしなさい!」
「はい!」
……うん。
少しずつだけど、練習にも余裕が出てきたかな。
◇
その日の夕方。
授業を終えた私は、公爵邸の玄関でセバスチャンさんと話していた。
「交流会当日の予定について、ご説明いたします」
「はい、お願いします!」
「当日は朝からお嬢様の身支度がございます。エリシア先生には、その補佐をお願いする予定です」
「わかりました!」
「また、王宮では控室にて待機していただきます。お嬢様が必要とされた場合に、お呼びいたしますので」
「はい!」
「……それから」
セバスチャンさんは少しだけ声を落とした。
「王宮内では、くれぐれもお一人で行動なさらないように」
「……」
「特に、庭園には複数の通路がございます。初めての方には、少々わかりにくい造りとなっておりますので」
「……はい」
……どうしてみんな、私が迷う前提で話すんだろう。
いや、迷うんだけど。
「ご安心ください。案内役の者には、十分に伝えておきます」
「ありがとうございます……」
私は深々と頭を下げた。
……うん。
王宮では絶対に、一人で歩かないようにしよう。
そう心に決めた。
◇
そして、交流会前日。
私は自宅の部屋で、明日の準備をしていた。
机の上には、ロザリア様から渡された注意事項の紙。
それから、王宮での基本的な礼儀作法をまとめたノート。
「……よし!」
私は大きく頷いた。
服装も確認した。
持ち物も揃えた。
注意事項も、ちゃんと覚えた。
あとは、明日を迎えるだけだ。
「……それにしても」
私は窓の外を見つめた。
王宮。
前世では、ゲームの画面越しにしか見たことのない場所。
あの世界の中に、自分が実際に足を踏み入れることになるなんて、何だか不思議な気分だ。
もっとも、明日は景色を楽しみに行くわけじゃない。
ロザリア様にとって、大切な交流会なのだから。
私は机の上に置かれた注意事項を、もう一度手に取った。
『庭園に一人で入らない』
……うん。ここは特に気をつけよう。
あの子は明日、きっと緊張するだろう。
今まで一生懸命に練習してきたのだから、少しでも楽しい時間を過ごしてほしい。
「……よし!」
私はノートを閉じ、明日の持ち物をもう一度確かめた。
家庭教師として、できることは全部やろう。
そして、何があっても迷子にならないようにしよう!
そう固く決意して、私は部屋の明かりを消した。




