第13話 王宮で失敗は許されませんわ!
「エリシア先生、もう一度よ」
「えっ、もう一度ですか?」
「当然でしょう。まだ完璧ではないもの」
王宮での交流会まで、あと三週間。
ロザリア様の学習室では、朝から礼儀作法の練習が続いていた。
机の上には王族の系譜や宮廷儀礼に関する本が積まれ、部屋の中央には挨拶の練習用に椅子が並べられている。
……うん、気合いが入っているなあ。
「では、もう一度最初からお願いしますね」
「ええ」
ロザリア様は背筋を伸ばし、優雅に一礼した。
「このたびはお招きいただき、誠に光栄に存じます」
声の高さも、礼の角度も、ほとんど申し分ない。
「いいですね! 先ほどより自然になっています」
「……ほとんど、ということは?」
「えっ?」
「今、何か言いかけたでしょう」
「……少しだけ、肩に力が入っているかなと」
「……っ」
ロザリア様はすぐに姿勢を正した。
「だったら、もう一度!」
「ロザリア様、少し休憩しませんか?」
「必要ないわ!」
「でも、もう一時間以上続けていますよ?」
「だから何だと言うの!」
……うう、こうなると頑固なんだよなあ。
私は困りながら、練習用の椅子を片づけた。
「では、少し別のことをしましょうか」
「……別のこと?」
「はい。王宮での会話についてです」
ロザリア様は興味を示したように顔を上げた。
「会話?」
「ええ。挨拶だけではなく、交流会ではいろいろな方とお話しするでしょう?」
「当然よ」
「では、私がお客様役になりますね」
「……あなたが?」
「はい!」
私は椅子に座り、少しだけ偉そうな表情を作ってみた。
「ごきげんよう、ロザリア様。最近、何か楽しいことはございましたか?」
ロザリア様は一瞬、きょとんとした。
「……楽しいこと?」
「はい。何でも構いませんよ」
「……特にありませんわ」
「えっ、そうなんですか?」
「勉強と礼儀作法の練習で忙しいもの」
「なるほど……」
……これは、ちょっと困った。
「では、最近興味を持ったことは?」
「……橋の構造について」
「おお! いいですね!」
「……でも、そんな話を王宮でするわけにはいかないでしょう?」
「どうしてですか?」
「どうしてって……令嬢らしくないもの」
「そんなことないと思いますよ」
「……あなたはそう思うでしょうけど」
ロザリア様は小さくため息をついた。
「お母様なら、きっと別の話題にしなさいとおっしゃるわ」
……なるほど。
ロザリア様は、自分の好きなことを話すのも怖いのかもしれない。
「でも、相手の方が興味を持ってくださったら、話してもいいんじゃないでしょうか?」
「……そんな人、いるかしら」
「いると思いますよ。少なくとも、私は聞きたいです!」
「……あなたは特別でしょう」
「えっ?」
「……何でもないわ!」
ロザリア様は慌てて顔を背けた。
……あれ?
今、何か嬉しいことを言われたような。
◇
「失礼いたします」
午後の授業が始まる頃、学習室の扉が開いた。
入ってきたのは、公爵夫人だった。
「お母様!」
ロザリア様はすぐに立ち上がり、姿勢を正した。
「ごきげんよう、お母様」
「ええ。準備は進んでいるかしら」
「はい。王宮での挨拶と会話の練習をしております」
「そう」
公爵夫人は机の上の本を見渡した。
「レオンハルト殿下もご出席なさるのです。ヴァレンシュタイン家の娘として、決して失礼のないように」
「……承知しております」
「それから、エリシア先生」
「はい!」
突然名前を呼ばれ、私は慌てて姿勢を正した。
「あなたにも、交流会へ同行していただきます」
「……えっ?」
「ロザリアの教育係として、必要な場面では補佐をしてもらいます。会場では控えの者として待機していただくことになるでしょう」
「わ、私が王宮に!?」
「何か問題でも?」
「い、いえ! 問題ありません!」
……王宮。
王宮って、あの王宮だよね?
広い庭園に、複雑な廊下に、たくさんの建物があるという……。
……迷子になりそう。
「エリシア先生」
ロザリア様がじろりと私を見た。
「あなた、今、何か余計なことを考えていたでしょう」
「えっ!? そんなことないですよ!」
「……怪しいわ」
公爵夫人は私たちのやり取りを一瞥したあと、淡々と言葉を続けた。
「ロザリア。今回の交流会では、あなたの振る舞いが今後の立場に影響することもあります」
「……はい」
「特にレオンハルト殿下の前では、軽率な発言を慎みなさい」
「承知いたしました」
「期待していますよ」
そう言い残し、公爵夫人は部屋を出ていった。
扉が閉まると、ロザリア様は小さく息を吐いた。
「……エリシア先生」
「はい?」
「もう一度、最初から練習するわ」
「……ロザリア様」
「何よ」
「少し休憩しませんか?」
「必要ないと言ったでしょう!」
ロザリア様は私を睨んだ。
「わたくしは、絶対に失敗できないの!」
その声が、少しだけ震えていた。
私はしばらく考えてから、静かに口を開いた。
「……では、一つだけお願いしてもいいですか?」
「……何?」
「練習の前に、お茶を一杯飲みましょう」
「……は?」
「喉が渇いていると、声も出にくくなりますから」
「……そんな理由で?」
「はい。大事な練習ですから、いい状態で臨みたいんです」
ロザリア様は不満そうに眉をひそめた。
けれど、しばらくして小さく頷いた。
「……一杯だけよ」
「はい!」
……よかった。
少しでも休んでもらえそうだ。
◇
その日の授業が終わり、私はセバスチャンさんに王宮での同行について確認していた。
「当日は公爵家の馬車でお越しいただけますので、ご安心ください」
「ありがとうございます!」
「また、会場内では案内役の者がおります。お嬢様の控室までご案内いたしますので」
「……案内役!」
「はい」
「それは、とても助かります!」
セバスチャンさんは穏やかに微笑んだ。
「……先生のことですから、必要かと思いまして」
「うっ……」
……すっかり方向音痴が知られている。
「それから、エリシア先生」
「はい?」
「本日、王宮より追加の案内が届きました」
「追加の案内?」
「はい。今回の交流会には、王族の方々も複数ご出席なさる予定とのことでございます」
「……王族の方々」
「レオンハルト殿下のほかにも、何名かご臨席なさる可能性があるそうです」
「そうなんですね……」
私は何気なく頷いた。
……けれど。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが引っかかった。
王族。
レオンハルト殿下。
そして、乙女ゲーム『花冠の誓い』。
……そういえば。
レオンハルト殿下には、お兄さんがいたような気がする。
確か、第一王子だったはず。
でも、名前は……何だったっけ?
ゲーム本編には登場しなかったし、名前が出てきたのも、ほんの数回だったと思う。
そもそも、私が覚えている限り、その第一王子はゲームが始まる前に亡くなっていた。
詳しい事情はよく覚えていないけれど、その死が王宮の混乱につながった、という話があったような……。
「……エリシア先生?」
「……あっ、はい!」
「どうかなさいましたか?」
「い、いえ! 何でもありません!」
私は慌てて首を振った。
……うーん。
どうにも、記憶が曖昧だ。
ゲームを遊んだのは前世のことだし、そもそも第一王子は攻略対象ですらなかった。
そんな人物のことを、細かく覚えていなくても仕方ないよね。
そう自分に言い聞かせながら、私は公爵邸をあとにした。
けれど、その夜、私は久しぶりに、乙女ゲームの記憶を思い返していた。
……第一王子って、いったいどんな人だったんだろう。




